🌸真如苑3
⛳真乗・友司夫妻、子どもの死を乗り越えて
☆宗教家として独立するということは
*宗教活動から上がる収入で生活しなければならない
☆宗教家として立った真乗・友司夫妻を不幸が襲う
*長男の智文を失った、次男の友一も15歳で亡くなっている
*不動尊に帰依し、修行を行っているのに
*子どもを失わなければならないのか
*そこに「抜苦代受」の考え方が生まれた
(子どもたちが人々の苦しみを引き受けるために亡くなった考え方)
☆真如苑の教団で、抜苦代受の考え方が確立されたわけではない
*当初は「身代わり」といったその萌芽となる表現が使われていた
*真乗は、子どもの死を乗り越え
*当初は「身代わり」といったその萌芽となる表現が使われていた
*真乗は、子どもの死を乗り越え
*宗教活動を継続し講員も200名ほどに増えていった
☆真乗は醍醐寺で修行続け
*恵印灌頂や伝法灌頂を受け、真乗の名も与えられる
*真乗は大阿閣梨になったとされている
*真言宗では、出家して修行を重ね
*高位についた僧に、阿閣梨の名が与えられるが
*在家の修行者、修験系の行者にもこの名が与えられる
☆人間がテレビで大阿閣梨として紹介されることもあるが
*真乗の場合は、醍醐寺で修行を重ねたことは間違いない
⛳真如苑、真言宗からの独立
☆真乗は、立川に真言宗醍醐派立川不動尊分教会を設立する
⛳真如苑、真言宗からの独立
☆真乗は、立川に真言宗醍醐派立川不動尊分教会を設立する
*後に真澄寺と呼ばれ、現在でも保存されている
☆真乗は、そこで毎日護摩を焚き、加持祈稿を行っていた
*既成仏教の傘下にあったため
*既成仏教の傘下にあったため
*弾圧や取り締まりを受けることはなかったが
*逆に大きく発展することもなかった
*戦前から戦後の真乗の姿は、基本的に彼は山伏の格好をしている
*法衣をまとっているのは、醍醐寺で導師をつとめたときだけ
*戦前から戦後の真乗の姿は、基本的に彼は山伏の格好をしている
*法衣をまとっているのは、醍醐寺で導師をつとめたときだけ
*真乗が山伏姿で布教を続けていたら今日の真如苑の発展はなかった
☆既成仏教の傘下にあっては
☆既成仏教の傘下にあっては
*独自な活動を展開する上で限界がある
☆戦後、真乗は真言宗の傘下を離れ独立を果たす
*戦後、醍醐寺は、真言宗醍醐派として独立した
*真乗は、立川不動尊分教会はそこに所属せず
*真乗は、教会を真澄寺と改称した
*真如苑の前身である「まこと教団」を設立する
☆真乗と友司は、まこと教団を立ちあげる前
☆真乗と友司は、まこと教団を立ちあげる前
*今日の接心修行の原型となる「まこと基礎行」を開始した
*これは、霊の降臨をともなうもの
*真言系の修行にもとづくものではなく
*霊能者であった友司の伯母や祖母が実践していた方法に近い
*霊感修行を実践すれば、真言宗の教義からは逸脱する
*霊感修行を実践すれば、真言宗の教義からは逸脱する
*まこと教団としての真言宗からの独立は不可避なことであった
⛳『まこと教団』こうした修行を取り入れた
☆まこと教団は、のちの真如苑は新宗教として発展していく
☆真乗は、幹部の一人から告発される
☆まこと教団は、のちの真如苑は新宗教として発展していく
☆真乗は、幹部の一人から告発される
*修行中にリンチを行ったとして逮捕される
*教団は現在でも無実を主張しているが
*真乗には執行猶予付きの有罪判決が下った
☆「まこと教団リンチ事件」として報じられ
*教団は大きな打撃を受け、離反する信者も少なくなかった
*悪化した教団のイメージをアップさせるため
*悪化した教団のイメージをアップさせるため
*真乗に教団名を真如苑に改める
*真乗は、次男の死を契機に、『涅槃経』と出会う
(敬称略)
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⛳出典、『日本の10大新宗教』
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『真言宗からの独立』『まこと教団リンチ事件』『涅槃経』
(ネットより画像引用)
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