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外交官&商人&武将小西行長

2015年07月25日 | 歴史上の人物
小西 行長⇒戦国時代から安土桃山時代の武将、大名

高山右近に影響を受け、キリシタンとなる(結果貿易交渉に役立つ)
交渉術に優れた人材で、それが商人から大名になった要因の一つです
関ヶ原の戦いでは、西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された
NHK「先人の知恵」より






小西行長(ネットより引用)

小西行長の交渉術(WIN&WINネゴシエーション)
水軍将と秀吉の間に立ち、交渉術を発揮し、水軍を秀吉の配下にを纏める
秀吉のバテレン追放&貿易拡大を上手に使い分け、双方の妥協点を見出した
朝鮮の引き上げと和睦でも交渉術発揮

小西行長、秀吉の部下に
堺の商人小西隆佐の次男として京都で生まれた
使者として秀吉の下へ使わされ、秀吉からその才知を気に入られ臣下となる

小西行長、秀吉近臣時代
豊臣政権内では舟奉行に任命され、交渉能力を発揮し水軍を率いた
小豆島1万石の大名に任命される
小豆島では、キリスト教の布教を行い、島の田畑の開発を積極的に行った

小西行長、宇土城主時代
肥後国人一揆の討伐に功をあげ、肥後他三郡20万石を与えられた
秀吉の意を受け、麦島城を築城して、水利を強化し、貿易の中心地とした
麦島城を建て、堀から外水を引きれて浮城としたので、直接、船で出入りできた

文禄の役における小西行長
行長は、度々朝鮮側に対して交渉による解決を呼び掛けているが、何れも朝鮮側が拒絶または黙殺された
漢城周辺の日本軍は、朝鮮軍支援の明軍を破った
戦意を喪失した明軍と、兵糧不足に悩む日本軍との間に講和交渉が開始された
行長は、明との講和交渉に携わり、秀吉には明が降伏すると偽り、明には秀吉が降伏すると偽って講和を結ぼうとした
講和交渉の内容が、秀吉に発覚し交渉は失敗した

小西行長の関ヶ原
関ヶ原の戦いでは、石田三成に呼応し西軍の将として参戦する。
敗戦後、市中引き回しの後、六条河原において石田三成・安国寺恵瓊と共に斬首された
行長はキリシタンゆえに、浄土門の僧侶によって頭上に経文を置かれることを拒絶した
キリストとマリアのイコンを掲げて三度頭上に戴いた後に首を打たれた


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