慶喜

心意気
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東征(3)(イハレビコ岡田宮で稲作指導)

2015年05月22日 | 歴史上の人物
福岡竺紫の岡田宮に一年坐す

神武天皇が、豊国を出た後、筑紫(福岡)に入って岡田宮で1年間滞在した
岡田宮は、熊族が祖先神を祭っていた社です
『熊』とは『わに(漁師)』の意味で、早くからイハレビコ恭順しました
イハレビコの御宮居跡は住宅地になっていますが、祭祀を行った祭場跡があります
産経新聞記事より






東征(ネットより引用)

岡田宮の所在意義
新羅に遠征する神功皇后が立ち寄り、祭事を行った場所です
鎌倉時代には、有力御家人の宇都宮重業が源頼朝からこの地を与えられました
要衝なので、押さえておかなければ安心して東征できない場所です

恭順させた手段は稲作の技術指導でした
米は1粒が300粒にもなる、豊かさを保証する食料でした
熊族は、海を中心に採集生活をしていた一族です
米の安定性を教えてくれる人に従えば、より幸せになれると考えました

岡田宮にイハレビコを祭っています
熊族の長は、大和朝廷の地方官、県主に任じられました
東征の際、国造りに協力した地方豪族は、そうした地位に就くことができました
1年間の岡田宮滞在には、イハレビコの政治手法が見られます

県主と国造
県は、大和朝廷の地方組織で、長が県主です
祭祀と関係が深く、宗教的性格が濃いのが特徴です
国造は、大和朝廷が設置した地方官です
県主は国造の下に属したと考えられます


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