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敗者の日本史(藤原仲麻呂)

2016年07月12日 | 歴史上の人物
藤原仲麻呂(”唐かぶれ”の逆臣?)

光明皇太后の死により揺るいだ、藤原仲麻呂の基盤
藤原仲麻呂は、孝謙上皇側との争いに敗れ落命した
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください










藤原仲麻呂(ネットより画像引用)

藤原仲麻呂の謀反(藤原の乱)
おばにあたる光明皇太后の信任を得、大炊王を擁立し淳仁天皇として自らの権力を確立した
孝謙上皇は、母が皇太后として淳仁天皇を後見していたため、仲麻呂の後塵を拝する
パワーバランスが崩れたのは、光明皇太后の死去です
孝謙天皇は、淳仁天皇を無視して、自らが国政や人事を掌握することを宣言した
光明皇后あっての仲麻呂の基盤はくずれ、藤原仲麻呂の謀反が明らかとなった
孝謙上皇側との争いに敗れ落命した

藤原仲麻呂”唐好みの逆臣?”の再評価
仲麻呂は、有力な近臣を一掃して権力基盤を盤石にした
桓武天皇の王権の基盤を強化政策は、仲麻呂の政策と近似性がある
仲麻呂の子孫は、遣唐留学生として入唐し、鑑真とともに帰国した刷雄のみでした

光明皇后
国分寺の建立や東大寺大仏の造営などをすすめた
施薬院や悲田院など設置して、病人や孤児の救済に努めた
聖武天皇没後も、政界に重きをなし皇太后の尊号が贈られた

孝謙上皇
孝謙天皇として即位し、橘奈良麻呂の乱後、淳仁天皇に譲位した
僧道鏡への寵愛をめぐり、淳仁天皇側と対立
藤原仲麻呂の乱後、淳仁天皇を廃して称徳天皇となった

百万塔 陀羅尼
藤原仲麻呂の乱における犠牲者の供養と鎮護国家を願い、称徳天皇の発願でつくられた
百万基もの木製の小塔で、陀羅尼(密教の呪文)経―巻が納められている



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