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織部焼の『魅力』と古田織部の『魅力』

2015年10月15日 | 歴史上の人物
古田重然(戦国時代から江戸時代の武将、大名、茶人)

千利休が大成させた茶道を継承し、一大流行を安土桃山時代にもたらしました
利休は『侘び』を、織部は『傷物の美』『サプライズの美』を表現しました
古田織部は、『大胆』『自由』な作品です
NHK『英雄達の決断』より










古田織部(ネットより引用)

桃山時代での、茶道、茶器の役割
茶器ー一国に価するとして、信長・秀吉は褒章として活用しました
『茶の湯ご政道』(信長)とも言われています

織部焼の特長
色ー緑色の青織部が最も有名、茶碗が殆どです、それ以外は大半が食器類です
形・文様ー歪んだ形の沓茶碗や、市松模様や幾何学模様の絵付け、扇子などの形をした食器や香炉

武士として古田重然の生涯
古田氏は、美濃国の守護大名土岐氏に仕えていた
織田信長の美濃進駐と共にその家臣として仕え、重然は使番を務めた
荒木村重が謀反を起こした際、荒木村重の義兄を織田方に引き戻すのに成功している
豊臣秀吉の播磨攻め、明智光秀の丹波攻め、甲州征伐に武将として活動している
信長死後は、秀吉に仕える
関ヶ原の戦いでは、東軍に属した

茶人として古田織部の生涯
千利休に弟子入りした
秀吉の利休切腹命令で、利休死後は、天下一の茶人となった
茶の湯を通じて、朝廷・貴族・寺社・経済界と様々なつながり、全国の大名に多大な影響を与えた
将軍・徳川秀忠の茶の湯の指南役にも抜擢されている

古田重然(織部)最期
大坂夏の陣の折り、豊臣氏に内通し、京の放火を企んだとされる疑いで捕らえられた
冬の陣の頃から、深く豊臣氏と内通しているとの嫌疑をかけられ、大坂落城後に切腹を命じられた
重然は、反骨精神が旺盛で、江戸幕府からもその影響力を危険視されていた
重然は、千利休同様、一言も釈明せずに自害した

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