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依代(よりしろ)、神社の社殿

2019年04月24日 | 宗教
揺らぐ神社の権威構造2

社殿は無く、神は常在しない
 ☆天照大神の意思によって仲哀天皇が殺された
 *妻の神功皇后が神の依代(よりつく)となり託宣を下す
 *神は人を依代として、その場に現れた
 *原初的な祭祀の方法は依代(神霊が依り憑く対象物)
 ☆古代の日本社会は、中国や朝鮮半島の影響を強く受けてきた
 *朝鮮半島にはシャーマニズムの文化があった
 ☆シャーマニズム文化が古代の日本に伝えられた可能性が考えられる
磐座(いわくら)で依代となった人物に神が降りる
 ☆古代~中世神の祀る
 *依代となる人間がいて、神はその依代に宿る
 *供応を受けたり、託宣を下した
 *それが、人と神とが交わる方法であった
 *祭祀が行われるときにしか、神はその場に現れなかった
 *神が神社の本殿に常在するという考え方はなかった
 ☆中世のどこかの段階
 *祭祀のたびに神は降りない
 *神は本殿の神体に常に宿っていると見なされた
 ☆中世の神仏習合の時代
 *仏教の寺院では、本尊を祀っていた
 *仏教の世界が、神道の信仰世界にも影響した
社殿の変化
 ☆天皇の即位儀礼である大嘗祭(だいじょう)は、毎年行われる新嘗祭が元
 ☆新嘗祭は新穀を神に捧げる儀式である
 ☆天皇の代替わりは、最初に行われる新嘗祭が大嘗祭
 *大嘗祭では、悠紀殿と主基殿からなる大嘗宮が建てられる
 *大嘗祭だけの建物で、祭祀が終われば解体される
 ☆伊勢神宮の遷宮という行事も周期的に宮を建てる
 *大規模な祭祀を行うというのが元々のあり方
神社に社殿が建つようになったのは鎌倉時代以降
 ☆初期の社殿は、宇治上神社の本殿で、規模の小さな小祠だった
 *出雲大社の本殿内部にあるものも小祠である
 ☆江戸時代の伊勢詣のためのガイドブツク
 *今よりも神と参拝者の距離がはるかに近かった
 ☆明治天皇が伊勢神宮を参拝する(天皇で初めて)
 *その後、伊勢神宮は皇祖神を祀る国家の最重要施設となった
 *神と参拝者の距離は大きなものになった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』








依代(よりしろ)、社殿(ネットより画像引用)




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