

☆天照大神の意思によって仲哀天皇が殺された
*妻の神功皇后が神の依代(よりつく)となり託宣を下す
*神は人を依代として、その場に現れた
*原初的な祭祀の方法は依代(神霊が依り憑く対象物)
☆古代の日本社会は、中国や朝鮮半島の影響を強く受けてきた
*朝鮮半島にはシャーマニズムの文化があった
☆シャーマニズム文化が古代の日本に伝えられた可能性が考えられる

☆古代~中世神の祀る
*依代となる人間がいて、神はその依代に宿る
*供応を受けたり、託宣を下した
*それが、人と神とが交わる方法であった
*祭祀が行われるときにしか、神はその場に現れなかった
*神が神社の本殿に常在するという考え方はなかった
☆中世のどこかの段階
*祭祀のたびに神は降りない
*神は本殿の神体に常に宿っていると見なされた
☆中世の神仏習合の時代
*仏教の寺院では、本尊を祀っていた
*仏教の世界が、神道の信仰世界にも影響した

☆天皇の即位儀礼である大嘗祭(だいじょう)は、毎年行われる新嘗祭が元
☆新嘗祭は新穀を神に捧げる儀式である
☆天皇の代替わりは、最初に行われる新嘗祭が大嘗祭
*大嘗祭では、悠紀殿と主基殿からなる大嘗宮が建てられる
*大嘗祭だけの建物で、祭祀が終われば解体される
☆伊勢神宮の遷宮という行事も周期的に宮を建てる
*大規模な祭祀を行うというのが元々のあり方

☆初期の社殿は、宇治上神社の本殿で、規模の小さな小祠だった
*出雲大社の本殿内部にあるものも小祠である
☆江戸時代の伊勢詣のためのガイドブツク
*今よりも神と参拝者の距離がはるかに近かった
☆明治天皇が伊勢神宮を参拝する(天皇で初めて)
*その後、伊勢神宮は皇祖神を祀る国家の最重要施設となった
*神と参拝者の距離は大きなものになった


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依代(よりしろ)、社殿(ネットより画像引用)
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