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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

聖地に残る怖い信仰(5)(金峯山寺と大峰山)

2021年01月09日 | 聖地
🌸聖地に残る怖い信仰5(金峯山寺と大峰山)

 ☆黄金と不老長寿の象徴、金峯山寺
 ☆修験道の聖地、大峰山

⛳修験道の聖地である山々
 ☆修験道とは
 *山岳信仰に仏教の要素が混ざり合った信仰
 *日本特有の信仰体系で開祖は役小角
 *奈良時代から平安時代に役小角への信仰
 *密教や陰陽道と融合しながら日本中に伝播した
 *奈良県の大峰山も修験道の聖地の一つである
 *役小角本人により開かれたという伝承がある

 ☆大峰山の一帯は、金峰山と呼ばれていた
 *大峰山に大量の金が眠っていると信じられていた
 ☆修験道が取り入れた中国由来の道教
 *黄金を使えば、不老不死の妙薬金丹が錬成できる教えがあった
 *貴族は長寿を求めて大峰山に特別な思いを寄せた

失敗したら自害する掟
 ☆大峰山は、日本一厳しい修行「千日回峰行」の舞台
 *回峰行とは寺と山中を往復しながら礼拝する修行法
 ☆希望者は、金峯山寺と大峰山を100日間往復する
 *「大峯百日回峰行」に挑戦する達成し
 *始めて千日回峰行への挑戦が許される
 ☆千日回峰行が厳しい理由
 *一度はじめると中止が絶対に許されない
 (嵐の日・病等でも、必ず決行し続けなければならない)
 *続行できなくなれば、その場で自刃する
 *自刃してもいいように、いつでも白装束で修行に臨む
                    (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』




聖地に残る怖い信仰5(金峯山寺と大峰山)
『本当は怖い日本の聖地』記事より画像引用)
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聖地に残る怖い信仰(4)(黒又山)

2021年01月08日 | 聖地
🌸黒又山は世界のピラミッド

 ☆和製ピラミッドと呼ばれる秋田県の黒又山
 *山の中から見つかった謎の空間
 ☆黒又山は、山を改造した巨大祭祀場だったのでは

⛳和製ピラミッドと呼ばれる黒又山
 ☆秋田県鹿角市の黒又山が、和製ピラミッドと呼ばれている
 *学術調査で、土の下に階段状の遺物らしきものが確認された
 *ピラミッドのような構造になっていた
 ☆山頂の本宮神社の周辺から土器が出土している
 ☆黒又山は、古い時代には祭祀場だったのでは
 *黒又山が特別な場所だった

⛳黒又山は、山を改造した巨大祭祀場
 ☆山そのものは自然物であることがわかった
 *縄文人がいちからピラミッドを造った可能性はなくなった
 ☆黒又山を自然の山を改造した巨大祭祀場
 ☆黒又山は、オカルトの題材とし取り上げられる

ピラミッド疑惑のある山々
 ☆日本版ビラミッドと呼ばれる場所は多数ある
 *黒又山の北東にある小クロマンタ
 (黒又山を拝む拝殿だったのでは)
 *奈良県三輪山近辺の大和三山
 *青森県の大石神のような巨石
 ☆広島県庄原市の葦嶽山
 *山全体が神武天皇の陵墓との奇説もある
                  (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』




聖地に残る怖い信仰4(黒又山)
『本当は怖い日本の聖地』記事より画像引用)
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聖地に残る怖い信仰(3)(高野山の墓石群)

2021年01月07日 | 聖地
🌸高野山の墓石群、納骨の風習の名残り?

⛳空海の開山前から聖地だった
 ☆高野山は、弘法大師空海が朝廷の許可を得て開いた
 *高野山は、真言宗の特に重要な神聖な場所
 ☆高野山一帯は、空海の入山前から聖地として敬われていた
 *古くから山岳信仰の聖地だった
 *役小角が修験道の修行場を開いている
 ☆丹生(にう)氏が信仰した「丹生明神」空海にも影響を与えた
 ☆空海が丹生氏の神を敬った要因
 *水銀利権を得るためだった可能性がある
 *水銀は、当時化粧品や薬の原料として高値で取り引きされていた
 *丹生氏は高野山一帯の水銀発掘の利権を握っていた
 *空海がそこに目を付けたのでは

空海が生きている奥の院
 ☆高野山の中心部には真言宗の総本山金剛峯寺
 *高野山には、117もの寺院が建ち並んでいる
 ☆高野山で最も重要な聖地が「奥の院」
 *奥の院は空海が入定した場所である
 *当然ながら本当に空海が生きているわけではない
 ☆空海が入定したという記録は空海の死から130年後に生まれた
 ☆空海入定伝説が生まれた理由
 *高野山は、宗派内の主導権争いに敗れて荒廃した
 *高野山の広報戦略として、空海入定伝説をつくり上げたのでは?

高野山の20万基は、山中納骨の名残
 ☆奥の院には、 一の橋から御廟橋の間に墓石群が広がっている
 *その数は20万基を超える
 *墓石群は空海の御廟にあやかつたというのが通説だが
 *墓石群は、古代の山岳信仰と関連付ける説もある
 ☆長い間、日本人は山を異世界だと考えていた
 *山は死者の遺骸や遺骨を捨てる非日常的な空間
 *山中には死者の霊が宿っていると信じられていた(山中納骨)
 *この風習が完全に廃れたのは、墓石が普及した明治以降
 ☆高野山への納骨が定着した要因は、幕府の政策によるのでは
                    (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』




聖地に残る怖い信仰3(高野山の墓石群他)
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