慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

太秦映画村散策(11/10/21)

2011年10月21日 | Weblog
太秦映画村を見学しました

歴史&印象
京都撮影所のオープンセットの維持を目的として、1975年に開村しました
時代劇の殺陣ショーや俳優のトークショー・撮影会・握手会等を実施しています
映画村を舞台にしたオリジナルの特撮の撮影も行われており、いくつかは市場で販売されています

料金は、大人2、000円、子供・修学旅行1,000円 駐車場代 1,000円
   * 内容の割りに、私には、エックスペンシブな感じを受けました
   * リピターは、今の状況では増えるのが難しいなと感じました
     私は、今の状況では、リピターになりません

    
撮影現場
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伏見稲荷大社散策(11/10/21)

2011年10月21日 | Weblog
伏見稲荷大社に願いを込めてお参りしました


拝殿


伏見稲荷大社祭神
宇迦之御魂大神を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を配祀して、五柱の神として祀る、
稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全・縁結びご利益があるとされてます

歴史
和銅年間(708〜715年)神を祀ったことに始まる秦氏にゆかり深い神社です
1871年に正式社名を「稲荷神社」とし「官幣大社稲荷神社」となりました、
1946年に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり「伏見稲荷大社」と改称し現在に至っております
拝観料不要で閉門時間が無い為、外国人観光客の人気が高く、平日でも多くの外国人が訪れています

伏見稲荷大社には、以前私の知った人が、神主の親族で、その時の、その人の話によると
20~30年前の話ですが、正月8日間でお賽銭が、6千万円~8千万円位寄贈されるとのお話でした

人間の縁とは、不思議なもので、以前一緒に仕事していた人が、偶然散歩しており挨拶されました
お会いするのは5年振り位です、神社では、神様が人を結び付けるのですかね

          
鳥居                                              千本鳥居            
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三室戸寺散策(11/10/20)

2011年10月20日 | Weblog
三室戸寺を散策しました


三室戸寺

三室戸寺概況

京都府宇治市にある寺院で本山修験宗の別格本山です
本尊は、千手観音(秘仏)で、創建年(770年~781年)です
開基光仁天皇です

歴史
宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものといわれています
現存する本堂は江戸時代後期の1814年に再建されました

       
三室戸寺の与楽園(紫陽花)

与楽園(庭園)
5000坪の広さがあり、枯山水・池泉・広庭からなります
5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所になります
庭園を整備したのは、近年のことです
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醍醐寺散策(11/10/20)

2011年10月20日 | Weblog

醍醐寺

醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山の寺院です
本尊は薬師如来、開基は理源大師聖宝で、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています
豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られています


三宝院庭園

歴史
醍醐寺の創建は、874年理源大師聖宝が如意輪観音他を笠取山頂上に迎えて開山しました
応仁の乱など相次ぐ戦争で醍醐寺は荒廃し、五重塔しか残らない状況でした
豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに寺院建築の移築や三宝院の建設などにより今日見るような姿となっています


五重の塔

五重塔(国宝)
951年建立、醍醐天皇の冥福を祈るために建設しました
五重塔は創建当時のまま現在に残り、また五重塔内部に描かれた壁画も国宝に指定されており、
中でも空海の肖像画は現存する最古のものです

金堂(国宝)
入母屋造本瓦葺きです
内部には本尊薬師三尊像を安置し、堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りが無い点に特色です


開山堂

上醍醐~下醍醐
平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現があります
拝殿(国宝)、准胝堂、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ています
醍醐山頂には、如意輪堂と開山堂と白山大権現が並びます

薬師堂(国宝)
醍醐天皇の勅願により907年頃に聖宝(理源大師)により創建されました
内部には薬師三尊像(国宝)、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像(以上重要文化財)などを安置していました、
現在はすべて下醍醐の霊宝館に移されて保管されています
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小学校同窓会(11/10/12)

2011年10月12日 | Weblog
三菱クラブは、三菱創業百年を記念して、千代田区丸の内に設置されました
会員会社の役員の方が懇親・記念行事・各種集会などに利用できる施設です
今回、ある方に同伴して、クラブで実施された会に参加しました
お陰さまで、大変楽しい人ひと時を
素晴らしい夜景、美味しい料理、リーゾナブルな料金 で楽しめました

最近の話題では、健康の話が増えてきており、多くの人が何かの薬を服用しているみたいです

  

旧丸ビル                           現丸ビル

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東京駅散策(11/10/4)

2011年10月04日 | Weblog

皇居のお濠の白鳥

東京駅とは、
JRは在来線が9面18線、新幹線が地上5面10線、
地下鉄が地下1面2線のホームを有しています
面積は東京ドーム約4個分です
平日の1日あたりの列車発車本数は3200本です

私には、東京駅は何時も工事している印象が強いです、
[東京駅の工事]に関係している友人に聞いたら、東京ドーム4個分の地下街を、総て繋げるとの事です、
言われてみたら地下街はかなり繋がっており、広いエリアに成っています

今回、丸の内側のビル街を見に行きました、新宿に勝るとも劣らない、それ以上のビル街です


東京駅(長期間、工事中の為、カバーの布で覆いで被さっております)
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浅草寺散策(11/10/4)

2011年10月04日 | Weblog
地元の浅草寺を参拝しお願い事叶うよう祈願しました


雷門


仲見世通り

浅草寺本堂は、本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれています、しかし東京大空襲で焼失しました
現在の堂は1948年に再建されました
宮殿の手前左右には、脇侍の梵天・帝釈天像、堂内後方左右の厨子内には
不動明王像と愛染明王像が、安置されているそうです

五重塔は、東京大空襲で焼失しましたが、1973年に再建されました
塔の最上層にはスリランカ・イスルムニヤ寺院から招来した仏舎利を安置しているそうです


本堂

浅草神社は、浅草寺の草創に関わった3人を祭神として祀る神社です

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9月アーン(EARN・アーンLOSE)マネー散策

2011年10月01日 | Weblog
9月卓上ゲーム3回散策、力不足で大負けです
9月ゴルフ場3回散策しました
残念ながら貧乏神社でした!!

9月ストックマーケット散策 !!!
 欧州のギリシャ等の経済破綻、日本の円高等
 現在の評価損は、東京電力含め大幅マイナス状況です


貧乏神社

10月以降は、記載していると暗くなるので暫く、アーン(EARN・アーンLOSE)マネー散策
の記載割愛します。     
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宇治植物園散策(11/9/24)

2011年09月24日 | Weblog
平成8年に宇治市植物公園はオープンしました。

本公園の総面積は10ha、起伏に富んだ敷地には、
壁泉・水路を軸線としは紅葉や木の実が楽しめる秋のゾーン、花木や季節の花々が楽しめる春のゾーン、
修景池を中心とした夏のゾーンで構成されています

温室には、年間を通じて熱帯・亜熱帯植物の花が咲きほこっています
ウイークデイーであった為か、お客さんも少なく、空気も清々しく散歩するには最高の公園でした

出会うペアーカップルは、開放感の為か、皆楽しそうに手を繋いで散歩していました


宇治植物公園
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平城仏教道散策(11/9/11)

2011年09月11日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良・大阪であり
その会に4日間参加し、奈良・大阪観光を楽しみました


   
廬舎那仏金銅像(大仏)

奈良時代
710年平城京に遷都してから、784年に長岡京に都が移る74年間です
国家の安泰を願い、仏教が国教となるよう、政権は仏教の布教に努めた時代でした

仏教の興隆
仏教は、鎮護国家の思想とあいまり国家の保護下で益々発展しました
*政府は平城京内に大寺院をたて、仏教の普及に努めました
*聖武天皇は、全国に、国分僧寺や尼寺を全国に建てました
*東大寺の造営し、743年に廬舎那仏金銅像(大仏)の造立し国家の安泰を願いました
南都七大寺
(大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺)
僧侶は経典等より、お仏教の教理を研究し仏教を国教としての定着を図りました
南都六宗
三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の学派が形成されました

奈良時代の仏教布教の特徴
遷都後に建てられた有名な寺院は、総国分尼寺となる法華寺、西大寺、唐招提寺、
 東大寺等です
奈良時代70年位でそれ程多くの寺院が建築されたのか?
*平安京に都が遷都してからも、建築は継続されているのも多かったです
南都六宗の教えはその後?
*現在でも、奈良時代の宗派の寺院もありますが、平安京で成熟した宗派に改宗している
 寺院も多いです
寺院の経営基盤は?
*布教活動は、政府の資金が中心の為、檀家持たないで寺院多いです
 平安京に遷都後、政府からの資金援助減少し維持難しく廃寺に成った寺院多いです
 特に、全国に建立された、国分寺、国分寺尼寺等です
*薬師寺でも、一時期廃寺に成りましたー戦後、高田好胤さんにより完全に蘇っております
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聖徳太子道散策(11/9/9)

2011年09月09日 | Weblog

以前勤務先の同窓会が奈良・大阪であり
その会に4日間参加し、奈良・大阪観光を楽しみました


  
聖徳太子               紙幣に描かれた聖徳太子


聖徳太子、本名厩戸(うまやど・うまやと) 
政治での活動
 *推古天皇のもと、摂政として蘇我馬子と協調して政治を行いました
 *遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階
  十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立しました
 *仏教を信仰し興隆につとめ、仏教での人心の安定を図りました
肖像が描かれた紙幣、
 *百円紙幣、千円紙幣、五千円紙幣、一万円紙幣と累計7回使用された


  
聖徳太子祀る夢殿            聖徳太子の像(奈良県は、非常に多いです)


仏教との関係
*仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立しており
 厩戸皇子は、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、物部軍と戦い物部氏に勝利しました
*厩戸皇子は物部氏との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立しました
*日本各地には聖徳太子が仏教を広めるために建てたとされる寺院が数多くありますが
 実際は「法隆寺と四天王寺」の2寺と言われています
*法隆寺は、推古天皇と聖徳太子が、607年に寺と薬師像を造りました
*斑鳩寺は、法隆寺の別院(支院)であったが、現在は「お太子さん」信仰を集めています
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同窓会道散策(11/9/8)

2011年09月08日 | Weblog
前勤務先の同窓会が奈良で実施されました

参加人数
 新入社員として、47人某社に入社しました
 今回、東京~九州から多くの方が集まりました
 今回、出席率の素晴らしさには吃驚しました 23名です
 概ね半分の出席です
 参加者の多くが、今でも何か社会に貢献しているのには驚きました

会場・内容
 
北京料理奈良百楽
      

印象
  
 「 温故知新 」
  楽しかった、嬉しかった、満足だった

  皆様有難う!   
  幹事さんお世話に成りました
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法隆寺、長谷寺道散策(11/9/8)散策

2011年09月08日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良・大阪で有り、
奈良・大阪観光を楽しみました

    
法隆寺金堂                五重塔

  西院伽藍

   玉虫厨子

法隆寺は、聖徳宗の総本山で、別名を斑鳩寺です
概要
*飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院です
*創建は、607年で、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられます
西院回廊、金堂、五重塔
*金堂に安置される銅像薬師如来坐像(国宝)は、用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を
 発願しましたが、用明天皇が亡くなり、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子が完成しました
八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、太子をしのんで建立したものです

     
長谷寺金堂                 長谷寺舞台

長谷寺
概要
*真言宗豊山派総本山の寺
*本尊は十一面観音
*日本でも有数の観音霊場として知られる
*初瀬山の中腹に本堂があり、牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は牡丹で満開です
*長谷寺の創建は、8世紀前半です
*平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めたました
*長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺でしたが、
 16世紀現在の真言宗豊山派を総本山となりました
*「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ、日本各地に多く240寺程存在します


銅板法華説相図

本堂
*入口の仁王門から本堂までは399段の登廊をのぼります
*本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく
 懸造(舞台造)になっています
*本尊十一面観音像は1538年に再興(現存・8代目)されました
*銅板法華説相図(国宝)
「千仏多宝仏塔」法華経の見宝塔品で、釈迦が説法時、
地中から宝塔が出現した場面を表現したものです
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薬師寺、唐招提寺散策(11/9/7)

2011年09月07日 | Weblog
前勤務先の同窓会が
奈良・大阪で有り、奈良・大阪観光しました、大変楽しい4日間でした

 
東塔(国宝)西塔                講堂

    
玄奘三蔵院                   金堂

薬師寺
興福寺とともに法相宗の大本山です、本尊は薬師如来、開基は天武天皇です、
創建
*天武天皇が、持統天皇の皇后の病気平癒を祈願して薬師寺を建立しました
現在の建築物は、良くも悪くも「名物管長 高田好胤さん」が再建しました
薬師寺式伽藍配置
*中門、回廊、金堂、塔、講堂、鐘楼の構成です
*10世紀ころまでは存続していたようだが、後に廃寺となりました
*平城京の薬師寺は、973年の火災と1528年の筒井順興の兵火で多くの建物を消失しました
 奈良時代の建物は東塔を残すのみです
薬師寺の再建
*1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤が中心となって写経勧進による再建
*1976年に金堂が再建され、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが再建されました
玄奘塔東塔
*現在寺に残る建築のうち、奈良時代にさかのぼる唯一建築物です
*仏塔では、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔、4番目の高さ(江戸以前建立で)
他の建物
*南門(重文)1512年の建築
* 中門-1984年の再建 *金堂-1976年の再建 *大講堂-2003年の再建
*玄奘三蔵院-1991年に建てられたー平山郁夫が30年「大唐西域壁画」
薬師三尊像
*薬師三尊像(日光菩薩、薬師如来、月光菩薩)



  
講堂                     鐘楼                               

       
 乾乾漆鑑真和上坐像            漆盧舎那仏坐像

唐招提寺
南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基は鑑真です
奈良時代建立の金堂、講堂を初め、多くの文化財が現存しています
鑑真は仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として日本に招請された
鑑真の渡航計画は、6回目で来日に成功するが、鑑真は当時既に66歳になり辛苦より失明していました
礼堂南大門ー1960年の再建
金堂
*奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです
*講堂 入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間、760年建立
*乾漆鑑真和上坐像 - 像高80.1センチメートル
新宝蔵ー1970年に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫下記の仏像等を収納しています
*木造大日如来坐像 - 像高352.7センチメートル
*木造伝・薬師如来立像 - 像高160.2センチメートル。奈良時代。
*木造伝・衆宝王菩薩立像 - 像高173.2センチメートル。奈良時代。
*木造伝・獅子吼菩薩立像 - 像高171.8センチメートル。奈良時代。
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法華寺&光明皇后道散策(11/9/6)

2011年09月06日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良で有り、
4日間奈良・大阪観光を楽しみました

  
法華寺(本堂)                   鐘楼(奈良時代は建物の中に有りました)

奈良ロイアルホテルに宿泊すると、半日コースで光明皇后縁の地を無料でガイドしてくれます
大変丁寧な、感じのよいガイドさんでした

法華寺
概況
*仏教寺院で、奈良時代には日本の総国分尼寺になりました
*本尊は十一面観音、開基は光明皇后です
*光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られてます
  (門跡寺院とは、皇族、貴族の子女などが住職となる寺院の称です)
*東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺です
 (聖武天皇は741年、国分寺・国分尼寺建立の詔を発しました)
*法華寺は平安京遷都以後は次第に衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃寺でした
本堂(重要文化財)
*寄棟造、本瓦葺き。正面7間、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建されました

十一面観音像(国宝)
*「天竺(インド)の仏師・問答師が光明皇后の姿を模してつくった」といわれている
*像はカヤ材の一木造。保存状態もよく、平安時代彫刻を代表する作品の1つである。


光明皇后自筆の書(蔵 正倉院)

光明皇后 701年~
生涯
*聖武天皇の皇太子時代に結婚し、夫の聖武太上天皇が崩御後には皇太后号にないりました
文化的活躍
*貧しい人に施しをする施設「悲田院」、医療施設「施薬院」を設置して慈善を行いました
*夫の死後、その遺品などを東大寺に寄進し、倉庫として正倉院が創設されました
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