旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

続台湾日記 擔仔麵

2007-06-11 13:30:27 | 台湾日記

國家台灣文學館(正面)と台南市消防局(右)
(台灣省台南市中西區)


赤崁樓から歩いて行くと、日本統治時代の建物を数多く見掛ける。ひときわ立派なのが國家台灣文學館。台南州庁舎として大正5年(1906)竣工だから100年経つ。戦後は台南市政府などに使われた。手前の消防局は昭和13年(1938)の竣工。


擔仔麵(50元)に滷蛋(10元)をのせたの

台南名物と言えば担仔麵なのだそうで、その元祖という度小月を訪れる。店頭には「百年老店 清光緒甲午年 西元_1895年」と書いてある。老舗である。11時過ぎに訪れたが、開店は11時半からで、まだ準備中だった。店頭の随分と低い椅子に腰掛けて待たせてもらう。開店時間が近づくと、暑いからと冷房の入った店内に案内される。11月の会話とは思えん。

卓上に置かれた伝票の注文したい料理に数量を書き込み店の人に渡す。料理名には日本語も併記してある。「タンズーメン 擔仔麵」、「煮卵 滷蛋」を注文。日本語で「よく混ぜて下さい」と言われて、擔仔麵の椀を貰う。店の人の言に従い、よく混ぜて食べる。肉そぼろ、小エビ、おろしニンニクが入っている。香菜は入っておらず、美味しく食べられる。本当は入っているようなので、気を利かせて抜いてくれたのだろう。椀は小振りなので、ご飯ものを併せてとってもよかった。しかし、12時06分発の列車に乗らなければならない。もっと台南での滞在時間を確保するべきだった。1泊してもよかった。名残惜しいが支払いを済ませて店を後にする。また来よう。


度小月 台南總店 (台灣省台南市中西區中正路)


湯徳章紀念公園(民生緑園) (台灣省台南市中西區)
いずれも民國95年11月27日撮影

11時40分に度小月をあとにして、急ぎ足で駅に向かう。民生緑園のロータリーを大回りする。喫茶店の店頭のテーブルではニイチャンがお茶を飲みながら新聞を読んでいる。欧米を思わせるが、ご飯を食べるのもやはり店頭である。暑い土地柄だから屋外なのだろうか。汗だくになったが、無事に12時前に台南駅に到着した。 (つづく)

続台湾日記 台南

2007-06-11 10:45:35 | 台湾日記

縦貫線 台南車站 (台灣省台南市東區北門路)

台南を訪れるのは初めてである。駅舎は南国らしく瀟洒なもので昭和11年(1936)竣工。臺灣最西端的車站、台湾最西端の駅である。昨年、最北端の基隆を訪れ、昨日は最南端の枋山を訪れた。いずれ最東端の駅も訪れる事になるのだろうか。


ここにも自動改札機が準備中! (台南)


赤崁樓 (台灣省台南市中西區民族路)

駅から地図を見ながら赤崁樓を目指す。三越のところを行き過ぎてしまい、多少迷いながらも目的地に到着した。入口で切符(50元)を買って中に入る。切符の裏には「赤崁樓是台南市最著名的古蹟與精神象徴」とある。明永暦7年(1653)、オランダ人はここに普羅民遮城(プロヴインシア城)を建造した。漢人には赤崁樓、番仔樓、紅毛樓などと呼ばれる。明の遺臣、鄭成功にオランダ人は追放され、ここは鄭氏政権の行政府となった。


鯉がちっと多過ぎんか? (赤崁樓)


海神廟 (赤崁樓)

現在の建物は清代のものである。海神廟は清光緒元年(1875)の建築。


鄭成功畫像 (赤崁樓)

建物に入ると日本人観光客がいて日本語ガイドの説明を聞いている。これを少しタダ聞きする。今日はちょくちょく日本人を見掛ける。この観光客が去った後で鄭成功の画を撮影。


文昌閣 (赤崁樓)

隣に立つ文昌閣は清光緒12年(1886)の建築。


羽鳥又男胸像 (赤崁樓)

建物内には一体の銅像があり、誰だろうと見てみると、日本人で羽鳥又男とある。羽鳥翁は日本統治時代最後の台南市長。昭和17年(1942)に就任し、戦時中の財政難であったが、赤崁樓を含め、台南の史跡の修復、保存に尽力されたそうである。


普城稜堡殘跡 (赤崁樓)

オランダ時代のレンガが残る。日本統治時代に発掘されている。


鄭成功受降圖 (赤崁樓)
いずれも民國95年11月27日撮影

台南は台湾最古の街だそうで見所も多いようだが、観光はここにとどめて、この後は台南の味を求めることにする。 (つづく)