久し振りの「献血劇場」に行ってまいりました(笑)。
お題は「クローバーフィールド」です。
ネタバレお構いなし、なので、ご注意を!
内容は、えーと、
「何かが現れ、それから逃げ惑ったりしながら、恋人を助けようと頑張ったけど、結局、やられちゃった」
という話です。ナンノコッチャ?
ストーリー的にはそうとしか言いようがありません。
最初の数分で、(映像の)ラストがどういう感じになるか、大体、推理できますしね。
手持ちカメラの映像、ビデオテープ(!?)一本分の映像を編集もなしにだらだら流すと言うスタイルを取っています。
むかし、スリラー映画で、こんなのあったけど、なんてタイトルだったっけ?
とにかく、画面がブレまくりで、劇場公開当時、船酔いに似た症状を起こす人が続出、というニュースを思い出しました。
献血ルームのモニターは、そんなに大きくないので、その辺は大丈夫でした。
で、感想はと言うと、「意欲とアイデアは面白い」と言うのが第一です。
「そんな時に、カメラ回す余裕あるのか!?」
「そんな理由で、一緒に行動するか?」
とか、突っ込んじゃうシーンもあったりしますが、製作者側のギリギリの妥協線を探る姿勢も感じられます。
主人公の行動、最初は「オイオイオイ」と思いもしましたが、もし、自分の家族が同じような状況になったら、行くかも? と、今では思います。
作品中、逃げ回る相手「怪獣?」の姿がはっきり映し出されず、何から逃げてるのかも判りません。
最後近くになって、その全体像らしき物も出るのですが、何かよく判らない物体(生き物)という印象しか判らず、さっぱり判りません。
ただ、人間を食べるという事はわかる。ぐらい。
とにかく、なにがなんだかわからない映画です。
でも、怪獣映画で、逃げ回っている人たちは、一人一人、そんな感じで逃げ回っているんじゃないか? と思わせます。
そして、観客にも、何一つ説明しません。謎は謎のまま。
実は、僕は、これが一番良かった。
これを言っては顰蹙を買うかもしれませんが、過去、大事件や犯罪、惨事に巻き込まれ、命をなくされた方々は、きっとこんな感覚でお亡くなりになったんじゃないか? それを感じさせられるからです。
何がなんだか判らない。誰に聞いても答えてくれない。誰も助けてくれず、わけも判らず全てが終わる無情観。
製作側は、それを表現したかったんじゃないかな?
だから、続編とかもないでしょうね。
ただ、僕は、この感覚を以前にもどこかで味わったんですよ。
それが何かなあ? と思っていたんですが、藤子・F・不二雄さんの短編集で、”この世の終わりを表現した映画”を競い合う、と言う短編を思い出しました。
その短編のタイトルは忘れたのですが、「日常が延々と映し出されて、最後に一瞬白くなって終わる」映画が流れます。
参加者から「唐突」「説明不足」と、他の人に散々酷評されるのです。
「解っていない! 終わりは、日常生活に唐突訪れるんだ!」
と製作者が発言すると、「ピカッ!」っと光って短編自体が終わる。
そんな話でした。
その読後感と似てましたね。
実は、この中に出てくる怪獣(?)には、あんまり恐怖を感じないんですよ。映像からは。
むしろ怖かったのは、ポトポト落ちて人間を襲う、チビ怪獣(?)のほうが怖かった。と言うか気持ち悪い。
「エイリアン」とか、「スターシップトゥルーパーズ」「アイ、ロボット」なんて見てると、アメリカの映画って、同じような生物、物体がウヨウヨ出てきて、多勢に無勢で襲われる事に恐怖心を持ってるのかな?
これはベトナム戦争の影響だって論を、以前、読んだ気がしたけど、どうなんだろう?
日本じゃ、ゴジラの体から、ボトボト、小さい怪獣が出てくる、卵を大量に産む。とか言う感覚は出ないだろうからなあ。
とにかくでかい物に、力ずくで押しつぶされる。と言うのが、日本人の恐怖なのだろうか? そうすると太平洋戦争の影響? …どうだろう?
お題は「クローバーフィールド」です。
ネタバレお構いなし、なので、ご注意を!
内容は、えーと、
「何かが現れ、それから逃げ惑ったりしながら、恋人を助けようと頑張ったけど、結局、やられちゃった」
という話です。ナンノコッチャ?
ストーリー的にはそうとしか言いようがありません。
最初の数分で、(映像の)ラストがどういう感じになるか、大体、推理できますしね。
手持ちカメラの映像、ビデオテープ(!?)一本分の映像を編集もなしにだらだら流すと言うスタイルを取っています。
むかし、スリラー映画で、こんなのあったけど、なんてタイトルだったっけ?
とにかく、画面がブレまくりで、劇場公開当時、船酔いに似た症状を起こす人が続出、というニュースを思い出しました。
献血ルームのモニターは、そんなに大きくないので、その辺は大丈夫でした。
で、感想はと言うと、「意欲とアイデアは面白い」と言うのが第一です。
「そんな時に、カメラ回す余裕あるのか!?」
「そんな理由で、一緒に行動するか?」
とか、突っ込んじゃうシーンもあったりしますが、製作者側のギリギリの妥協線を探る姿勢も感じられます。
主人公の行動、最初は「オイオイオイ」と思いもしましたが、もし、自分の家族が同じような状況になったら、行くかも? と、今では思います。
作品中、逃げ回る相手「怪獣?」の姿がはっきり映し出されず、何から逃げてるのかも判りません。
最後近くになって、その全体像らしき物も出るのですが、何かよく判らない物体(生き物)という印象しか判らず、さっぱり判りません。
ただ、人間を食べるという事はわかる。ぐらい。
とにかく、なにがなんだかわからない映画です。
でも、怪獣映画で、逃げ回っている人たちは、一人一人、そんな感じで逃げ回っているんじゃないか? と思わせます。
そして、観客にも、何一つ説明しません。謎は謎のまま。
実は、僕は、これが一番良かった。
これを言っては顰蹙を買うかもしれませんが、過去、大事件や犯罪、惨事に巻き込まれ、命をなくされた方々は、きっとこんな感覚でお亡くなりになったんじゃないか? それを感じさせられるからです。
何がなんだか判らない。誰に聞いても答えてくれない。誰も助けてくれず、わけも判らず全てが終わる無情観。
製作側は、それを表現したかったんじゃないかな?
だから、続編とかもないでしょうね。
ただ、僕は、この感覚を以前にもどこかで味わったんですよ。
それが何かなあ? と思っていたんですが、藤子・F・不二雄さんの短編集で、”この世の終わりを表現した映画”を競い合う、と言う短編を思い出しました。
その短編のタイトルは忘れたのですが、「日常が延々と映し出されて、最後に一瞬白くなって終わる」映画が流れます。
参加者から「唐突」「説明不足」と、他の人に散々酷評されるのです。
「解っていない! 終わりは、日常生活に唐突訪れるんだ!」
と製作者が発言すると、「ピカッ!」っと光って短編自体が終わる。
そんな話でした。
その読後感と似てましたね。
実は、この中に出てくる怪獣(?)には、あんまり恐怖を感じないんですよ。映像からは。
むしろ怖かったのは、ポトポト落ちて人間を襲う、チビ怪獣(?)のほうが怖かった。と言うか気持ち悪い。
「エイリアン」とか、「スターシップトゥルーパーズ」「アイ、ロボット」なんて見てると、アメリカの映画って、同じような生物、物体がウヨウヨ出てきて、多勢に無勢で襲われる事に恐怖心を持ってるのかな?
これはベトナム戦争の影響だって論を、以前、読んだ気がしたけど、どうなんだろう?
日本じゃ、ゴジラの体から、ボトボト、小さい怪獣が出てくる、卵を大量に産む。とか言う感覚は出ないだろうからなあ。
とにかくでかい物に、力ずくで押しつぶされる。と言うのが、日本人の恐怖なのだろうか? そうすると太平洋戦争の影響? …どうだろう?