朝夕もすっかり涼しくなり、自転車で走るには絶好の季節になりました。
で、実際に買うとは思いませんが、違う自転車に乗りたいという欲求もあって、自転車雑誌を拾い読みしてみたんです。
が、以前にも書いたと思うんですが、やっぱり自転車雑誌の記事の書き方が、上から目線で書かれてるような気がしてしょうがない。
「自転車みたいな良いものに乗らないなんて、バカだろう」
と言われてるような気がしてしょうがない。
身近で自転車を趣味にしてる人に、そんな人はいないのに・・・。これはいったいどういう事だろう?
まあ、これは思い込みだろうという事になっていたのですが、これを裏付けるような事が二つ有りまして、今回、また投稿した次第です。
まず、一つ目、深夜番組(?)の「アメトーク」で、自転車芸人の特集が有ったんですけど、その中で、一人のB級芸人が、ママチャリ(この言い方嫌いだなあ)に乗ってる小島よしおを捕まえて、「彼を仲間に入れたくない」って言い放ったんですよね。
「うわー、すげー上から目線」
と思ったんです。
芸人相手だから、番組だから。ではなく、彼は普段から、自分が乗っているのはただの自転車じゃなく、特別なものなんだ。と、大衆実用車(ママチャリの言い換え)に乗ってる人達を、内心で見下しているんだろうな。と思わせるには十分な態度でした。
この芸人、新聞配達や通勤、通学、仕事にも使われる「自転車」という広い括りで捉えられたくないんでしょう、きっと。
「俺が乗ってるのはロードバイクで、自転車なんて軽い響きで呼ばれたくない」こう思ってるんじゃないかな?
そんなに高い、高性能の自転車に乗ってるのが偉いのか? と。
これがごく一部の人だとしても、二つ目。
コミックの「アオバ自転車店」の新刊の後書きで、「最近、一部の人に、公道で特別な存在だと思っているような人がいる」と言うような事が書かれていて、「あ、この方も同じような感想を持ってる」という事があったんです。
こういう感覚に似てるのは、他にはワインですね。
以前は自動車もそういう空気が強かったんですけど、若年層の車離れが進んでいる昨今では「フェラーリに乗ってる。だから?」という空気も出てきて、多少薄まっている気がします。
思うに、趣味の世界と言うものが拡大し一般化する過程の一時期に、こういう空気ってものが生まれるんじゃないかな?と思うんです。
まあ、そういう一部の勘違い野郎は放っておくとして、雑誌が上から目線と感じるのは何故なんだろうと考えるわけです。
一つ考えられるのは、日常の道具として使っている人達は、そんなに雑誌なんて熱心に読みません。
熱心に読むのは、スポーツとしてやりこんでる人たちのような気がします。
そうなると執筆者というのはコーチ役みたいになるんですから、上から目線となるのもしょうがないかな? という気はします。
ただ、ある書籍の帯で見つけた「100kmは日常、200kmは当然云々。三年後にはあなたもなる」というような推薦文。
いくらなんでも、そりゃ言いすぎだ。
で、実際に買うとは思いませんが、違う自転車に乗りたいという欲求もあって、自転車雑誌を拾い読みしてみたんです。
が、以前にも書いたと思うんですが、やっぱり自転車雑誌の記事の書き方が、上から目線で書かれてるような気がしてしょうがない。
「自転車みたいな良いものに乗らないなんて、バカだろう」
と言われてるような気がしてしょうがない。
身近で自転車を趣味にしてる人に、そんな人はいないのに・・・。これはいったいどういう事だろう?
まあ、これは思い込みだろうという事になっていたのですが、これを裏付けるような事が二つ有りまして、今回、また投稿した次第です。
まず、一つ目、深夜番組(?)の「アメトーク」で、自転車芸人の特集が有ったんですけど、その中で、一人のB級芸人が、ママチャリ(この言い方嫌いだなあ)に乗ってる小島よしおを捕まえて、「彼を仲間に入れたくない」って言い放ったんですよね。
「うわー、すげー上から目線」
と思ったんです。
芸人相手だから、番組だから。ではなく、彼は普段から、自分が乗っているのはただの自転車じゃなく、特別なものなんだ。と、大衆実用車(ママチャリの言い換え)に乗ってる人達を、内心で見下しているんだろうな。と思わせるには十分な態度でした。
この芸人、新聞配達や通勤、通学、仕事にも使われる「自転車」という広い括りで捉えられたくないんでしょう、きっと。
「俺が乗ってるのはロードバイクで、自転車なんて軽い響きで呼ばれたくない」こう思ってるんじゃないかな?
そんなに高い、高性能の自転車に乗ってるのが偉いのか? と。
これがごく一部の人だとしても、二つ目。
コミックの「アオバ自転車店」の新刊の後書きで、「最近、一部の人に、公道で特別な存在だと思っているような人がいる」と言うような事が書かれていて、「あ、この方も同じような感想を持ってる」という事があったんです。
こういう感覚に似てるのは、他にはワインですね。
以前は自動車もそういう空気が強かったんですけど、若年層の車離れが進んでいる昨今では「フェラーリに乗ってる。だから?」という空気も出てきて、多少薄まっている気がします。
思うに、趣味の世界と言うものが拡大し一般化する過程の一時期に、こういう空気ってものが生まれるんじゃないかな?と思うんです。
まあ、そういう一部の勘違い野郎は放っておくとして、雑誌が上から目線と感じるのは何故なんだろうと考えるわけです。
一つ考えられるのは、日常の道具として使っている人達は、そんなに雑誌なんて熱心に読みません。
熱心に読むのは、スポーツとしてやりこんでる人たちのような気がします。
そうなると執筆者というのはコーチ役みたいになるんですから、上から目線となるのもしょうがないかな? という気はします。
ただ、ある書籍の帯で見つけた「100kmは日常、200kmは当然云々。三年後にはあなたもなる」というような推薦文。
いくらなんでも、そりゃ言いすぎだ。