人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

大関 豪栄道の引退

2020年01月30日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

大関 豪栄道が引退した。私は特別なファンでは無かったが、あの土俵上での振る舞いや面構えは、威風堂々とした立派な大関だった。

大関からの勝敗は目を見張る程のものでは無かったが、男の生きざまを見せつけた、印象に残る大関だった。8勝9勝の決して強いとは言えない大関であったが、引き際も男の美学を貫いた。

親方によると「痩せ我慢の美学を大事にし、決して弱音を吐かない男のど根性を誰よりも持っていた男だ」と語っている。本人も「痩せ我慢を他人に見せない様にと言うのが心にあって」と語っている。

今は、スポーツ界でもパワハラが大きく取り上げられる時代になったが、「この大関は今何を思うのだろうか」

指導や教育、根性や努力など、境目が分かりずらくなってきている今の時代に、豪栄道の美学は世の人々にどんな風に受け止められているのだろう

大いに称賛されるべき美学であると思うのだが・・・・・大関昇進時の口上で「武士道」と言う言葉を使っているが、最後の散り際までこれをつらぬいたお見事お疲れ様でした。

記録らしい記録は無く怪我に泣かされたが、それでも「自分が弱いから負けた」と言い訳をしない。しかし、そんな思いは最後の最後に大輪の花を咲かせた。豪栄道らしい散り際であった。アッパレである

しかし、これも師匠の親方との信頼関係があってこそ成り立つものであろう親方もアッパレである。お見事

今風に言えば、怪我をすれば病院に行けばよい。痛ければ痛いと言って休めばいい。休ませないのは親方が悪い。これはパワハラだ。と言う事か

日本中に一石を投じた豪栄道の今後の活躍に期待したい

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久しぶりの知人と会話

2020年01月30日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

先日の夜9時ごろに携帯電話のベルが鳴った。私の携帯は仕事も兼ねているので、何かのトラブルか?と思い緊張が走った。

携帯の画面を見ると大学時代の同級生からであった。もう10年以上は会話をした事は無かったので、驚いた。彼は滋賀県大津市の出身で、隣の京都山科で診療所を経営している。

その日は、滋賀県連の大学のB会が開催されていて、自身が会長を務めていると言う。学生時代は、彼は日本拳法部に所属していて、私は少林寺拳法と部活の違いはあったが、仲良く付き合っていて、城崎の湯楽にも数回宿泊した事もあった。

懇親会の途中で、参加者の先輩がこの度、城崎温泉に行くと言う話を聞いて、「私の同級生が、湯楽と言う旅館を経営していますよ」と言ったところ、偶然にも先輩の予約先も湯楽であった事から、彼から連絡があったと言う訳である。

電話ではあるが、昔話に花が咲き長電話になってしまった。引き続き私の部活の3級後輩に電話を代わってもらい、これまた長電話になってしまった。

大津と城崎で、遠距離ではあるが、偶然が重なって久々の電話OB会となった。又の再会を約束して電話を切った。

先輩の宿泊当日を確認し、面会に伺った。勿論の事ではあるが、5級ほど先輩で在学中に出会う事は当然無いが、同じ出身大学と言うだけで、直ぐに打ち解け握手を交わした。御年配の御両親と本人御夫婦、子供3人の7人での宿泊であった。昔話に花が咲き、当時を懐かしく思い出させる。

この先輩は、部活はされておらず、武道系の学生は怖かったと苦笑いをされていた。ユラクの社長が事前に挨拶をしてくれていたお陰で、私の様子もご理解されていた。ご両親とも話が弾み、食事中にも関わらず立ち上がっての長話になってしまった。大津へのお誘いも受けて、楽しい一時となった。

ご丁寧に、私や社長や社員に、それぞれお土産を持参していただき感謝している。学友と言えるかどうかは分からないが、同じ大学と言うだけで、何年も前からの知り合いの様に打ち解けた。ありがたい事である。

翌日、朝9時30分にお礼の電話を入れると、今から出発されるそうで、再会を約束した。

皆さんご無事に帰られた事をお祈りします。お疲れ様でした。

では又ね

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