ようこそ
楽しみにしていた、お正月がやってきた。令和2年1月1日だ
とは言え、我が家は既に子供たちはそれぞれに独立して、近くではあるが別所帯。87歳の義母と私64歳、妻63歳の高齢3人家族で、静かな夜明けだ。隣に長男家族が住んでいるが、朝9時に新年の挨拶に孫3人を連れて夫婦でやってきた。一気に賑やかになり、正月らしくなってきた。走り回る孫。ひっくり返り泣いている孫。7人が集まり、新年の挨拶を交わした。今年も元気にすくすくと育ってくれる事を願わずにはいられない。
その後、高齢となって居る私の実家に移動し、兄弟や甥姪やその子供達と新年の挨拶を交わし、大量の御馳走を頂いた。4時ごろ解散し、私達夫婦は、初詣に近くの神社にお参りし、楽しかった元旦の夜も更けた。
翌日、2日には、これも恒例となって居る我家への子供たちの里帰り。3家族がやってきた。孫は全員で7人。総勢16人が集合し、新年の挨拶を終えた。一番上の孫は、今年から小学4年生、次いで2年生、1年生と続く。その下に4歳と3歳、2歳が二人。少子化が嘘のような賑やかさだ。
普段は、静かな我が家も年に一度はお祭り騒ぎの大騒動。一時間もすると義母は疲れ果ててしまったが、自分の部屋も孫達に占領されているので、休む事も出来ずに座ったままの居眠り。少し私が御神酒を飲ませすぎたのかも知れないが・・・
今年は、孫達も少し大きくなってきたので、100円ショップでビンゴゲームやお手玉など、色々と企画してくれて、より一層のはしゃぎ具合となった。先に景品を奪い取る者。取られて泣く者。喧嘩している者。賑やかこの上ない戦争状態だ。付き合わされて、私も妻もダウン。
一年経つと本当に子供たちは大きくなり、成長しているが、その分だけ自分たちが、歳を重ねていると言う事か・・・・
楽しい一時も5時で解散となった。一家族ずつ車で帰路に着く。最後に隣の長男家族が帰宅し、普段の静けさを取り戻した。頑張って、張り切って準備してくれた妻に感謝、感謝である。さぞ、孫達も楽しい一時を過ごしたに違いない。
残されたのは、普段の高齢者3人。義母がポツンと言った「この年になると、朝、目が覚めるとホットします」と。87歳と言う年齢は、そんな思いで日々を過ごしているのか。何とも感慨深い一言だ。また来年もこんな日が来ることを願わずにはいられない。
夜も更け、年賀状に目を通すと多くの人からいただいた年賀状の中に6枚ほど、目を留める年賀状を見つけた。「昨年は入退院の繰り返しで、年末に退院しました」「年末から体調をくずして、病院で年越しとなりそうです」「年末から闘病生活が始まりました」など、悲しい知らせの年賀状。早速、携帯に電話を入れたが、繋がらなかった。
私は、闘病中とは言え、このように元気で楽しい一時を過ごしているのに、申し訳ない気持ちとお気の毒にの思いが交差する。皆さん多少の年齢差はあるが、同世代の人たちだ。そんな年代なのかも知れない。お大事になさってください。
会社は、4日まで休業しているが、気になって出勤してみると、葬儀の関係の仕事の依頼のファックスが、どんどん溜まっている。これは急がねば4日には間に合わない。お悔やみは、正月も待ったなしの仕事だ。直ぐに手配をして、4日に備えた。5日も葬儀関係で、一杯になった。
入退院を繰り返す人。自宅療養の人。入院での年越しの人。お正月のお悔やみの人など、不運は待ってくれない。これも運命か
さて、私は今年もフル稼働で頑張ろう。想いを新たにする正月であった。
では又ね
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