人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

お正月

2020年01月05日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

楽しみにしていた、お正月がやってきた。令和2年1月1日だ

とは言え、我が家は既に子供たちはそれぞれに独立して、近くではあるが別所帯。87歳の義母と私64歳、妻63歳の高齢3人家族で、静かな夜明けだ。隣に長男家族が住んでいるが、朝9時に新年の挨拶に孫3人を連れて夫婦でやってきた。一気に賑やかになり、正月らしくなってきた。走り回る孫。ひっくり返り泣いている孫。7人が集まり、新年の挨拶を交わした。今年も元気にすくすくと育ってくれる事を願わずにはいられない。

その後、高齢となって居る私の実家に移動し、兄弟や甥姪やその子供達と新年の挨拶を交わし、大量の御馳走を頂いた。4時ごろ解散し、私達夫婦は、初詣に近くの神社にお参りし、楽しかった元旦の夜も更けた。

翌日、2日には、これも恒例となって居る我家への子供たちの里帰り。3家族がやってきた。孫は全員で7人。総勢16人が集合し、新年の挨拶を終えた。一番上の孫は、今年から小学4年生、次いで2年生、1年生と続く。その下に4歳と3歳、2歳が二人。少子化が嘘のような賑やかさだ。

普段は、静かな我が家も年に一度はお祭り騒ぎの大騒動。一時間もすると義母は疲れ果ててしまったが、自分の部屋も孫達に占領されているので、休む事も出来ずに座ったままの居眠り。少し私が御神酒を飲ませすぎたのかも知れないが・・・

今年は、孫達も少し大きくなってきたので、100円ショップでビンゴゲームやお手玉など、色々と企画してくれて、より一層のはしゃぎ具合となった。先に景品を奪い取る者。取られて泣く者。喧嘩している者。賑やかこの上ない戦争状態だ。付き合わされて、私も妻もダウン。

一年経つと本当に子供たちは大きくなり、成長しているが、その分だけ自分たちが、歳を重ねていると言う事か・・・・

楽しい一時も5時で解散となった。一家族ずつ車で帰路に着く。最後に隣の長男家族が帰宅し、普段の静けさを取り戻した。頑張って、張り切って準備してくれた妻に感謝、感謝である。さぞ、孫達も楽しい一時を過ごしたに違いない。

残されたのは、普段の高齢者3人。義母がポツンと言った「この年になると、朝、目が覚めるとホットします」と。87歳と言う年齢は、そんな思いで日々を過ごしているのか。何とも感慨深い一言だ。また来年もこんな日が来ることを願わずにはいられない。

夜も更け、年賀状に目を通すと多くの人からいただいた年賀状の中に6枚ほど、目を留める年賀状を見つけた。「昨年は入退院の繰り返しで、年末に退院しました」「年末から体調をくずして、病院で年越しとなりそうです」「年末から闘病生活が始まりました」など、悲しい知らせの年賀状。早速、携帯に電話を入れたが、繋がらなかった。

私は、闘病中とは言え、このように元気で楽しい一時を過ごしているのに、申し訳ない気持ちとお気の毒にの思いが交差する。皆さん多少の年齢差はあるが、同世代の人たちだ。そんな年代なのかも知れない。お大事になさってください。

会社は、4日まで休業しているが、気になって出勤してみると、葬儀の関係の仕事の依頼のファックスが、どんどん溜まっている。これは急がねば4日には間に合わない。お悔やみは、正月も待ったなしの仕事だ。直ぐに手配をして、4日に備えた。5日も葬儀関係で、一杯になった。

入退院を繰り返す人。自宅療養の人。入院での年越しの人。お正月のお悔やみの人など、不運は待ってくれない。これも運命か

さて、私は今年もフル稼働で頑張ろう。想いを新たにする正月であった。

では又ね

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