人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

ある仔猫のこと

2012-01-07 02:26:20 | 随想
 子供の頃に、最初に猫といういきものに出会った思い出を、わたしはこれまでなんとなくこころの小箱に入れ、鍵をかけていた。それは正面から考える姿勢に対して、ある疾しさを感じているからにちがいなかった。しかし今夜はその鍵を開けてみる気になった。
 ――そのとき、わたしはおそらく七歳か八歳で、八帖の洋間で就寝していた。その部屋はわたしにあてがわれた部屋ではなく、ふだんはリビングのように使っていて、寝るときにだけそこに布団を敷いていた。どちらかといえば貧しい家庭で、五人の家族が、小さな部屋ばかりが五つほどの長屋の借家に暮らしていた。
 ある日、叔母がどこかから仔猫をもらいうけてきた。生後二、三か月ほどではなかったかと思われる。うす茶色のトラ猫で、尻尾が長くて、幼いながらも整った姿態をしていた。仔猫は昼頃に家に連れられてきて、元気よく動きまわっていた。おそらくは日曜か祭日だったのではないのだろうか、わたしは仔猫が来たときをぼんやりと憶えているので、学校が休みの日だったはずである。
 わたしは猫といういきものを間近に見て、しかも直に手で触ったりするのは、このときがはじめての体験だった。だがこの頃のわたしは、あまり猫といういきものに強い関心がなかった。というよりも、気持ちの準備のないままにいきなり出現した仔猫を前にして、わたしは戸惑っていた。だからこの日、仔猫と過ごした時間そのものに、あまり具体的な描像がともなっていない。ただわたしは、仔猫とすこしずつ友だちになろうとしていたし、その幼い身振りを可愛らしく感じていて、この仔猫と過ごすことになる毎日に対する期待もおぼえていた。

 さてその夜から、仔猫はわたしと寝ることになったのだが……。八帖の洋間に布団を敷いて、わたしはまだ名前のない仔猫を抱いたり、撫でたりした。
 季節は秋で、夜は冷え込んでいた。親に言われるまま、わたしは掛け布団を使っていたが、実はたいへんな暑がり屋で、冬でも布団にくるまっているとびっしょりと汗をかく体質だった。――いまでもわたしは一年中、およそ靴下をはかずに過ごしているほどである。冬には暖房をつけるが、その中でわたしはトランクスとTシャツでいることが多い。――すぐに眠りがやってくることは比較的すくなく、たいていの夜を、わたしは物思いにふけりながら悶々としていた。寝つきがわるいということには病的なところがあり、寝静まった家の中で暗闇を見つめていると、次から次へとイメージがわいてきて、気持ちの収集がつかなくなるのである。
 わたしは仔猫をかまいながら、その夜もすぐには寝つけなかった。暗闇の中で、仔猫の目は小さな果実のようにふくらんで、無邪気に這いまわり、尻尾を振ってわたしの指を甘噛みしたりした。首を振るときの振動で自分のからだが動いてよろめいたり、動作のはじめにか細い声で鳴いて勢いをつけているらしい様子が、ひどくいたいけだった。仔猫はこの夜わたしといっしょの部屋に閉じ込められることさえなければ、まだ生きるよろこびの実感を享受することができただろう。
 やがてわたしは眠りに落ちた。――寝相のわるいわたしの手足が、ときどき理不尽な暴力を行使するのを、無防備な仔猫はどう思っただろう。自分の生死を決定づける出来事が、一方的に展開し、それが覆らないことの不合理を、当然そんなことを認識する知性すらない情緒的な部分は、どのような苦しみとともに耐えたのだろう。
 朝になって目ざめたわたしは、ちょっと首をめぐらせば、仔猫がこころを弾ませて寄ってくると思っていた。だがわたしが見たものは、こんがらがった布団の中から、うっすらと口に血を滲ませて冷たくなっているしかばねだった。お尻から漏れた軟便はまだ乾いていなかった。わたしは事態を認識して、仔猫のしかばねにちょっと恐怖をおぼえた記憶がある。

 仔猫の遺体は名前もないまま叔母によって処分された。それ以降、仔猫のことは話題にならなかった。この世界の現象を統括する法則の起源はどこにあるのだろうか。わたしはやがてそのことを忘れた。ときどき思い出すこともあるが、すぐにまた忘れた。当時のわたしは、たとえ動物の小さな生命とはいえ、そしてその生命を死にいたらせたことに故意や悪意がなかったからといって、わたしが罪に問われないことから「見えてくる」ものがあり、それが私を傷つけた。
 子供の頃のわたしのこころのなかには、まだ思い出と呼べるようなものは何もなかったといっていい。わたしの人生はまだ始まったばかりで、やがてそこに人々の身振りや表情、言葉や声が、それぞれに独特の印象を帯びてとどまるようになることを、わたしはまだ気づいてもいなかった。仔猫の死は、そうした思い出の、いちばん最初にわたしのこころに滞留した「何か」となった。あの仔猫の無邪気で無防備な可愛らしさと、そのいのちの本質が決して幼いわたしを赦さないこととが、わたしの中では矛盾することなく併存している。














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