人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

ドリルが貫通した指の傷について

2015-07-03 02:25:29 | 日記
 日記の記録を確認してみると、それは4月17日の午後のことだったと知れる。すでに2か月半が過ぎようとしている。
 その日、わたしはエクステリアの施工で長野県下諏訪の現場にいた。
 仕事は順調にすすんでいたが、ちょっとした気のゆるみがあったのだろう。
 アルミの材料に左手を添えて、右手に持ったドリルで、下穴を開けているときだった。予想外の勢いで、突風が吹いた。わたしは材料の上に水平器を乗せて、位置を確定したところでドリルを回転させ、材料に鉄鋼ドリルのキリを貫通させるところだった。だが、突風のため水平器が飛ばされて、右手の電動ドリルの上に落ちてきたのである。
 ――最初、何が起こったのか、理解できなかった。気づくと、わたしは高速で回転する鉄鋼ドリルのキリが、自分の左手人差し指の骨を貫き、肉のミンチを噴き上げながら、鮮血を撒き散らしているのを、ぼんやりと眺めていた。鉄鋼ドリルの刃先は、骨で抵抗を受けたようで、一瞬弾かれるようにぶれて、指を突き抜けるときに楕円状に貫通口を押し広げ、そのことが傷口を大袈裟なものにしていた。
 キリの径は3.8mmと比較的に細く、これがもし5mmとか6mmのものであったら、指先は吹き飛ばされていたかもしれない。
 わたしは咄嗟に左手を頭上高くにかかげ、できるだけ出血を少なくしようとした。だが、その体勢のままでいるわけにもいかず、結局は現場に夥しい流血の痕を残しながら、作業をつづけた。出血を少なくするためにできることは、せいぜいゴムバンドで指の根元をくくることくらいだった。
 材料に下穴を開け、ビスで固定して、収まりの水平と垂直を確認する。それを繰り返しながらも、噴き出す血が止まらず、何度もバケツに水を汲んで流した。
 ちょっと客観的に眺めてみると、流血のさまはどこかしら暴力事件の現場の様相であるが、わたしは自分が決めた時間まで作業をつづけ、時間がくると道具を片づけた。ホテルへの帰途で、オキシドールを買い、傷口を消毒した。そしてバンドエイドを巻いたが、それはたちまち血で赤く染まった。――7月になった今日まで、傷口に処置らしいことをしたのは、そのときだけである。医者に行っていないし、薬らしいものも、いっさい使用していない。
 なぜそんなに無関心なのかと問われると、説明に窮するが、ひとことで言えば、こうする以上のことが、すべて面倒くさいのである。「トカトントン」なのだ。
 傷口は、外形的に穴が塞がるのは早かったが、痛みはなかなか収まらず、いまでも神経に障るような痛みがあり、慣れることはない。
 ただ、今日の午後、はじめて人差し指の痛みを、ふと確認しなければ、それと判別できないような、曖昧な瞬間を経験したので、これはいい兆候ではないか、と思ったわけである。

 怪我をした直後、わたしは長野県の現場から埼玉県の現場へと移動し、顔を出せば世間話もする何人かのお客さんに、傷口を見せてドリル刃が肉のミンチを撒き散らす様子をリアルに解説して、得意顔であったかもしれない。
 お客さんらは、よくもまぁ菌に感染しないものだと感心していた。その後何度も通う現場も含まれていたので、傷の治り具合を挨拶がわりにするお客さんもいた。
 わたしはこの傷を負ってからいままでのあいだ、片時もそのことが意識を離れたことがない。大袈裟には感じないが、無視もしていない。しかしつらつら思うのは、痛みというものは、ある段階を超えると、直截に精神に訴えかける「何か」であるということだ。もちろんそれは快感とは程遠い。いやむしろ陰険な揶揄といってもいい。最悪の場合、切断しなければならないかもしれない。その可能性に、わたしは自分の覚悟を重ねている。

 わたしはこの傷によって、自らの人生に閉塞されている。傷を負ったときの状況をあれこれと分析して、なぜもっと注意しなかったのかと嘆くのは、おそらく本質的な問題ではない。あえていえば、恣意的な出来事に愚弄されているちっぽけなニンゲンの「幸不幸」などに溜息をついてばかりいないで、もっと現実的で突破的な考え方を手に入れるべきである。――それは日常のどんなことにでも敷衍できると思える。

【追記/09-15】
 上記の内容について、若干の補足をしておきたい。
 回転する電動ドリルが貫通したのは、左手親指の第一関節で、その中央を掌側から甲の方へ突き抜けた。最初わたしは、派手に噴き上げる肉のミンチや傷口の大きさから推測して、鉄鋼キリは指の骨に当たってからその脇を抜けたのだろうと思っていたが、最近になって指の関節を貫いたのかもしれないと思うようになった。
 それは指の曲げ伸ばしに不自由を感じることと、いつまでも治らない外見上の変形を見て思うことである。

 つらつら思うに、清潔とはいえない現場の環境を考えると、よく雑菌などに感染しなかったものである。そのことを、もしかしたら、不幸中の幸いだったと感じるべきかもしれない。痛みなどというものは、わたしがかつて10年間にわたって患った「奇病」のことを思うと、いかほどのものでもない。

 先日、車両保険の更新のために訪れた担当者も、この傷の内容からして、傷害保険を使わないヒトを聞いたことがないと言っていた。わたしは二つの傷害保険に加入していたが、治療を受けることで補償を得るという考えに、ほとほと面倒臭い気持ちになってしまう。

 7月の日記では「最悪の場合、切断しなければならないかもしれない」と書いているが、いまになるとその心配はまったくない。痛みはかすかなものだが、まだたしかに感じられる。

 ずいぶん昔のことであるが、短い期間、小さな木工所に勤めていたことがある。そこでわたしはNC機械を操作していたのだが、ある日、脇のテーブルソーで工場長が何か急ぎの加工をしていた。わたしの視界に入らないすぐ横だったが、突然大きな音がして、たちまち周囲に「赤い色」のシャワーが舞った。見ると工場長が片腕を抑えて蹲っていた。彼は手に添えた木材ごと、同時に四本の指を飛ばしてしまったのである。
 わたしたちは急いで木くずの中から切断された指々を拾って、救急車を要請したが、結局一本として指はつながらなかった。

 この職場でわたしはプレス機に片手を引きこまれたことがある。合板に接着剤をつけて、たしか20mmくらいに圧着する機械で、そのローラーに手がひっかかったのだ。軍手はしていなかった。――いまでもはっきりと覚えているのだが、そういうことを面白がる心理が無意識のうちに、記憶を誇張しているのかもしれない。わたしの片手は、プレス機をきしませて、ひどい痛みとともにローラーの中から引き抜くと、手首からさらに10㎝ほど肘の方にまですっかりペラペラになって、まるで漫画のようだと思った。あわてて勢いよく振ると、これまた漫画のように元通りの厚みに戻った。このときも医者には行かなかったし、後遺症もない。
 顛倒して手の指があり得ない方向に90度以上曲がってしまったり、肩を脱臼して腕全体が背中の方に逃げていってしまったこともある。こうしたことはすべて、わたしの場合、自分でなんとかする範疇に部類している。


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