■「しじミーは、なんだかうれしいと、からだ全体で表現するのです。自然とからだが動いてしまい、それがときとして度を過ぎた興奮ぶりに見えるらしいのです。しじミーはどうしても、いまあることの喜びのために電気に撃たれたようになり、からだに衝動のようなものが突き抜け、ちょっとこの仔ネコさん、悪霊でも取り憑いているのでないかしらん――そんなふうに思われてしまうことすらあるほどでした。
最初のうち、しじミーはそ . . . 本文を読む
■なぜ大変な思いをしてまで、自分で本棚をつくるかといいますと、自分が理想とする書籍の収納形態を実現できたときの達成感が、やはり忘れられないからです。
――市販の本棚は、贅沢な木材を使用した高級品は例外として、棚板の中が空洞になっていて、最低限の強度だけをバーチクルボードなどで補強しているものが多いようですが、あれでは大量の書籍を収納すると、いずれ板が重みで湾曲してきたり、ひどい場合には止め具がは . . . 本文を読む
■詩人でもある小説家スティーブン・ドビンズの長編小説『奇妙な人生』は、おそらくはラテンアメリカの一都市を舞台にしている。
半年に一度、持ちまわりで夕食会を開いている十六人の同窓生のグループを中心にした物語である。
ダニエル・パチーコは中学生の当時からグループのリーダー格で、現在でも外科医として活躍し、裕福な生活を営んでいる。彼らにとっての忘れがたい経験によって、彼らは奇妙な連帯感で結ばれていた。
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■長明の『方丈記』と兼好の『徒然草』について、対比的にまとめて整理しました。
『徒然草』の深さには、つらつら感服しました。
〈『方丈記』と『徒然草』〉_1
〈『方丈記』と『徒然草』〉_2
〈『方丈記』と『徒然草』〉_3
〈『方丈記』と『徒然草』〉_4
〈『方丈記』と『徒然草』〉_5
■『方丈記』と鴨長明
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■長明の生涯と『方丈記』について、まとめてみました。
〈『方丈記』と鴨長明〉_1
〈『方丈記』と鴨長明〉_2
〈『方丈記』と鴨長明〉_3
〈『方丈記』と鴨長明〉_4
■『方丈記』と『徒然草』
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魁罡とは、生日の干から地支をみて、戊戌、庚戌、庚辰、壬辰となるものをいい、とくに日干からみて生月の支に魁罡をひく格式を〈魁罡格〉という。つまり、〈魁罡格〉は月支をみるが、神殺としての魁罡は生日の干と支の関係のみをとり、魁罡が日支に帯びる場合は〈魁罡日生れ〉ともいう。たとえば、日干庚は、生日地支に戌か . . . 本文を読む
■すべての生き物、万象には栄枯盛衰があり、その原理を包括する概念を陰陽五行では「生れた――生きた――死んだ」の三語によって概観し、生・旺・墓として表現する。この原理のなかには当然、輪廻が秘められている。
生・旺・墓の三態を具備しなければ、万物は生々流転、輪廻転生を行い得ない。これが三合の理である。ものごとはすべて、始まりがなければ壮んにならず、壮んになることのうちに終りが兆し、終りなくしては何事 . . . 本文を読む
■ジャイナ教の宇宙観についてまとめてみました。
輪廻している霊魂について、ジャイナ教は「不動のもの――スターバラ」と「可動のもの――トラサ」とを大別し、不動のものは地・水・火・大気・植物などのように感官を一つしか持たず、可動のものは動物・人など感官を二つ以上備えたものと規定します。また物質については、場所を占有する実在体であるとして、色・味・香り・可触性・音性を属性とし、霊魂と同じく無数に存在する . . . 本文を読む
前八世紀、ホメロスは『イーリアス』のなかで「水の神オケイアス」を万物の根源として神格化しました。その二世紀後、哲学者タレスが水そのものを、始源「アルケー」と考え、万物は水でできていると定義しました。
ミレトス学派の始祖、哲学者タレスは、万象に神々が遍在していると考え、水をアルケーとして、大地は水の上に浮かんでいると考えました。イオニア学派の自然哲学では、アルケーは自然――フュシスにおける根本的物質 . . . 本文を読む
■――絵画において表現された画像の神秘的性格は、空間の内面化によって強められます。ことにスルバランのような画家にあってはなおさらです。このような空間は、遠近法の法則によってではなく、むしろ聖なる出来事の内的法則とでもいうべきものに従っているかのようであり、聖なる人物の周囲には神秘的な光が漂い、そこからメタ空間が喚起されることにより、輝く光は静謐な詩情を深めながら画面全体を潤す――。そんなふうに感じ . . . 本文を読む