■画家としては早熟だったダリは、少年期から卓越した写実的描写力と、異様な幻覚的資質を備えていました。12歳で印象派風の点描で描き、1920年には未来派、23年から25年まではデ・キリコの形而上絵画に感化されますが、28年にパリに出てシュルレアリスムの運動に参加、翌29年に最初の個展を開き、フロイトの影響下で夢や幻覚による内面の無意識世界への探求を試みます。《記憶の固執》(1931)にみられる柔らかな時計や、腸詰めのようにまろやかで柔軟な溶解した肉塊、松葉杖、だまし絵(トロンプ・ルイユ)風の錯視による多重像、細密描写の異常なイメージなどへの、特異な幻覚的固執が顕著となり、常識的な外界の秩序を転覆して、幻覚によって意味の象徴性に再解釈の光をあてる手法を、ダリ自身、パラノイアック・クリテイックつまり〈偏執狂的=批判的方法〉と名づけました。絵画の具体性を執拗に要求し、哲学用語によって自発的妄想の体系化を一貫して試み、その非合理な内的宇宙を「一般的には具体的な非合理性と想像される世界を色彩を使って手がきした写真」と自ら解説し、精緻にして克明な描写を展開しつづけました。
30年代後半からはシュルレアリスムを離れて古典主義への傾斜を深めます。40年にアメリカに移住し、第二次大戦後は数度のイタリア旅行でルネサンス絵画の影響を受け、カトリシズムに接近して、現代物理学の原子体系とキリスト教的イコンが混交する神秘主義的ビジョンをアカデミックな技法で開示しています。
ダリの人生で最も重要な出来事は、おそらく1929年夏のガラとの出会いです。ダリがガラのために何が出来るかと訊ねると、ガラは「私を殺して!」と言ったということです。ダリはトレドの大聖堂からガラを突き落とすイメージを抱き、この秘められた欲望が二人を強く結びつけることになりました。
ガラはこの時、詩人ポール・エリュアールの妻でしたが、ダリのパリでの個展の直前にダリと駆け落ちをしています。
このガラとの出会いとその直後の顛末については、1942年にニューヨークで出版されたダリの自伝において著述されています。――ダリはここで、自分は犯罪が「大好物」で、「殺人を決意した私」云々などという言葉を使っていますが、これはもちろんフロイト的な下意識のレベルでの願望と解釈すべきでしょう。
いずれにしても、このダリの唯一にして無二の恋愛事件は、ダリの人生と芸術にとって、きわめて重要な意味をおびることとなります。
〈サルバドール・ダリ〉_1
〈サルバドール・ダリ〉_2
〈サルバドール・ダリ〉_3
・関連資料_0016
・関連資料_0017
・関連資料_0018
・関連資料_0019
・関連資料_0020
・関連資料_0021
・関連資料_0022
・関連資料_0023
・関連資料_0024
・関連資料_0025
・関連資料_0026
・関連資料_0027
・関連資料_0028
・関連資料_0029
・関連資料_0030
・関連資料_0031
・関連資料_0032
■ダリ《イザベル・スタイラー=タス夫人の肖像》
■偏愛的年表

30年代後半からはシュルレアリスムを離れて古典主義への傾斜を深めます。40年にアメリカに移住し、第二次大戦後は数度のイタリア旅行でルネサンス絵画の影響を受け、カトリシズムに接近して、現代物理学の原子体系とキリスト教的イコンが混交する神秘主義的ビジョンをアカデミックな技法で開示しています。
ダリの人生で最も重要な出来事は、おそらく1929年夏のガラとの出会いです。ダリがガラのために何が出来るかと訊ねると、ガラは「私を殺して!」と言ったということです。ダリはトレドの大聖堂からガラを突き落とすイメージを抱き、この秘められた欲望が二人を強く結びつけることになりました。
ガラはこの時、詩人ポール・エリュアールの妻でしたが、ダリのパリでの個展の直前にダリと駆け落ちをしています。
このガラとの出会いとその直後の顛末については、1942年にニューヨークで出版されたダリの自伝において著述されています。――ダリはここで、自分は犯罪が「大好物」で、「殺人を決意した私」云々などという言葉を使っていますが、これはもちろんフロイト的な下意識のレベルでの願望と解釈すべきでしょう。
いずれにしても、このダリの唯一にして無二の恋愛事件は、ダリの人生と芸術にとって、きわめて重要な意味をおびることとなります。
〈サルバドール・ダリ〉_1
〈サルバドール・ダリ〉_2
〈サルバドール・ダリ〉_3
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■ダリ《イザベル・スタイラー=タス夫人の肖像》
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