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人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

鶴屋南北の奇想

2008-07-01 01:21:32 | 日本文学
■鶴屋南北が河原崎座での《天竺徳兵衛韓噺》によって一躍名をあげたのは、文化元年(一八〇四)七月、五十歳のときのことでした。

歌舞伎脚本、世話物五幕の《東海道四谷怪談》は、怪談狂言の代表作というばかりでなく、江戸後期の下層社会の世相と人間の心理を鮮やかに描いた傑作で、お岩さんの髪の毛が抜けて変貌する〈髪梳き〉の描写、彼女が浪人を仏壇の中に引きずり込む〈仏壇返し〉、「堀」の怪異な〈戸板返し〉が鮮やかな世話だんまりに一変する手法、「蛇山」で幽霊の出没する仕掛けなど、洗練された演出が秀逸でした。
七十歳の南北はこの芝居を成功させるために、宣伝活動でも斬新な方法をつかいました。振り袖をくわえた女の生首を描いた大凧を掲げ、楽屋に幽霊が出て役者が病気になったと騒がせるなどして、白装束の役者を厄払いのために神社に通わせているのです。

やがて南北は、文政が天保と改元される前年の十二年(一八二九)十一月、中村座での番付にみずから一世一代と銘うった《金幣猿島郡》を最後の作として引退、その月の二十七日に七十五歳で没しています。葬儀にさいしては、死を予知して書き残しておいた《寂光門松後万歳》と題する摺物を配らせ、自らの手で自分の死を茶化したりもしています。


鶴屋南北の奇想__1


鶴屋南北の奇想__2


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