私はこの二十年間、頻繁に車に乗っている。この期間、あわせて三回ほど、前方の車に追突したことがある。はじめは山梨から東京へ帰る中央道でのことだった。夜、はげしい渋滞のなかで、つい居眠りをしてしまい、低速で前の車にぶつかった。個性的な改造をしているスポーツ車のバンパーをへこませてしまい、このときは警察も呼ばず、その場で一万円ほど支払って謝罪した。その程度のことだった。十年以上前のことである。よくあることかもしれない。
しかし、二度目の追突は、おそらくあまりない経験のはずである。二〇〇六年に、二十三年間生きた猫が死んだ直後のことだった。私は福生市のあたりを走っていて、下り坂に設置された信号で停止した。坂の傾斜をゆるく感じたので、私はブレーキを踏んで、信号が変わるのを待った。そして助手席に置いた本などに手を伸ばし、そちらに気をとらわれていた。おそらく、ブレーキを踏む力が甘かったのだろう。私の車はゆるやかに動きだし、同じく信号待ちをしていた前の車に追突してはじめて、私は前方に目を向けた。私は意外に大きな衝撃を感じたので、前の車――白いステーションワゴン――にもキズがついているはずだと思い、自分の車を脇に寄せようとした。
ところがそのとき、信号が青に変わり、前の車は何ごともなかったかのように、走りだしたのである。何が起こったのか理解できず、私は意識の惰性で車を路肩に寄せたまま、ぽかんとしていた。ステーションワゴンは戻ってこなかった。――ぶつかった箇所の確認もしないで走り出すほど、軽微な追突ではなかったはずである。
この経験はいまでも鮮明な記憶をともなっているが、つい最近、三度目の追突をしてしまったのである。それは先日の選挙の日の午後のことだった。私は国道二四六を走行していて、投票に間に合いたいと思いながら、いくぶんせわしない気持ちでハンドルを握っていた。御殿場を過ぎて、裾野市に近いあたりで、やはり前方の信号が赤になったので、私は減速し、しかし交差点まではまだかなりな距離があったため、ローギアに入れて低速で進みながら、プレーヤーのなかのDVDを入れ替えようとした。この不注意が、前に停まった車との距離感を誤認させた。厭な音がして、衝撃で前の車を弾き出すようにして私の車は停止した。前の車はクリーム色の国産セダンで、運転席に男性がひとりいるのが見えた。きれいな車で、キズや凹みが気にならないような車ではない。信号が青になると、私は車を路肩に寄せたが、前の車はやはり何ごともなかったかのように走り出したのである。私は「またか」と思いながら、走り去る車を見送った。セダンは次の信号を左折して裾野市の方へ姿を消した。
この二度の「追突」が、どうしてこのような結果になったのか、私にはまったく理解できない。ただ大雑把な推測として考えているのは、私の経験はしばしば、因果律が崩壊しているか、転倒しているということである。
追突は二十年間で以上の三回だけだが、実はもうひとつ、奇妙な経験がある。これはつい一ヶ月ほど前のことである。
国道一号線には「道の駅」というSAが何箇所かある。トラックに資材をいっぱい積んで、長距離を走っていたのだが、眠気ががまんできなくなり、夕方近くにその道の駅のSAに入った。そして駐車場で仮眠をとった。やがて雨が降りはじめ、ほどなくするうちに、どしゃぶりとなった。私はまどろみのなかで、腰骨にあたるサイドブレーキが鬱陶しく、これを解除した。そして眠りに落ちた。
――おそろしい平衡感覚の異常に気づいて身を起こしたものの、すぐには事態が理解できなかった。三方のガラスはすべてくもっており、車外の様子もよくわからない。平衡感覚の異常はしばらくつづいて、その果てにはげしい衝撃を感じると同時に、私は先刻サイドブレーキを解除したため、車が動き出したのだろうかと推測した。私が駐車したところは、かなりな勾配地だったのである。私はサイドブレーキを引いて車から出た。
雨は依然としてはげしく降っており、私のトラックはリアから坂を転がり、近くに停車していた大型トラックの前面に衝突したのである。私ははげしい衝撃を感じたが、それが大型トラックにとってはどれほどのものだったのか、推測することはできなかった。いずれにしても、私は雨のなか、大型トラックの脇に立って、運転席から人が出てくるのを待った。しかし、雨が私のからだをずぶ濡れにする以外のことは起こらなかった。ながいあいだ待ってから、私は大型トラックのドアをノックした。だが反応はなかった。
雨足はいよいよはげしくなり、私は途方にくれていた――こわれた因果律のほとりで。
しかし、二度目の追突は、おそらくあまりない経験のはずである。二〇〇六年に、二十三年間生きた猫が死んだ直後のことだった。私は福生市のあたりを走っていて、下り坂に設置された信号で停止した。坂の傾斜をゆるく感じたので、私はブレーキを踏んで、信号が変わるのを待った。そして助手席に置いた本などに手を伸ばし、そちらに気をとらわれていた。おそらく、ブレーキを踏む力が甘かったのだろう。私の車はゆるやかに動きだし、同じく信号待ちをしていた前の車に追突してはじめて、私は前方に目を向けた。私は意外に大きな衝撃を感じたので、前の車――白いステーションワゴン――にもキズがついているはずだと思い、自分の車を脇に寄せようとした。
ところがそのとき、信号が青に変わり、前の車は何ごともなかったかのように、走りだしたのである。何が起こったのか理解できず、私は意識の惰性で車を路肩に寄せたまま、ぽかんとしていた。ステーションワゴンは戻ってこなかった。――ぶつかった箇所の確認もしないで走り出すほど、軽微な追突ではなかったはずである。
この経験はいまでも鮮明な記憶をともなっているが、つい最近、三度目の追突をしてしまったのである。それは先日の選挙の日の午後のことだった。私は国道二四六を走行していて、投票に間に合いたいと思いながら、いくぶんせわしない気持ちでハンドルを握っていた。御殿場を過ぎて、裾野市に近いあたりで、やはり前方の信号が赤になったので、私は減速し、しかし交差点まではまだかなりな距離があったため、ローギアに入れて低速で進みながら、プレーヤーのなかのDVDを入れ替えようとした。この不注意が、前に停まった車との距離感を誤認させた。厭な音がして、衝撃で前の車を弾き出すようにして私の車は停止した。前の車はクリーム色の国産セダンで、運転席に男性がひとりいるのが見えた。きれいな車で、キズや凹みが気にならないような車ではない。信号が青になると、私は車を路肩に寄せたが、前の車はやはり何ごともなかったかのように走り出したのである。私は「またか」と思いながら、走り去る車を見送った。セダンは次の信号を左折して裾野市の方へ姿を消した。
この二度の「追突」が、どうしてこのような結果になったのか、私にはまったく理解できない。ただ大雑把な推測として考えているのは、私の経験はしばしば、因果律が崩壊しているか、転倒しているということである。
追突は二十年間で以上の三回だけだが、実はもうひとつ、奇妙な経験がある。これはつい一ヶ月ほど前のことである。
国道一号線には「道の駅」というSAが何箇所かある。トラックに資材をいっぱい積んで、長距離を走っていたのだが、眠気ががまんできなくなり、夕方近くにその道の駅のSAに入った。そして駐車場で仮眠をとった。やがて雨が降りはじめ、ほどなくするうちに、どしゃぶりとなった。私はまどろみのなかで、腰骨にあたるサイドブレーキが鬱陶しく、これを解除した。そして眠りに落ちた。
――おそろしい平衡感覚の異常に気づいて身を起こしたものの、すぐには事態が理解できなかった。三方のガラスはすべてくもっており、車外の様子もよくわからない。平衡感覚の異常はしばらくつづいて、その果てにはげしい衝撃を感じると同時に、私は先刻サイドブレーキを解除したため、車が動き出したのだろうかと推測した。私が駐車したところは、かなりな勾配地だったのである。私はサイドブレーキを引いて車から出た。
雨は依然としてはげしく降っており、私のトラックはリアから坂を転がり、近くに停車していた大型トラックの前面に衝突したのである。私ははげしい衝撃を感じたが、それが大型トラックにとってはどれほどのものだったのか、推測することはできなかった。いずれにしても、私は雨のなか、大型トラックの脇に立って、運転席から人が出てくるのを待った。しかし、雨が私のからだをずぶ濡れにする以外のことは起こらなかった。ながいあいだ待ってから、私は大型トラックのドアをノックした。だが反応はなかった。
雨足はいよいよはげしくなり、私は途方にくれていた――こわれた因果律のほとりで。