朝礼 平成25年1月19日(土)
テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その3
本日も近江八幡の街は、凍えていました。まだまだ寒さは衰えを知りません。ただ、少し日照時間が長くなってきたのはうれしい限りです。今日は内定者研修の日なのですが、他の仕事が残っておりますのでそれをやっつけます。
本日の朝礼での学びは
1. 第1次世界大戦が始まった1914年から第2次世界大戦がおわった1945年までの31年間は筆舌に尽くしがたいほど悲惨な時代であった。しかし、第2次大戦が終結してから1970年代半ばまでの30年間、自由主義世界はそれ以前とは打って変わって「黄金の時代」(エリック・ボブズホーム『20世紀の歴史』)を享受することができた。世界は久方ぶりに希望に満ち溢れた時代を経験したことになる。「冷戦」は厳然として存在したものの、世界を巻き込んだ20世紀前半の「熱い」戦争の危険は基本的に去っていました。
2. 新自由主義に浮かれた世界はその結果どうなったか。言うまでもなく、リーマン・ショックに端を発する世界的な金融危機の再来でした。そのときになって、政策当局や経済学者はようやく大恐慌時代の記憶を手繰り寄せ、政策当局者たちも昔の記憶を取り戻しました。
そして金融ショックが大恐慌の再来を招かないように、大胆な財政金融政策がアメリカ、ヨーロッパ、日本、中国を先頭に、世界各国で同時発動されました。また、政治の世界に目を向ければ、新自由主義への偏重を改め、国家の役割や公平性をより重視する民主党政権が、奇しくも日米両国で誕生しました。
3. 「黄金の時代」と現代を分かつ最も大きな要素は、地球環境問題という大きな制約に直面していること、東西冷戦がなくなっていること、その結果、中国やロシア、東欧など、東側世界が自由主義に転換し、その結果、グローバル経済の規模が巨大化したこと、さらには、ITを中心とする情報通信革命とそれに伴う著しいグローバリゼーションが進展したことなどです。
4. グローバル化の進展によってグローバル資本は国境の壁を軽々と乗り越え、巨額の資本を瞬時に移動させることができるようになりました。それによって、世界市場はますます統合の度を高めました。だが、その結果、国民国家は無力化し、グローバル資本が急激に流入した国ではバブルが発生するのが普通のこととなりました。逆にグローバル資本が流出した国では通貨危機や国家財政の破綻が相次ぎました。その結果、グローバル資本の進展によって国家は、自国内の制度設計や政策発動も自由にならないとう事態に直面するようになりました。つまり、もはや自国の政策だけではグローバル化がもたらす深刻な社会的影響を除去することができなくなったわけです。
5. 経済の著しい不安定化に加えて、グローバル化がもたらす深刻な社会的影響として忘れてはならないのが、貧困層の増大、所得格差の拡大でしょう。周知の通り、グローバル経済に組み込まれた各国では、所得格差の拡大傾向が顕著になっています。グローバルに拡大された市場で従来以上に大きな利潤機会を得たファンドマネージャーや投資家など、いわゆる「グローバルプレーヤー」の所得が天文学的に高騰する一方、先進国の単純労働者は賃金が著しく低い途上国、とくに市場経済に参入した東側世界の国々(中国やロシア、東欧諸国など)の労働者との激しい賃金競争に巻き込まれ、急速な所得水準の低下を甘受せざるを得なくなりました。グローバル市場の恩恵を一手に享受できる知的エリートと、途上国や旧東側諸国の低賃金にさや寄せられ、労働条件を大幅に下げざるを得ない単純労働者との間の所得格差拡大は、市場がグローバルに統合されればされるほど加速されることになります。
と、またまた中谷 巌氏からまなびました。
私が、歴史を学んで思うことは、私が生まれた1951年ごろから2000年までの期間は、人類史上他に類を見ないくらいに希望に満ち溢れ、社会も安定して成長していった時代ではないとつくづく感じます。
私の生まれる前の50年間は、世界はそれまでの矛盾を暴力で解決しようとしてきた期間で、第一次、第二次世界大戦を通じ世界で何千万人の人がなくなっています。日本でも第二次世界大戦における犠牲者の数は約350万人といわれています。
ということは、これからの50年間は、揺れ戻しが起こり、犠牲を強いられたうえでまた、素晴らしい時代がやってくるのかもしれません。
中谷氏の論では、自分さえよければという個人主義が正当化され、市場原理主義や競争至上主義に基づくグローバル資本主義によって様々な災いがもたらされたといっておられます。
様々な問題とは、貧困層の増大、所得格差の拡大、人類を脅かす地球環境の問題、人間性喪失、共同体破壊、伝統文化・文明の破壊、資源枯渇、生物種絶滅、などです。
確かに過熱していることは、否めませんし、相手のことや、全体のことを全く考えない競争というのは、われわれ日本人にとっては考えられないことです。
今の中国を見ても分かりますように、世界全体の福祉ということよりも自国の利益だけを考えているような気がします。誰が考えても、世界が平和でない限り、まわりの国々と仲良くなっていない限り、自国の健全な発展や幸せはないと思うのですが、そんな考えは、微塵たりとも見えません。
そこで、活路を開くのが、中谷氏が主張しておられる、日本人の考え方です。秩序を重んじ、他国も尊重し、自分の悪いところを反省し、すべてのものから生かされているという感謝の気持ちを持ち、謙虚にまわりとの調和をはかりながら、他国の成長にも力を貸しながら生きていくという考え方を改めて見直しましょうということです。
このような、日本型の考え方でないと世界はうまく生きませんね。
でも今は、日本型の考え方もいろいろな影響を受け、自らが頽廃しているようにも見受けられます。
皆さまは、どうお考えでしょうか?
テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その3
本日も近江八幡の街は、凍えていました。まだまだ寒さは衰えを知りません。ただ、少し日照時間が長くなってきたのはうれしい限りです。今日は内定者研修の日なのですが、他の仕事が残っておりますのでそれをやっつけます。
本日の朝礼での学びは
1. 第1次世界大戦が始まった1914年から第2次世界大戦がおわった1945年までの31年間は筆舌に尽くしがたいほど悲惨な時代であった。しかし、第2次大戦が終結してから1970年代半ばまでの30年間、自由主義世界はそれ以前とは打って変わって「黄金の時代」(エリック・ボブズホーム『20世紀の歴史』)を享受することができた。世界は久方ぶりに希望に満ち溢れた時代を経験したことになる。「冷戦」は厳然として存在したものの、世界を巻き込んだ20世紀前半の「熱い」戦争の危険は基本的に去っていました。
2. 新自由主義に浮かれた世界はその結果どうなったか。言うまでもなく、リーマン・ショックに端を発する世界的な金融危機の再来でした。そのときになって、政策当局や経済学者はようやく大恐慌時代の記憶を手繰り寄せ、政策当局者たちも昔の記憶を取り戻しました。
そして金融ショックが大恐慌の再来を招かないように、大胆な財政金融政策がアメリカ、ヨーロッパ、日本、中国を先頭に、世界各国で同時発動されました。また、政治の世界に目を向ければ、新自由主義への偏重を改め、国家の役割や公平性をより重視する民主党政権が、奇しくも日米両国で誕生しました。
3. 「黄金の時代」と現代を分かつ最も大きな要素は、地球環境問題という大きな制約に直面していること、東西冷戦がなくなっていること、その結果、中国やロシア、東欧など、東側世界が自由主義に転換し、その結果、グローバル経済の規模が巨大化したこと、さらには、ITを中心とする情報通信革命とそれに伴う著しいグローバリゼーションが進展したことなどです。
4. グローバル化の進展によってグローバル資本は国境の壁を軽々と乗り越え、巨額の資本を瞬時に移動させることができるようになりました。それによって、世界市場はますます統合の度を高めました。だが、その結果、国民国家は無力化し、グローバル資本が急激に流入した国ではバブルが発生するのが普通のこととなりました。逆にグローバル資本が流出した国では通貨危機や国家財政の破綻が相次ぎました。その結果、グローバル資本の進展によって国家は、自国内の制度設計や政策発動も自由にならないとう事態に直面するようになりました。つまり、もはや自国の政策だけではグローバル化がもたらす深刻な社会的影響を除去することができなくなったわけです。
5. 経済の著しい不安定化に加えて、グローバル化がもたらす深刻な社会的影響として忘れてはならないのが、貧困層の増大、所得格差の拡大でしょう。周知の通り、グローバル経済に組み込まれた各国では、所得格差の拡大傾向が顕著になっています。グローバルに拡大された市場で従来以上に大きな利潤機会を得たファンドマネージャーや投資家など、いわゆる「グローバルプレーヤー」の所得が天文学的に高騰する一方、先進国の単純労働者は賃金が著しく低い途上国、とくに市場経済に参入した東側世界の国々(中国やロシア、東欧諸国など)の労働者との激しい賃金競争に巻き込まれ、急速な所得水準の低下を甘受せざるを得なくなりました。グローバル市場の恩恵を一手に享受できる知的エリートと、途上国や旧東側諸国の低賃金にさや寄せられ、労働条件を大幅に下げざるを得ない単純労働者との間の所得格差拡大は、市場がグローバルに統合されればされるほど加速されることになります。
と、またまた中谷 巌氏からまなびました。
私が、歴史を学んで思うことは、私が生まれた1951年ごろから2000年までの期間は、人類史上他に類を見ないくらいに希望に満ち溢れ、社会も安定して成長していった時代ではないとつくづく感じます。
私の生まれる前の50年間は、世界はそれまでの矛盾を暴力で解決しようとしてきた期間で、第一次、第二次世界大戦を通じ世界で何千万人の人がなくなっています。日本でも第二次世界大戦における犠牲者の数は約350万人といわれています。
ということは、これからの50年間は、揺れ戻しが起こり、犠牲を強いられたうえでまた、素晴らしい時代がやってくるのかもしれません。
中谷氏の論では、自分さえよければという個人主義が正当化され、市場原理主義や競争至上主義に基づくグローバル資本主義によって様々な災いがもたらされたといっておられます。
様々な問題とは、貧困層の増大、所得格差の拡大、人類を脅かす地球環境の問題、人間性喪失、共同体破壊、伝統文化・文明の破壊、資源枯渇、生物種絶滅、などです。
確かに過熱していることは、否めませんし、相手のことや、全体のことを全く考えない競争というのは、われわれ日本人にとっては考えられないことです。
今の中国を見ても分かりますように、世界全体の福祉ということよりも自国の利益だけを考えているような気がします。誰が考えても、世界が平和でない限り、まわりの国々と仲良くなっていない限り、自国の健全な発展や幸せはないと思うのですが、そんな考えは、微塵たりとも見えません。
そこで、活路を開くのが、中谷氏が主張しておられる、日本人の考え方です。秩序を重んじ、他国も尊重し、自分の悪いところを反省し、すべてのものから生かされているという感謝の気持ちを持ち、謙虚にまわりとの調和をはかりながら、他国の成長にも力を貸しながら生きていくという考え方を改めて見直しましょうということです。
このような、日本型の考え方でないと世界はうまく生きませんね。
でも今は、日本型の考え方もいろいろな影響を受け、自らが頽廃しているようにも見受けられます。
皆さまは、どうお考えでしょうか?