心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

弁証法とは

2009年04月14日 | 哲学
 4月8日(水)〔お釈迦様の誕生日とされています〕哲学学習会を会社で実施しました。参加人数は、10名でした。教材は、「自然の哲学」(下)田中 一著で「第十二話 弁証法とは」です。

 哲学は、世界を見るときのものの考え方、見方を深く示唆してくれます。物事の本質をみることができないと、特に人間はそのときの心に左右されやすい弱い存在ですので、悩まなくていいところで悩んだり、問題をしっかりと把握しなければいけないところ把握できなかったりと不安定な人生を送ります。人間は生涯を通じて、学びながらも、ふらつくというのが本来性かもしれませんが。

 哲学は、紀元前のその昔から、普遍性を求めて思考を繰り返されてきましたが、思考の弁証的発展とその時代の社会(質とありよう)から大きな影響を受けているのは、否めません。
 従って現代では、普遍性より、その個別性、多様性が重視され、哲学が軽視(現代の構造主義のように、哲学〔ひとつの見方、考え方〕では世界が語れない)されていますが、その深く考える思考法や過去の偉大な哲人(お釈迦様もその一人です)が、何をどのように考えたのか、非常に興味深いところであり、学びがいのあるものです。いや、現代のように秩序が乱れ、つぎの世界が見えないときこそ、哲学的思考は必要ではないでしょうか?



「弁証法とは」

物質こそ 世界の第一次的な本源的存在物 ⇒ 唯物論
 ↓
意識・精神は人の脳髄(物質)の働きが生んだものです

自然のなかで発生した生物は進化して人間を生み、人間は社会を形成してやがて精神を得ます → あくまで精神も物質から進化したものです

物質の運動の特徴を弁証法的といっています

私たちの思考自体もまた物質の運動と同じ特徴を持っています
弁証法的:生きいきとダイナミックに運動している物質の変化発展

弁証法的唯物論
→ 本源的な存在である全物質がたえず弁証法的に運動しているとする見方

ここまでをまとめてみますと

物 質       と             意 識   の関連性
↓                       ↓
物質を原子・分子の集まりだとすると      意識は物質の発展過程から生まれたが、
力学が成立する(こうすれば、こうなる)    独自の働きをもつ





それが、(この二つの要素が物質や他の生物と比して、人間の本質(特徴)を示している)

  精神の能動性 
    と
  意識の先行性
    ↓
世界の未来を変えることができる(石やライオンは世界を変えることができない)

となります。


 世界の事物はすべて原子・分子の運動によって事物の状態は完全に決まってしまうというような、18世紀の機械的唯物論(当時発達しつつあった力学によれば、原子・分子の運動は、ある瞬間の運動状態をあたえることによって、それ以後の運動状態がすべて完全にきまってしまう)では、もはや世界を変革する努力は無意味となり、世界に対して観照的な態度をとることももっともだということになりかねません。
 そうではなくて、意識は物質から発展してきましたが、独自の働きを持つので社会や人間は、計算どおりいかないし、その反対に努力次第で世界は、思いの方向へ向かうことも否定できないということです。

 われわれが欲するのは、哲学をすることによって物質の運動の発展の方向を予測することです。物質の運動のみなもとはなにか、またどのようにして物質が発展していくのか、これらの点を具体的に認識してはじめて、われわれは、客観的実在の運動を深く認識するとともに、その発展の方向性を予測することができます。
 現在では、自然と社会の運動および意識についてひろく研究がすすんでいて、物質の運動に関するいくつかの重要な認識が得られています。
 それは、いっさいの現象の運動・発展のみなもとはその現象の内にあります。この意味で運動は本質的に自己運動であります。現象を現象たらしめながら互いに対立しあっているいろいろなものが存在しています。これらの内的関係が現象の変化発展のみなもとになっています。

 ということは、

世界の中の現象のみなもとは、その世界の中にあり、
国の中の現象のみなもとは、その国の中にあり、
会社の中の現象のみなもとは、その会社の中にあり、
家族の中の現象のみなもとは、その家族の中にあり、
個人の中の現象のみなもとは、その個人の中にある。

ということです。

 たとえば、今、サブプライム関連で不景気だと仮定してとして、経営がうまくいっていないのだったら、外部に要因があるのではなく、経営すなわち会社の中に、その要因があると考えます。会社自体が、社会の情勢や動向にあっていないので、あうように変革するしかありません。(これが弁証的唯物論の考え方です)
 先ほども申しましたように、世界中の人々が、精神の能動性と意識の先行性を有しており、それをダイナミックに実行しているということ自体が、自然なのです。われわれも、やみくもに行動するのではなく、理念を掲げダイナミックに行動すべきときだと思います。



◆参考まで

弁証法の3つの法則(当時はこれで世界のすべてが語れるという偉大な発見でした)
第1法則 原因の法則
     対立物の統一と闘争(矛盾は発展の基礎)
第2法則 変化の法則
     量的変化と質的変化
第3法則 進化発展の法則
     否定の否定の法則(アウフヘーベン)


唯物論と観念論
第一義的第二義的
唯物的もの、存在 を認める意識、精神、心 でその本質を認識する
観念的意識、精神、心 が世界をつくるもの、存在 そして事物をして定義する

フィンランド

2009年04月12日 | 人生


 前回のブログの中でも触れたのですが、現在、私の中で理想とする教育からの国づくりにつきまして、フィンランドのことを少し書いてみたいと思います。

小林 朝夫氏著 「フィンランドの教育法」より抜粋していますが、社員共育及び経営指針書に盛り込み、朝礼のときに、読み合わせをしています。 

 一言で申しますと、「フィンランドの教育方法に自然を基本としており、そこに教育の本質を見ることができる」ということです。
 その結果、フィンランドは、PISA(生徒の学習到達度調査OECD)で2000年、2003年、2006年3回連続で総合一位を達成しています。

フィンランドの教育の特徴
フィンランドには塾というものがありません。さらに家庭教師もいません。そして驚くべきことに、宿題すらありません。

人の話を聞きながら、ノートに絵ともパズルともつかないものを描きながら、スラスラといろいろな事柄を書き続けます。(マインド・マップのようなものです)⇒アヤトゥス・カルタ


(当社社員Tさんのアヤトゥス・カルタ。テーマは“家族”)



フィンランド人は、楽しく生きてこそ人生に価値が生まれるという発想をしています。

フィンランドでは、子供たちに母国語であるフィンランド語を完全にマスターさせた上で、コミュニケーション能力、発想力の鍛錬を行っています。(国語重視)

「フィンランドの子どもたちはフィンランド国民が育てる」・・・タルヤ・ハロネン大統領(フィンランド初の女性大統領)国民の支持率は80%。(国全体で教育を重視しています)

大学を卒業するまでの授業料はすべて国が負担します。その間にかかる学用品(鉛筆、ノート、消しゴム、定規)、給食費なども全て国が負担しています。

フィンランドの家庭では、子どもが「おなかが空いた」と言えば、とにかく本人が満足のいくまで何かを食べさせます。ノドがかわいたというときにも同様に、好きな飲み物(体にいいもの)をたくさん飲ませます。

 その反面、公共の場で子どもが騒いだりしたらタダではすみません。もしそんなことがあれば、コンサートの会場で音楽を聞いている最中でも、子どもの腕を捕まえてホールの外へ出します。そして「なぜ、じっとしていられないのか」「そんな態度をとるのであれば家で待っているべきではなかったのか」と厳しく注意をし、子ども自身の口から納得いく説明が出てくるまで「話」をします。(秩序維持の重要性、公共性の大切さを子どもの時期にマスターさせています)

フィンランドでは「学力」以前に「しつけ」ありきです。いくら学校で優秀な成績を収めていても、人間としてだらしなければ、優れた人間とは認めないという暗黙の了解があります。

 教育の基本は家庭で作るものなのです。子供を育てるのは親なのです。親がだらしないままで、よい子どもが育たないという考え方をしています。

 すべての学力のベースになるのは国語力です。

 知識を吸収するときにも、思考を働かせるときにも、人は言葉によって情報を得たり考えたりする。日本において文化や歴史などを学ぶには日本語が不可欠であり、正しい日本語自在に操れない限り、日本人としての脳と心の成長はありません。

 正しい国語力を持った人は、世界中のあらゆる言葉を非常によく学ぶことができるという共通点があります。

 本当の国語力は言葉の一つを丁寧に理解してこそ、身につくものです。

では、いったいどのようにしたら、そのような国語力が身につくのでしょうか。
 日本では、とにかく漢字を覚えることに尽きます。日本語の要は漢字です。「ひらがな」「カタカナ」に味わい深い奥行きはありませんが、漢字にはそれらがあります。漢字を覚えることは「心に記憶する」ことを意味します。
 フィンランドの子どもたちは、数多くの本を読むよりも、よい本を丁寧に読むことに力を注ぎます。

 日本語で自分の心の中の思いが伝えられなければ、外国語ではさらに相手には伝わりません。本当の国語力が身についていれば、名著を読めば深い感銘を受けます。名作映画を観れば、その感動は永久に心に刻み込まれ、それはさらなる人間性の向上につながるに違いありません。人と会話していても、その場の雰囲気に見合った会話ができ、人々を楽しませることができるでしょう。

 大人がすべてにおいて「めんどうだから」という気持ちを捨て去り、行動することに尽きます。子どもを導くためには口先だけではダメです。とにかく必死で生きているところを見せることが必要です。

フィンランドの生活
 フィンランドの子どもたちの親子の会話は平均して一日3時間ほどで、日本に比べると圧倒的に長いです。フィンランドでは、特別な仕事以外は夕方の4時または5時に仕事が終わります。つまり、子どもが学校から帰る時刻には、必ず家に両親のどちらかがいなければならないことになっています。(親が子どもに密着している)

フィンランドでは、小学校と中学校を合わせた総合学校というものがあり、7歳から16歳までの子どもたちがそこで学んでいます。16歳になるまで親は子どもに愛情を注ぎつづけます。



もし、16歳までの子どもが病気やケガをして学校を休んで家にいなければならない場合、フィンランドでは父親か母親のどちらかが仕事を休んで子どもと共に家にいなければなりません。その決まりを破った親または会社には罰則が科せられます。

フィンランドの親は愛情を子どもに注ぐが、しつけは日本の親のように甘くはありません。ホテルのロビーを走り回る、電車の中で床にしゃがみこんで化粧をする、髪の毛を染めたりマツ毛をカールさせたりするのに時間を費やす。そんな子どもは、フィンランドにはいませんし、親もそんなことはさせません。

ハロネン大統領は、「弱い立場の人々も平等に生活ができる国づくりを目指す」ときっぱりと言い切っています。

妊婦の検診料は無料(出産費のみ2万円かかる)、出産祝いに20~30万円の現金支給と粉ミルク、紙おむつ、哺乳ビンなどのプレゼントも用意されています。

ムダを嫌う気質が教育にも反映しています。(野菜はどれもラップに包まれていない、値段の小さなシールが野菜に直接貼られている、肉と魚は専用のパックを自分で用意して量り売りされている物を買う仕組みになっています)

自然とのかかわり
子どもも大人も、休みの日には一緒に公園で遊びます。森の中へ入っていって、ハイキングを楽しむ家族も多いです。焚き火をして、お茶を入れて、焼いたばかりのクッキーを食べます。
 
 そして、親は動物や植物の習性についての話をします。(自然そのものから学ぶ)

 フィンランドでは、常に自然の中に自分たちの家や仕事場があることを全員が意識して暮らしています。

 街づくりも、街の中心部に鉄道の駅を設け、そこから円形状に街を形成していくというやりかたで政府は自動車をなるべく使用しないですむようにしています。いわゆる「コンパクト・シティ」です。

 フィンランドは森と湖の国だと言われているが、そこにあるのは木と生き物の姿だけです。

 陸地の70%は森に覆われていて、四季にはそれらの森が色とりどりに美しい変化を見せます。秋には枯れ葉が地面を埋め尽くし、冬には木々は雪化粧を施します。春になると新緑が陽光に輝き、たくさんの鳥や生き物たちが活動を始めます。夏は森の緑が深みを帯び、魔物が出てくる暗闇と妖精が現れる神秘さを創り出します。

フィンランドには19万個もの美しい湖があります。国土の広さは日本とほぼ同じですが、湖の数は比べものにならないくらいほど多く、場所によっては数百メートル歩けば、次の湖に突き当たるほどです。そのどれもが、例外なく美しいのです。



鳥の声を聞き、動物たちの様子や植物の季節季節の変化を見せます。そこから生まれてくるものは、自然への畏敬であり、本物を見る力であり、家族の絆です。それらを体験した子供はより思慮深い哲学者となって成長していきます。

 フィンランドの森には何もありません。そこに隠されているものは、ただ一つ、想像というエネルギーだけです。森が想像力を成長させてくれます。

 フィンランドでは、社会人の約70%もの人が別荘を持っている。もちろん値段はピンからキリまで。土地は1万~2万坪程度で約20万円。そこに生えている木を使って自分で小屋を建てれば、その他の費用はほとんどかかりません。

 鳥のさえずりを聞き、焚き火をし、湖でカヌーに乗り、釣りを楽しみ、森の中を散策します。人は木に囲まれてすごすと不思議なほど心が癒されます。すると、家族全員に生きる力が湧いてきます。(自然の力)
 
フィンランドには、実は自然のまま手つかずの森はどこにもありません。すべての森は人の手が加えられ管理されています。森も管理しなければ、やがてダメになってしまいます。樹木の間引きと伐採と植林のバランスをうまくとって、フィンランドの自然は保たれています。(日本の里山に似ています)

人間も自然の一部です。こどもはなおのこと、放っておくだけではいつかダメになってしまうし、あまり手を加えすぎても美しい森のようには育たちません。(バランスと手加減がポイントですね)


フィンランド共和国
面積:33万8000㎢
人口:520万人
通貨:ユーロ
首都:ヘルシンキ
主要言語:フィンランド語、スエーデン語
大統領」タルヤ・ハロネン 2000年3月就任 1943年12月24日生

以上、フィンランドの一部を断片的に紹介しましたが、秩序を保ち、尚且つ、自由にのびのびと人生を送るためにも、教育というのは、つくづく大事だと思います。教育次第で人は、世の中に役立つ、立派な社会人になったり、自由の名のもとに、自分では気づかずに社会の秩序を乱す人ができてしまいます。けっしてその人の所為ではありません。
 人類全体で、教育ができればよいですが、現状を考えますと民族や宗教の壁が立ちはだかりますので、少なくとも国単位でする必要がありそうです。
 ですから、日本では、いわゆる、頭のよさ、記憶力、計算力、読解力やお金儲けの仕方だけでなく、人間が本来どういうもので、どのように生きたらよいのかを、自然から学ぶということは、非常に重要なことです。
 特に、地球環境問題を解決するためには、人間の自然に対する自然観も知っておかなければいけません。今は、とても人類全体を考えるどころか、すべてがすべてそうだとはいえませんが、個の自由を徹底的に追求することが「善」の世の中になってしまっています。
 機会があれば、日本と他の国との違いも言及していきたいと思っています。


前回の問いの答え
(前回の問い:日本の幸福度は、いったい世界で何位でしょうか?)

日本・・・90位   です。

ちなみに、
フィンランド・・・6位
スウェーデン・・・7位
ノルウェー ・・・19位   です。