心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

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やわらぎの想いと社名の由来

2016年03月26日 | 仕事
やわらぎの想いに、
「一生のお付き合い、だから大切に!」
というのがございます。

その想いはどこから来ているかと申しますと、まず、「やわらぎ」の社名の由来から始まります。

「やわらぎ」のルーツは、日本のルーツにおいています。

六〇四年に聖徳太子が定めた憲法十七条には、仏教や儒教の考え方が取り入れられ、天皇のもとに支配を秩序づけることや、官僚として勤務する心構えなどが説かれています。
その中に

「一に曰(いわ)く、和(やわらぎ)をもって貴(たっと)しと為(な)し、忤(さから)ふること無(な)きを旨(むね)とせよ」
とあります。「お互いの心がやわらいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ」そんな意味です。

争い事を嫌い、和を重んじ、協調性を重視し話し合いで物事を決めていくというのが、神話の時代から引き継いでいます日本人の精神です。

大国主(おおくにぬし)命(みこと)の国(くに)譲(ゆず)り(争いをしない)の神話や
明治政府の発足時に明治天皇が先祖・神々に誓った、「五箇条の御誓文」にも「広(ひろ)ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機(ばんき)公論(こうろん)ニ決(けっ)スヘシ」――広く会議を開いて、すべての政治は人々の意見によって行われるようにしましょう、とあります。

このような想いをもって皆様方とともに時代を歩んでいきたいと考えております。

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経営戦略を実行する前に

2013年01月30日 | 仕事
朝礼 平成25年1月29日(火)

テーマ:なぜ、規則を守らなければならないのか?

 今朝の朝礼では、ある人から、「決められたことが、できていないので、決めたようにしましょう」という意見がでました。

 なぜ、決められたことを守らなければならないかといいますと、多くの人が共同で何かをするとき、規則を守らなければ必要のない気を使うことになります。「これはこうすrはずではなかたのかなぁ」とか、自分の方が間違っているような錯覚をおかし、混乱してしまします。


 我々は仕事を一生懸命し、社会に対してどれだけ良い商品、良いサービスを行うことに時間を使わなければなりません。心を悩ませるような時間は、あまりとらない方がよいと思います。このようなことが、あまりにひどいと心の病気にもなりかねません。

 規定に外れたことをするということは、それ自体それほど大事なことでないにしても、皆の混乱を招き、時間のロスになのです。

 また、人は、期待以外のことが起こりますと、心は必ず揺れますので、仕事に集中出来なくなります。

 決められたことを守らないことは、重大な罪や悪いことをしているということではないのですが、団体生活、社会生活の中で、重要な意味をもちます。

 皆さまは、いかがお考えでしょうか?


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日本人のルーツ(12)

2013年01月18日 | 仕事
朝礼 平成25年1月17日(木)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その1

最近は、寒い日が続いております。本日は、大津で業界団体の予算会議に出席してまいりました。今年度は特に入会数が少なく、費用が収入を大幅に上回りそうです。来年度も厳しい予算になりそうです。

本日の朝礼の読み合わせ内容は、

1. 近年注目を集めている複雑系の理論は、多数の未知の因子が関係して全体の動きが
決まるため、単純な還元主義の手法では解明できないという考え方を前提としています。

2. そもそも企業活動というものは社会の役に立てることを最大の目標にすべきものではないか。株価を引き上げることが最大の目的ではなくて、従業員や取引先、あるいは、顧客、地域、株主がバランスよく潤うようにするのが優れた企業経営と考えています。

3. 日本人は日常の生活の中で人様から後ろ指をさされないような生活をし、企業を取り込むさまざまな関係者から見て「素晴らしい」と感じられるような経営をすることをより重要だと考えています。仕事自体に心の充足を覚え、富を独占しすぎず、周囲の人たちと仲良く生活している人は、それ自体が社会貢献なのだと考えています。

4. ロジックだけで人間は動くのか。動くわけがない。人間の心の中には、その人の生まれた国や民族の歴史や文化、あるいはロジックでは語れない怨念や民族の記憶がいっぱい詰まっています。

5. ロジックである程度納得すると同時に、イロジカルな世界、不条理の世界を同時に包含しないことには、本当の力は出てきません。

6. 見事な理屈の反対側にわけのわからない暗闇の成果があって、明と暗の世界で葛藤し、苦しんでいるのが人々の真の姿でないでしょうか。

と中谷 巌氏は述べられています。

生活者の立場からすると、世界はそんなに急激に変わらないのかもしれません。たとえば、携帯電話の時代にスマホが登場しても使わなければよいだけで、スマホを使ったからといって生活が劇的に変わるわけではありません。

しかし、企業のほうはそうはいきません。何千人と人を抱える企業が携帯電話を生産して利益を出していたとします。そこに技術革新が起こり、スマホが登場してきますとそのまま、携帯電話をつくり続けるということは、破たんを意味します。世の中で、必要がなくなるわけですから。その変化がものすごく速いですね。そして消費者としてのわれわれも新しいもの好きです。必ず、心が豊かになるとは言えませんが、便利になっていることだけは、確かです。

そして「企業活動というものは社会のお役にたてることを最大の目標にすべきではないか」とありますが、まさにその通りです。
個人も同じことが言えると思います。企業で働くのは、個人です。個人も少なくとも会社で仕事をする場合には、社会のお役にたてることを最大の目標にすべきだと考えます。

また、会社が社会的有用性をそなえているならば、会社を進化・発展させることを最大の目標にすべきだと思います。

そうして個人的には、人さまから後ろ指をさされないような生活をし、企業もまわりから見て「素晴らしい」と感じられるような経営をしていきたいものです。

「ロジックだけで人間は動くのか」とありますが、人間は、もちろん、理屈は必要ですが、同じくらいか、それ以上に共感で動くと思います。したがいまして、正しい感性、時流に合った感性を持っている人は、幸せです。それだけであまり努力せずして幸福になれそうな気がします。

と言いながらも、人間は、必然性と偶然性によって生きる生きものです。もちろん、科学的な理屈を無視したり、原理・原則を無視したら支障が生じるのは当たり前です。
偶然性で言えば、生きる上でいろいろなことを選択するわけですが、不真面目に選択しても、期待した以上のうれしいことが起こったり、まじめに選択しても、不幸な目に合うのも人間です。それ(偶然性)からは、逃れられません。

皆さまは、偶然性を信じますか?
信じるなら、どう向き合っていますか?
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日本人のルーツ(6)

2013年01月11日 | 仕事
朝礼 平成25年1月10日(木)

テーマ:日本人以外はどうであったか?

今日は、同友会・共育委員会の三役会でした。
このような事業をうまく運営するには、経営と同じでどれだけよい組織にできるかと、魅力のある事業を行うことができるかが、最大のポイントであるということを改めて認識しました。
この二側面は互いに影響を及ぼしますので、両方に気を使わなければならないところがミソですね。

いままで、日本のルーツや、それが途切れた理由などについてみてきましたが、日本人以外の視点からみるとどうなるのでしょうか?

1.西洋社会では、支配者階級が困窮した場合は容赦なく非支配者階級から税を取り立てるという構造であった。
2.中国の歴史を一言で表現するならば、漢民族と騎馬民族の戦いの歴史である。日本人のように「信頼一番」とやっていたら、すぐさま足元をすくわれる。彼らは人に気を許さないばか  りか、いかに相手の隙につけ込んで利益を得るか、という発想にならざるを得ない。
3.一神教の世界では、バイブルやコーランに書かれていること以外は一切タブーとされ、また、書かれていることは厳密に守らなければならないとされている。偶像崇拝をしてはなら   ぬ、安息日には働いてはならぬ、酒を飲んではならぬ・・・。
4.近代哲学の父を呼ばれるデカルトが残した有名な言葉に、「われ思うゆえにわれあり」というのがある。これは、宇宙の中心にいるのはあくまで自分である、という思想から生まれた  言葉。
5.アメリカは、平等の国のように見えるが、実際のところ、それほど機会均等の国ではない。例外を除いて、貧困家庭に生まれ育ったほとんどの人はやはり生涯、貧困者としての運命  をたどっている。
6.アメリカはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)によるエリート支配社会から多元的社会へと徐々に変質しているが、階層社会の要素が強く、頭の良いものがそ うでないものを支配し、搾取するのは当然だという弱肉強食の思想が、自由競争、マーケット・メカニズムの名のもとに正当化されている。

と、これまた中谷 巌氏が指摘しています。

これを見て感じることは、

今の日本人は、よいとこどりというか、社会や歴史を知らないので、自分の好きなように解釈してしまうし、それを社会が積極的に支持しているようにも見えます。

みんなと協調しないし、できないし、個人として会社や社会の仕事となればあまり努力しません。

自分に不満があれば、国が悪い、会社が悪い、学校が悪い、親が悪いといっているだけで、自分が責任を取らなければならないところは自立することから逃避し、責任のないところでは、他人のことに関わるのは、めんどくさいので協力も協調もしないというのが、現代でよくみられる傾向です。

だれが悪いというより、戦後日本は世界に類を見ない成長したことの反動だと私は思っています。

ただ、自立することもなく甘えていたら、個人の能力の向上は望めず、社会に役に立つ存在どころか、社会のマイナスになろます。
また、個人主義的自由のなかで他人と協力・協調しませんとコミュニケーションが成り立たず、人間同士が協力していきあう(共生する)という最低限度の人間性も形成されないのではないでしょうか。

このような状況が進んでいきますと、社会が崩壊に向かうでしょう。

社会が崩壊したらどうなるのでしょうか?

今の、イラク、リビア、チュニジア、エジプト、シリアなど。 人間らしい生き方をしているのでしょうか。

今は何をやっても閉塞感を打破できないからといっても、根拠のない感覚だけでものごとを推し進めていくことも、われわれは十分注意しなければなりません。(ポピュラリズムの弊害)

そうならないためには、秩序を積極的に維持し、社会の発展をまず考えながら個人も努力して成長していくことで幸せを追求していくのが、正しい道のような気がします。

みなさまは、いかがでしょうか?


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市民革命と資本主義

2012年11月29日 | 仕事
朝礼 平成24年11月29日(木)

テーマ:産業資本主義の飛躍的発展

近代社会の前提は、1789年のフランス革命にあります。

近代社会の人間の定義は、「自分以外の何物にも支配されない自立した存在」、「ヒトはヒトに支配されない」、「ヒトはモノを支配できるが、ヒトを支配することはできない」です。ということは、ヒトは、このときに自由と平等という概念を獲得したということです。

近代社会が成立しなければ、これほど急激に資本主義経済は発展しなかったということです。

近代以前は、モノを買えるのは、お金を一般市民から吸い上げていた王侯のみでした。その数は、一国に占める割合としては非常に少数でした。ところが、近代化によって市民が自由になったということは、市民の一人ひとりが、その欲望により、何をつくって儲けようが、その儲けたお金で何を買おうが自由となりました。人々は、自由を既得概念としながら、こぞって物質的な豊かさ、すなわち便利、楽、安全、飢えからの脱却を図るために一生懸命になりました。

それと産業革命(1760年ごろ)とが相互に作用しあって爆発的な経済発展に進展したということは、容易に想像することができます。

ということで、資本主義の爆発的な進展と市民革命(自由と平等)とが密接な関係があることがわかります。

そして、そこには人間の特徴、すなわち自分の欲望を満たすことや、便利になるためには、人間はすごいエネルギーを発揮するというのも一つの学びです。

そしてまた、われわれ自身も、現在、資本主義の中にいることを認識し、その欠点である、他人を阻害したり、自己中心的になるなど、行き過ぎた悪い面がでないように節度を保って、競争していかなければならないことも学んでおかなければなりません。
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理性と感性

2012年11月25日 | 仕事
朝礼 11月24日(土)

テーマ:理性と感性

理性で物事を判断し行動するのは「男性」が多いようです。
感性で物事を判断し行動するのは「女性」が多いようです。

世の中全体で見ましても「感性」の優位性が見られます。

ただ人間は、両方を併せ持っています。

例えば、仕事をするときには、「理性」を働かし、消費活動や人間関係には「感性」がその力を発揮します。

今の日本では、消費は女性が握っているので、作り手であるわれわれは、女性の感性に訴えるべく商品やサービスを提供しなければなりません。

その特徴は、カワイイ、キレイ、ワクワク、ベンリ、ラク、スキ、ステキなどです。特に自分を引き立ててくれるモノへの選別眼は、非常に優れたものがあります。
「感性」に訴えないとモノが売れない時代です。

哲学の世界でも普遍論争(神が絶対普遍)があり、啓蒙思想(事実、科学=理性重視)があり、ロマン主義(感性重視)に至ったように、現在は、「感性」が
重視されています。

ただし、「感性」も小さいころの学びや体験や教育などの「理性」を潜在意識の中に蓄積してきたことが、大人になってごく自然に出てきているものと思われます。
だから、「感性」も「理性」を土台としているところもあるのではないかということです。

また、「自由」が、戦後六〇年以上経ち、日本の社会にいきわたったことも影響していて、「理性」で自分を制御するよりも、「感性」で自由に生きることが肯定されるようになったことも「感性」が力を伸ばしてきた理由の一つかなと考えられます。

道徳の衰退も「感性」に拍車をかける要因となっていると思われます。

先ほども申しましたように、われわれ経営者も多くの案件をその都度判断する場合、ほとんど「感性」に頼っています。

ですから、「理性」をきっちり積み上げ、世の中の道理や人の心の動きを正しく潜在意識の中に入れて、その人固有の「感性」と合わせて用いるのがよかろうと思っています。

今の日本では、その反動として「理性」をもう少し重視したほうが、みんなが幸せに暮らせるのではないかと思います。







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子育て応援ブログ 「人生最大の不幸はだれにもあてにされない孤独」

2012年04月12日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「やわらかい公共を求める=究極の『孤独』の時代に」



★著書より★ 
1. 極端に自己中心に走る時代があるかと思えば、共に生きることへ傾斜のかかる時代もあると思います。

2. 私は、満二八歳までは大日本帝国の臣民として、じつに固い公共の中にはめ込まれていたといえると思うのです。
 以後、敗戦を通じて、法律、制度改革のうえでは、一時期、個人主義といいますか、自分を大事にしあおうという気風の時代がほんの少しあり、つづいて、古い臣民意識、固い「公共性」のもとで染み込んだ生活習慣、感性を克服しきらないままに経済成長が展開し始め、まさに競争原理の中でお互いにしのぎを削るという状態になり、古い共同体がことごとく崩壊し、人間関係はバラバラになり、孤独化の方向へいく時代になりました。

3. 欲望が肥大化すると、自己中心へ傾注して、孤独へ向かう。つまり、我が満たされれば、バラバラになる方向へ走ってゆきます。

4. アメリカを訪れたマザー・テレサがこう言いました。「私の恐れているものは、ただ一つ、お金です」と。それとあわせて言ったことが、また重要。「私は、自分が誰からもあてにされていない、という状態に陥った人に対しては、ただ祈るほかはない」と述べています。



■私の学び■
公共:おおやけ、社会一般

 固い公共⇒国の強制や命令で全体とその秩序を重んじる⇒第三者から思想や言動を教え込まれるので、善悪の価値観がはっきりしていて生きやすいという側面もあります。

 そのような時代には、人は、上に気に入られるようにすることがうまく生きることにつながるので、明るく、元気で、控えめで、他人の手伝いを進んでしようとする傾向が見られます。

 反対に個化が進むと、人に好かれようと好かれまいと自分のやりたいことをします。点数を取ればよいので他人に気に入られる必要もありません。

⇒子どもが小さなうちはよいですが、中学生ぐらいになると、人との関係が上手く保てないと仲間はずれになったり、いじめられたりします。そして、そのまま大人になりますと、誰に対しても不親切になったり、かかわりをもたないようになると、誰からも相手にされなくなります。

 そうしますと、躁うつ病や孤独になり決して幸福とはいえない人生になってしまいます。




 やわらかい公共のイメージは、国などの権力ではなく、地域や組織においてお互いが対等の立場で積極的に全体のことや秩序のことを自主的に考え行動するといった感じで、そこで人と人がかかわりを持つことで、孤独になることを避けることができるのではないでしょうか。



 子育てにおいても小さな頃から、自分を優先する場合と、他人や組織や全体を優先しなければならないことを上手く教えておくことが重要ですね。

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子育て応援ブログ 「われわれは、二面性を持っている」

2012年04月11日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「生きるということ=他者に依存して生命は持続する」



★著書より★ 
1. 人間は、自分の命を自分で生きる、という基本的な欲求がある一方で、生まれ出た瞬間から生物には、太陽が必要であり、周りの生命体を食べ、食物連鎖というもので他者に依存しなければ命はありません。

2. 人間というのはみんな、自分を生きる、という根源的な生物としての事実と、他者と支え合わなければ生きられないという、内と外に向かう真反対のベクトルを持ち合わせています。

3. あるときは自己中心に傾き、あるときは他者依存に傾く。そこのあいだを選びながらドラマを創っていくということが人生だ、と考えてもよいと思います。



■ 私の学び■
 人間だけではなく、恐らくすべてのものが、個としての自分と、全体の一部としての自分という二面性をもっているように思います。

 ですから、人間には、人に頼りたくない自分と、人に頼らざるを得ない自分が存在します。その矛盾の中で生きていくことが人生の本質だと思います。

 地球で言えば、地球上のあらゆるものが、独自の存在様式で存在しますが、何らかの関係でつながっていて、或いは、影響をおよぼしあっていて、そこでも二面性が見られます。

 宇宙全体ももちろん同じことが言えます。影響の度合いは違いましても、太陽と地球は、それぞれ独立して存在していながら相互に影響を受けていることはわかりますし、ましてや、私たちは当たり前になりすぎていますが、太陽がなければ生きていけないことは認識できます。

 経営においては組織の中で、各部署の仕事の質がお互いに影響をおよぼしますのでそれぞれの役割分担をしっかり果し、さらに意識して各部署が全体の質を上げるために積極的に協力しなければなりません。

 あらゆることに二面性があることを次の世代を担う子供たちにも伝えていけたらいいなと思っています。

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子育て応援ブログ 『自己中心は生物の本性?』

2012年04月10日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「生きるということ=自己中心は生物の本性」



★著書より★ 
1. 私たちが、自分の命をかけがえなく思い、真っ先に自分を大事にするのはごく当たり前のことです。

2. 科学的な事実からも、動物が成立したときから生き物は、自分というものを生かしていく、自己を統制する力のようなものを獲得できたのだと分かっています。

3. 自己中心を悪いものだと倫理道徳で判断するのではなく、まず、科学的な事実として、自分が生きる、というところは、何としても免れえない、生き物の座標軸であります。

4. 自己中心というのは、生き物が持っている一つの本質的な性格である。まずこの事実を認めることが重要だと思います。



■私の学び■
 自己中心は、私たちが持っている本質的な性格ですが、かといって自分が生きるためなら何をしてもよいということにはなりません。

 一般に世間で言われています「自己中」といいますのは、「自分勝手」の意味だと思いますが、人間は歴史の中で制限を加えています。

 私の知っているかぎりでは、自由主義の基本原則であります、J.S.ミルが19世紀の中ごろに「自由論」の中で危害原則ということを言っています。



  それは、他人に危害を加えない限り何をしようと自由であり、他人に利益をもたらす責任はないという原則です。他人の自由を尊重するとも取れますね。

 日本国憲法の中にも、いろいろな自由(思想及び良心の自由、信教の自由、表現の自由、居住、移転及び職業選択の自由、学問の自由、両性の合意のみに基づいて成立する婚姻など)が保障されていますが、文言としては「公共の福祉に反しない限り」や「公共の福祉のためにこれを利用する」と書かれています。

  私は、危害原則だけで人間が幸福な社会生活を維持できるとは思いません。個人も企業も社会をよくするために積極的に、自己中心から抜け出して協力することが必要だと考えます。

 人間は、基本的に自分の命を真っ先に守りますが、時には、国のため、家族のため、親のため、思想によって、自ら命を絶つこともできます。

 これらは、人間が他の動物と違って精神と意識と頭脳を持っているからでしょう。

 子供たちにも、単に頭脳がよくなることを目指すのではなく、考える、すなわち、精神や意識のはたらきの重要性を知ってもらいたいですね。


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子育て応援ブログ 『今の日本の社会で何が問題なのでしょうか?』

2012年04月09日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「学校は、夢と勇気をくれるふるさとです」



★著書より★ 
1. 私は、日本社会の状態はきわめて危機的な状況であると考えます。たとえばその一つは、戦前から尾を引いてきた上下関係で押し通そうとするタテ社会の原理が今でも生き残っています。

2. もう一つは、経済成長によってマネー社会になったということです。お金でことが済む、自分の欲望が肥大化して、他者を思いやる力が弱まる。

3. タテ社会の圧力に加え、ヨコの関係もバラバラになっている状況の中で、「日本は鬱病大国だ」と、ニューズウィークが特集を組みました。



■私の学び■
 私は、今の日本の中で問題だと思っているのは、デフレの影響もあり、努力しても生活がよくならないことと、自由と個人主義が行き過ぎて「自分さえよければ」があまりにも、普通になってしまって、他人のことや公共のことを考えなくなったということです。

 1980年代後半に、日本は一人当たりGDPで世界一になったこともあります。その影響であまりがりがり勉強しなくてもよい、一生懸命必死になって働かなくてもよいという風潮になり、社会人として自分が社会をよくする主体者だという意識が希薄になっているような気がします。

 その反面、自由を手に入れた私たちは、抵抗なく能力を発揮できるようになって来ましたが、まだまだ、全体にいきわたっていないような気がします。

 社会に出る前に、社会人とは何をしなければならないのか、仕事とは自分にとって社会にとってどんな意味を持つのかぐらいは、おぼろげながらでも気づくように、私たち年長者も気をつけなければなりません。

 子どもたちに常に「何が正しいのか」「何が真実なのか」を追求する姿勢を身につけさせることも重要ですね。
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子育て応援ブログ 『社会の諸制度は何のためにあるのでしょうか?』

2012年04月07日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「教育の開かれた空間=『夜間中学』」



★著書より★ 
1. 私たち一人ひとりが基本的人権の担い手、主権者である人間として扱われる。みんなが第一人者なのです。
  ところが、そういう扱いを日常私たち日本人が受けているかというと、日本人の人間関係には上下関係があったり、互いに関心がうすくバラバラでしょう。
2. 改革の原点はマネーではなく人間です。
3. 子育ては一期一会。何かワンパターンのマニュアルがあるわけではありません。ヒトにとって「教える」ことは、もちろん重要な用件ですが、主要には、自らの選択が自分の人生をつくるものだと思います。
4. 私は、「教育」というのはどうも誤訳ではないかと考えています。本来の意味は「引き出す」こと。つまり、その人その人の持ち味を引っ張り出すというのが、市民社会における教育の意味なのです。

 

■私の学び■
 現在の日本では、「人が生きる、生活する」という根本的なことがあまり重視されていないように見受けられます。

  政治は政局に時間を浪費し、経済はGDPが上がったや下がった、仕事もお金を稼ぐことなどに注力し、その地域に住んで暮らしている人の顔は、ほとんど見えてきません。何のための諸制度(政治、経済、教育、企業、法律)であるのか時々おかしいなと思います。

 会社が利益を出さなければならないのは、お客様によりよい商品・よいサービスを提供するためであり、そのことによって家であれば住んで頂く人たちに幸せになってもらわなくてはいけないからです。

 そしてさらにそこで働く社員の方々や関係者やその家族にも幸せになってもらわなくてはいけません。




 だからこそ、一人ひとりが一生懸命仕事をして一人でも多くの人に幸せになっていただくというのが、社会人として、働く人としての使命ではないでしょうか?

 教育の本来的な意味は、教え育てるということではなく、その人の持ち味を引き出させるということですね。そして、その人が自分の持ち味を発揮して社会に役立つということです。

 こんなことを意識して子育てができるといいですね。

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子育て応援ブログ 『教育の基本理念と親の役目』ということは?

2012年04月02日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「孤独化の現象=無機化する社会」から



★著書より★ 
1. 何でもお金で済ませる時代になった。すなわち、他の人とかかわらなくてもいい、かかわりたくないという風潮、人間関係に進んでいきました。

2. 金融危機は、一部のニューヨークの悪者がマネーゲームをやったからだと人々は考えますが、世界中の一般のささやかなサラリーマンまでがちょっとお金がたまれば株や利回りのよい投資先へという雰囲気にのせられました。

3. 「労働市場」という言葉は、人間まで商品として市場で取引される、そのような状況というのは、人間という有機的な生命体というものまでも無機化し、社会全体を無機化した状態にしてしまった。

4. 他方、戦前以来、人々のつくり出してきたかつての「社会保障」制度というべき、家、集落、地域共同体はどんどん解体されて、孤独化現象が進行しました。



■私の学び■
 人が死んでも保険金というお金で解決することができるようになりました。お金が絶対的な力を持ち始めました。お金より大切なものがたくさんあることを子どもたちに伝えなくてはなりません。

 お金でお金を稼ぐ方法が、何故、考え出されたのでしょうか?
 資本主義の発展の本質:お金もちがその座を降りなくてもよくするために考え出された手段ともいえるのではないでしょうか。

 人間の価値を仕事ができるか、できないかだけで判定する風潮がある。組織においては、他の美徳も注目されるべきでしょう。
 例えば、みんなをまとめることができるとか、調和を図ることに長けているとかです。いつもニコニコしていて、雰囲気を和らげることができるとか。

 人は自己創出力があるからといって、一人で生きていけるものでも、勝手に育つものでもありません。
 周りのものが、気遣って面倒を見るということが大切です。
 その際に重要なことは、面倒を見られるほうも、気遣いや教えに対して、謙虚さやすなおさです。それらが欠けると、周りの環境に適合して成長していくことが難しくなります。



 国の年金制度や医療、老人介護、障害者補助などがあてにできなくなってきた今、自分たちの有機的力でそれらを保障しなければいけなくなってきたような気がします。

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子育て応援ブログ 『教育の基本理念と親の役目』ということは?

2012年03月31日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「教育は演出、学校は劇場である」から




★著書より★ 
1. ヒトにとっての教育は、一人ひとりの生存権としての学習権の充足という仕事であり、まずヒトの学習要求にそって働きかける、助成する地位にあるといえる。

2. 教育は所詮その子、その人の自ら変わる力への信頼に始まり、一人の子どもとのかかわりの中で、その展開する自己形成のドラマを助ける演出活動である。

3. それは一期一会いちごいちえの出会いの連続だから、演出の自由を本義とし、それを保障するための法律や制度、条件整備こそが必要であろう。

4. 教育の基本理念はあくまで一人ひとりの自己形成力に基づく持ち味を発掘し、その持ち味に応じた社会的部署を得て「ひとなる」ことを保障する道をさぐることである。

5. 次世代にどうしても教えたい文化をどうしたら次の世代が獲得し、再創造していくことができるかは、種の持続としての教育の中心課題であることは間違いあるまい。



■私の学び■
・あくまで教育というのは、介助または演出役で、主役はその子が自ずから持っている自分を創っていく力の手助けをするということであり、決して強制してはならないということです。

 かといって、一人の子が、社会の中で自立して生きていくことは、並大抵のことではありません。自分の能力を最大限に伸ばすこと、社会のルールを知ること、自分以外のことを知ることによって自分の立ち位置を知ることなどは、ものすごいエネルギーが必要かと思います。

 但し、人間は一度、自覚するとたいへんなことが、たいへんでなくなることも確かですね。そういう意味では、生きることは楽しいのかもしれません。
 それを上手く誘導するのが、親の役目であり、年長者としての役目だと思います。

 このことを自覚していなくて、自分が自分の人生をこの世で自由に楽しんだらいいとだけ考えるのは、片手落ちだと思います。次の代にきっちりと大事なことは伝えなければなりません。

・子どもに対して直接、「勉強しなさい」というのではなく、勉強に興味を持つように環境整備を行い、つまずいたら、きめ細かに相談にのることが必要です。世界を広げていくのも教育の役目の一つかもしれません。

・ 「ひとなる」という意味と新・旧教育基本法の「人格の完成」というのとどう違うのでしょうか?

・ 「ひとなる」というのは、「人間が人間になる」という意味だと思います。だとすれば、どのような状態が人間になるということでしょうか?また、どうすれば私たちは人間になることができるのでしょうか?

・ それは、肉体的には遺伝子情報の入ったDNAのとおりに人間は大きくなっていきます。



 その過程で、外部からの情報受信、外部への情報発信をしながら徐々に生きるということを学びとります。外部からの情報は、教育的なものと教育とは関係なく自ら意図的に或いは意図せずに受発信します。その量は莫大なものです。

 自然に外部の影響を受けながらも、自分は自分の感覚で情報整理をし、自分を自分流に社会やまわりに適応するように学び変化していきます。
 そして一瞬、一瞬自分であらゆることを理性的に、経験的に、感覚的に、時には気分しだいで理性の真逆のことを選択したりして、自分を創っていきます。
 そして、その内に自分の持ち味を見つけ出し、そのことによって、社会での役割を担うようになっていきます。

 

 そして大人になると次の世代が社会に適応し、さらに社会を持続できるように教育するこができるようになることが、人間となるということでしょうか?

・ ここでは、学びの質には触れていませんが、人間が人間になるのには、人や自然と接することも重要ですが、歴史や社会のしくみを学ぶこと、ものの見方・考え方を学んで、宇宙視野で自分の立ち位置を知るということが決定的に重要です。

・ でも誰もがこうできるとは限りませんし、一人の人間が生きていくのに真理や普遍性、本質など深めなくても生きていけるかも知れませんね。
 ただこうなると、ものごとの善悪がなおざりにされ、社会の質が劣化することは十分予測されます。

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子育て応援ブログ 『人間にとって文化とは』なんでしょうか?

2012年03月27日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「ヒトの文化の原初を考える」から



★著書より★ 
1. ヒトが人として育つことの基礎には、0.1ないし0.2ミリの受精卵からの発生の過程がある。
 そこから六〇兆ともいわれる大人になるまでの細胞の旺盛な複製と更新、各臓器への機能分化があり、そういう生理的プロセスが、遺伝子をのせたDNAの中に組み込まれたプログラムが、環境刺激との関係で展開するのであろう。

2. 生物の器官の進化と、人類の文化の進歩が、環境への適応という点で相似たところがあることを認めながらも、両者の違いを、人類の文化による環境適応の装備と、動物の長い時間をかけた自らの身体変化による装備とのあいだに一線を引くことを試みている。(V・ゴルドン・チャイルド『人間は人間をつくる』より)

3. チャイルドは、野生のヒツジがあつい毛皮とやわらかい毛におおわれて、山岳の寒い気候に適応しているのに対し、同じ気候のもとで、人間はヒツジの毛皮や、わた毛のコートで生存できる、などさまざまの動物とヒトの環境適応装備の比較によって、前者は遺伝に、後者は遺伝によらず、出生後の教育(学習)によると主張する。

4. この考えによれば、文化とはヒトが身体外に創り出す適応装置だということになる。

5. 漆の活用(縄文時代)にみられるように、「かぶれる」という感覚のうえでの抵抗(バリアー)を乗り越えて、つまり生活欲求の問いかけに対して、それを満たすための手だてが考え出されたという事実がある。

6. バリアーに対して、反射的に回避することなく、思考という迂路(遠回りのみち)を介して、生活欲求を実現するための一種の道具の発見である。

7. この迂路、思考は、文化が創造されていくプロセスである。

8. 他の生物の行動の中にも選択思考のきざしが見られるのだから、文化の起源も深く他の動物にも見られるが、ただ身体以外に道具を作り出すのには、より高度の工作知を必要とすることは確かだろう。


■私の学び■
 ここから学べることは、
 人間の歴史は何であったか?
 人間の本質的な営みは?
 人間の文化とは?
 その中での仕事の役割とは?


 人間の歴史の本質が、文化の創造(遺伝によらず身体の外に創りだす環境への適応装置)であるならば、私たちの仕事も、その進化・発展の過程の(歴史の)頂点に立ち、さらに使い勝手のよい商品やサービスを創りだすこと、そしてそれらを生み出す道具や、方法を考えること、すなわち仕事をすることが、人間にとっての本来性であると思います。




 ただ、物質的なものだけではなく、人類が仲良く共生していけるようなことをするのも、忘れてはならない仕事の一つだと思います。

 そういった意味では、仕事とは、人間が生きていくためには必要不可欠のものであり、決して受身のものではなく、積極的になすべきものであって、人間を災害や重労働から解放していくものであるとも考えられます。

 但し、文化の発展に役立とうと思えば、人間が本来持っている学ぶ力と、周りからの示唆や介添え、すなわち、教育が必要となってまいります。

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子育て応援ブログ 『現代文明の病理とは』ということは?

2012年03月26日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「学問→教学→教育への転化=明治政府の対応」から



★著書より★ 
1. 「教育」という言葉が、法律の名として登場するのは、一八七九年(明治一二年)の「教育令」が最初。

2. 元田永孚ながざねの起草といわれる「教学聖旨」(教学大旨)の公布。「学問」にかわって「教学」がとり上げられることになり、これが「教育勅語」に通底し、「教育」に対する人びとの一定通念として、一九四五年の敗戦に及ぶことになる。

3. これに先立つ文明開化時期には、一八七二年(明治五年)には「学制序文」(学事奨励に関する被仰出書おおせいだされしょ)が発布された。

4. この「学制序文」には「教育」という言葉はまったく用いられていない。「学問」ないし「学」が繰り返し用いられている。

5. その「学問は身を立てるの財本ざいほんとも言うべきものにして人たるものたれか学ばすして可ならんや」

6. 士人しじん(さむらい)の身分以上のものの中には、学問のことを「国家の為にすると唱え、身を立てるのもといたるを知らず」

7. 福沢諭吉もまた、自ら、『学問のすすめ』を世に問い、学問を通じての一身の独立を軸に、国家の独立を説いた。

8. その後、「学問」は「教学」を介して「教育」へと転用されることになる。

9. 教育と学問との関係を制度上明らかにしたのは、初代文部大臣森有礼ありのりである。


学問:勉学すること、学芸を修めること。
教学:教えることと学ぶこと、教育と学問。
教育:教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい社会の姿に変化させ、価値を実現する活動。


■私の学び■
 明治初期の「学問」は、自らが社会人として自立するために学ぶということと、国家の独立のために学ぶという、崇高な目的がありました。

 現代では、「学ぶ」ということはほとんど意識されず、「教育」という言葉が漠然と存在しているように見受けられます。といいますのは、教育基本法が、具現化されているとは考えにくいからです。


 旧教育基本法の一部を掲載します。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。



改正教育基本法の一部を掲載します。

 教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。


   第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。



とあります。いかがでしょうか?
 このようなことが、教育を通じて実現できているでしょうか?
 意味すら取れないところがあるのが、本音ではないでしょうか?

 一番重要なことは、社会をよくするために、自らが自主的に一生懸命学ぶことです。特に、仕事を通じて、知識だけではなく、他人と調和をして全体の質を上げていくことが、重要だと思います。

 子どもたちにも、教育基本法が何のためにあるのか、そしてそれはなにを目指しているのか、ぐらいは親や教師そして経営者として教える義務があるのではないでしょうか。



 教育基本法には、日本人が生きて暮らしをするなかで、人としてどうあるべきかが示されていると思います。せっかくよいものがあるのに、それが自由やお金やモノに価値を見出し、人間としての美しさが損なわれています。

 私たちは、今一度、精神の美しさを取り戻す必要があるのではないでしょうか?

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