7月15日(水)哲学学習会を会社で実施しました。参加人数は、7名でした。教材は、「自然の哲学」(下)田中 一著で「第十五話 原子の世界の法則」です。
現代は、ポスト・モダン(近代後期)であると指摘する社会学者もあります。ひとことで言いますと「再帰性」=「不作為もまた作為なり」、「するも選択、せざるも選択」という等価性のただ中に我々が立たされてしまうのが、この時代です。
(作為=積極的な行為・動作または挙動)
この背景には、産業革命(1760年ごろ)以来の科学技術の著しい発展や人々の市民権獲得や人権意識の高揚などの歴史的な量的変化に伴い、社会の複雑化、多様化、流動化があります。
しないことも自分で選択していますから、結局は、することもしないことも再び自分に戻ってきて、自分できめているということで「再帰性」です。
現代は、すべて個人が自由に判断できます。しかし、自分が自由に決めたことや実行したことは、社会を通じて自分に返ってきます。社会の質を上げたり、社会の秩序を保とうとすることもできますし、自分の好きなように自分だけのことを考えて行動することも可能です。このような、人間と社会が成熟してきた段階でいかに生きていくか、今は正に、このことを学ばなければいけません。
昔のように、「こうあるべきだ」と、一方的に押しつける社会は希薄になってきましたが、その反面、誰もがこうあるべきといってくれなくなったときには、全て自分の言動については、自分で責任をとらなくてはならず、たいへん高い人格が要求されているといってもよいでしょう。
今回の学びは、物質を細分し、しだいに微量にしていくと原子に到達します。原子の運動法則は前回の石ころの運動法則とはまったく質的に異なっています。
(原子の大きさは、約一億分の一センチメートル)
まず、どこが違うかといいますと、石ころはその位置と運動方向および速さを与えることによって運動状態を確定できます。すなわち、人間が投げるなどして、飛んでいる状態の石ころはどの瞬間にあっても、定まった位置にあって、確定した速さを有しています。
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原子の中の電子は、どの瞬間においても、ある範囲の位置に同時に存在し、ある範囲の速さを同時にとっています。
これはちょっと違うどころではありません。あまりにも異質です。このような物質の状態を量子的状態といい、これに対して、石ころなどの状態を古典的状態といいます。
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位置と速さをグラフで示すとこのようになります。
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第1図)石ころなどでは、どの瞬間にあっても、粒子の位置と速さがきまった値をとっているので、各瞬間ごとにこのグラフ上の一点で示されます。
第2図)たとえば一定の速さでとんでいる石ころは、図のように横に伸びた一本の直線で示されます。
第3図)量子的状態の場合には、図のようにどの瞬間においても、粒子はある範囲の位置に同時にあって、ある範囲の速さを同時にとっています。
第3図における特に大切な点は、速さと位置のひろがりの面積に下限があるという点です。
もう一つ注意すべきことがあります。それはひろがりの面積が粒子の質量の増大とともに小さくなることです。その結果、電子のように小さな質量を持つ粒子の場合には、このひろがりはある大きさに達して、このため粒子の運動状態が位置と速さのグラフ上で有限なひろがりをもっていることをつねに考慮しなければなりませんが、石ころのように大きな質量をもった粒子の場合には、このひろがりが極めて小さくなって、第1図のようにただの点にちぢまってしまうとみなすことができます。これが普通見る石ころの運動であって、このように自然のなかでは、量子的状態と古典的状態とがうまくつながっています。
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次に、第4図と第5図を参照して量子的状態の弁証法についてみていきましょう。
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第4図のように、速度がある定まった値をとる状態は、位置がまったく不定です。
第5図のように、位置が定まった値をとる状態は、速度がまったく不定となります。
これらを見ればわかりますように、位置と速度の物理量は、両方あいともなって粒子の状態をあたえながら、相互に排斥しあっています。すなわち、位置と速度は、量子的状態の矛盾を形成しています。これがまさに弁証法の原因の法則です。
まとめますと、石ころのような大きな量を持つものが小さくなる(物質の量の減少)にしたがって、物質の量の減少がその運動法則の質的変化をもたらし、原子の世界は質的に別の量子状態になり、量子的法則が支配しているということです。
今回の学習会で学んだことは、アインシュタインの相対性理論、すなわち、物質の速さが光の速さに近づくと、古典的な物理法則が通用せずに、時間が遅くなるのと同様に、物質の量を限りなく小さくしていくと、これまた、古典的な物理法則が通用せず、位置と速さを一点で捉えることはできず、ある範囲でしか捉えられないということです。
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ものごとが、究極に近づいていくと、それまでの法則が通用しなくなり、その過程で質的変化を生じ、違った法則で運動するということです。そして、普通の状態と極限の状態、及びその状態でそれぞれ、違った運動法則が、自然の中には同居しているということです。
まさに、多様性、異質性が共生、共存しているのが、われわれの生きている世界なのでしょう。さらに、人間や社会には、そこに意思が加わり、理念を掲げたり、秩序立てたりすることもできますし、またその反対もできます。やはり、一番重要なことは、一人ひとりどのように生きるかを選択することで世界が変わりますので、一人ひとりが真剣に深く、広く学び、よりよい選択をし、行動していかなければいけないことではないでしょうか。