心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

物質の本質は何なのか

2009年03月16日 | 哲学
 先日(3月11日(水))、わが社で哲学学習会を開催しました。参加人数は、社外の方を合わせて12名でした。
 テキストは、「自然の哲学」(上、下)田中 一著 を使用しています。
 この日は、第十一話 質の生成と物質の運動 を読み合わせて、ものの見方を深めました。

 さて、今回は哲学シリーズ第二段です。

外界の特徴は、たえず質的に新しいものが生成して消滅していることです。質の生成とは、単に物事が変化しているのではなく、熱を与えると氷(固体)が水(液体)に、水(液体)が水蒸気(気体)に変化するように、連続した軽微な変化ではなく、比較的大きな質自体が変わるような変化のことをいいます。

私たちのまわりにある物質は、すべて原子や分子でできていて、たえず変化し、分解し、生成しています。

次の図で示しますように、宇宙の成り立ちを考えますと、約137億年前、ビッグバンによって宇宙が誕生し、45億年前ぐらいに太陽系すなわち、地球が誕生し、37億年前ぐらいに地球上に生命が誕生して、それが進化して現在にいたっています。

宇宙誕生時には、数個の原子しかなかったものが、熱などのエネルギーによって無機質が誕生し、そこから有機化合物ができ、単細胞、植物、動物などの生物ができ、ついには520万年前に人類が誕生しました。現時点における自然の最高の発展が、前回お話しました精神の能動性と意識の先行性をもった人間です。





 物質の究極の姿が、人間で、物質の本質とは、運動であり、たえず運動することによって必然的に変化することです。
 言い換えますと、人間は、物質の運動とその必然性から生まれてきたのだという見解を唯物論ではとります。





そして、人間は自然を意図的に変えられますし、つくり出せる唯一の生き物です。自然では、生成できないものを化学的につくることができます。
 ですから、われわれ人類は、その性質から世の中をよくすることも、悪くすることもできます。

 今は、民主主義と自由の名のもとに市場の秩序にしたがって、行動していますが、世界もそうですが、日本でも特に秩序が破壊されているような気がします。
 自由と金とものがあれば、人間は怠惰になり堕落しますし、その象徴ともいえるお金を求めて好き勝手に生きるようになります。

 




 日本では、戦前は儒教思想などにより、社会の秩序を保つものがありました。





 世界の歴史をみましても、なぜキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教などの宗教ができ、道徳のように道を説き、儒教などのように徳を説かなければならなかったのか、さらに昔からなぜ法律があったのかをいうことを考えますと、まさに秩序維持のためではないかと私は、気づきました。

 



 本来は、人間自らのもつ良心で善悪の判断をすることが望ましいわけですが、世界の歴史が示しますように、人間には欲望や感情がありますので秩序をなかなか維持できません。
 そこでこのような決まりごとをつくって、人類の幸せを目指して世界を秩序あるものしようとしてきたとも考えられます。


 先の調査(2006.7.28公表 英 レスター大学 ドリアン・ホワイト氏 「幸福度マップ」)で、世界一幸福度の高い国は、デンマークでした。

さて、ここで問題です。
問:日本の幸福度は、いったい世界で何位でしょうか?





 先ほども申しましたとおり、今は秩序が乱れていると思いますが、そこで、世の中の流れも少し変わってきているのではないかと思われます。
 それは、自由放任から統制社会へということです。
 1930年代の世界恐慌のときにアメリカのルーズベルト大統領がとった政策です。
 市場の自由に任せていて、今回のようなサブプライムローンのような金融債券化で世界中が混乱しました。そこで政治や行政で少し統制しようとする動きです。
 アダム・スミスやフリードマンの自由主義、新自由主義(小さな政府)からケインズの政府がコントロールする(大きな政府)への動きです。
 これで、これからの世界の舵取りがうまくいくとは、思いませんがものごとは、波を打って変化していくことも確かです。





 最後になりますが、われわれが、この日本を住みやすくするためには、価値観を変えていく必要があると思います。
 今の日本の価値観では、スポーツ選手や芸能人や、少し前では巨額なお金を短期間で稼ぐ、ホリエモンこと堀江貴文氏や村上世彰氏など、お金やもの、かっこよさに価値観や憧れがあるようですが、私は、これからの日本の未来を考えるとフィンランドのように国全体が自然との調和を図りながら教育に関心を持って、子供を本当に大切にし(甘やかすのとは正反対)、努力することや、仕事すること、知性や教育に価値観をもつようになればよいなぁと思っています。


 前回のブログの答えですが、ピサの斜塔から大小2つの鉄球を同時に落としたらどちらが先に着地するでしょうかという問いでしたが、(3.同時に着地)が正解ということにしておきます。
 その理由は、重力磁場の中では違う物質であっても同じように運動するということです。
たとえば、川の流れの速さ(重力磁場)が一定だとしますと、動力のない重さの違う鉄の船も、木の船もその重さに関係なく、川の流れの速さによってそれぞれの船の速度は左右させますね。川の流れの速さが一緒であれば、同じ速さで流されていきますね。これと同じ原理です。

 でも違うかもしれませんので、調べてみてくださいね。

真理とは何か

2009年03月03日 | 哲学
 先日(2月25日(水))、わが社で哲学学習会を開催しました。参加人数は、社外の方を合わせて10名でした。
 テキストは、「自然の哲学」(上、下)田中 一著 を使用しています。
 この日は、第十話 真理とは何か を読み合わせて、ものの見方を深めました。

 この本は、唯物論と弁証法についての入門書です。
 唯物論から見た世界の見方を学ぶことは、われわれの生きている世界を先にものが実在することを認めたうえで、それが何であるかを精神でもって理解するということです。
 すなわち、自然や社会を観察し、その本質は何かについて思いを巡らせるというものです。

 さて、唯物論の立場からすると、真理とは、客観的実在と合致する観念ということになります。



 自然や社会などの外界を客観的実在といいますが、人間は誰しも同じように認識できるわけではありません。
 しかし、客観的実在には、特徴があるとされており、その一つひとつが、固有の運動法則に従って運動していて相互に関連しあっているということです。
 ということは、その固有の運動法則と相互の関連性を誰もが、等しく認識できればそれが、真理となるわけですが、それが簡単にはいきません。

 なぜ簡単に、真理に到達しないかというと、一つには、私たちは、自分の経験や自分の感覚だけでものを見てしまっていることが多いことと、今ひとつは、自然もそうですが、特に社会は激しくしかも瞬時に変化しているからです。



 言いかえれば、意識と外界はダイナミック関係をもっていて、相互に影響しあっているということです。
 つまり、人間には特別な生命活動、すなわち、精神の能動性(じっとしていられない)と意識の先行性(先のことを意識で予測できるのは人間だけ)があり、これが、強く外界(自然や社会)に働きかけることによって、外界がさらに変化し、変化した外界が、人間の意識に強く反映されるということです。

 そこでなにが読み取れるかといいますと、この世界における人間は、認識の無限の可能性を前提とし、今日における物質的自然や社会の発展を保障する役割を担っていると結論づけています。



 真理とはあくまで観念であるので変わる可能性があるといっています。
 真理について少し付け加えますと、真理は、必ずしも、絶対ではありません。

 それをこの本では、真理の相対性と絶対性という言葉を用いて説明しています。

真理の相対性とは、私たちの獲得する真理は、つねに部分的な限界のある真理であり、
真理の絶対性とは、その部分に関する限りは客観的で正しいという意味で絶対的である。
と説明しています。
例:(ニュートンの運動法則などは、物質の速度が光速に比べて遅い場合は、成り立ちますが、その速度が光速に近づくと時間が遅くなり、アインシュタインの相対性理論を用いなければこのことは、説明できません)





 この話で、やはり自分の脳を鍛えておかなければならないことを痛感した次第です。

 さて、質問です。
イタリアのピサの斜塔から、大小二つの鉄球を、同時に落としました。
さて、大きいほうか、小さいほうか、どちらが先に地面についたでしょうか?
1.大きいほう 2.小さいほう 3.同時に着地
さて、その理由は? 

正解されても、景品は出ませんが、頭のリフレッシュをしてみましょう。