9月16日(水)哲学学習会を会社で実施しました。参加人数は、9名でした。教材は、「自然の哲学」(下)田中 一著で「第十七話 生命について」です。
所感
前回、現代では、普遍性や客観性を執拗に追及するよりも、「心」や「社会」の問題は、他の人との関係性を重視する時代と申しました。
今回は、関係性について考えて見ましょう。私たちは、いろいろな社会とかかわりをもっています。それぞれの社会のとのかかわり方を明確にしておかないと、支障が出てきます。私たちが、かかわっている社会は、家族、友人、会社、社会などです。
まず、家族から見ていきましょう。家族関係の特性は「情愛」です。これは、生まれてから自己の基礎を決定づけるといってもいい関係です。
次に、友人関係の特性は、「親和」です。友人関係は、家族以外の人と人のつながりや協調性や助け合いの心や、心の機微を学ぶところです。社会では、他の人の迷惑にならないように、公共心を向上させ、自らの生活を安定させることがその特徴といえましょう。
会社との関係は、雇用関係でその特性は、「役割分担」であり、「利害」が絡みます。社会との関係の特性は「生活の安定」でしょう。
ということは、会社では、仕事に励んで利益を出さなければいけませんし、家庭では、利害をもち出しません。人間としての基礎を愛情と共に学んでいくところです。
したがいまして、家族の関係を会社に持ち込んではいけませんし、会社との関係を友人の関係に持ち込んではいけません。
それぞれの社会に応じた言動が、社会の秩序を円滑にしますね。
本日の学び
今回の学びは、無機的な物質と比較して、生物の運動には弁証法的な特徴があざやかにあらわれています。いままでのべてきた弁証法にもとづいて生命の弁証法を探ってみましょう。
生命の特徴として、開放系であると同時に閉鎖系であるということです。それはどういうことかと申しますと、どの生命個体も、つねに外界から必要な物質を取り入れ、外界へ放出するという物質の流れのなかにあって、はじめてその生命をたもつことができます。 そして個体は開放系であるとともに生体膜を境界としてもつ外界から区切られた閉じた存在でもあります。もっとも、境界の生体膜はただの膜でなく、外界に対するセンサーの機能にくわえて、ある物質は通し、ある物質は通さないという選択性をもっています。このような能動的な境界をもつ閉鎖系というのが個体の特徴です。
ですから生体も開放系と閉鎖系の内部矛盾をその活動の基本にしているということです。
次に、生命運動をささえる異化と同化ということがあります。どういうことかと申しますと、生物は環境との間に、物質を交換、すなわち外界からの物質の吸収と外界への物質の排出をおこなうとともに、一方、生体内ではタンパク質をアミノ酸に分解し、またアミノ酸からタンパク質を合成するなど、物質のさまざまな変化が進行しています。この物質代謝は、二種の化学反応に分かれています。一つは、アミノ酸からタンパク質を合成するように、簡単な物質から複雑な物質をつくる化学反応です。これを同化といいます。もう一つは、同化と反対の化学反応であって、タンパク質をアミノ酸に分解するように、複雑な物質を簡単な物質に変えることで、これを異化といいます。
異化と同化は、ひとつの固体の中に並行して進行する対置した二つの化学反応であるといえます。それと、異化と同化は、互いに排斥しあっている関係ではないので、生物を特徴づける内部矛盾を構成しているとはいえません。
次に、形態と機能について考えて見ましょう。生命個体の運動の特徴は外界に対する反応にありました。この反応性が生きることを特徴づけています。個体の機能はその個体の形態をはなれて存在することはなく、一方、機能をともなわない形態も存在しません。こうして形態と機能は、固体をして固体たらしめる不可分な二つの面です。したがって形態と生理(機能)を生物個体の内部矛盾と考えられます。
さらに、形態と生理(機能)の関係は、形式と内容の関係に発展していきます。この関係で重要なことは、この両者が、死んだ静的な関係にあるのではなく、互いに生きいきとした相互関係をつくっていることです。内容は形式をこえて進展して形式を変えようとします。一方、形式は、第一には、内容の存在を可能にするのですが、内容が変化していく場合には、いままでの形式がそのままであるためその内容の進展のさまたげとなります。やがて形式は、しだいにときには急激に変更されて内容の一層の進展をうながします。こうして、両者は、互いに事物の運動をささえて統一しながら、否定しあうことによって、事物の運動をひきおこしていきます。
以上が、本日の学びでしたが、日本における政権交代が歴史的といわれる所以が理解できるような気がします。政治の指導者が変わるということは、政治の形式が変わることであり、その内容もおのずと変わり、内容が変わっていけば、形式も変わっていきます。
私たち自身も、国のあり方や生活のあり方について、形式と内容の原理を知り、自らが変化してよくしていかなければならないことを学びました。
所感
前回、現代では、普遍性や客観性を執拗に追及するよりも、「心」や「社会」の問題は、他の人との関係性を重視する時代と申しました。
今回は、関係性について考えて見ましょう。私たちは、いろいろな社会とかかわりをもっています。それぞれの社会のとのかかわり方を明確にしておかないと、支障が出てきます。私たちが、かかわっている社会は、家族、友人、会社、社会などです。
まず、家族から見ていきましょう。家族関係の特性は「情愛」です。これは、生まれてから自己の基礎を決定づけるといってもいい関係です。
次に、友人関係の特性は、「親和」です。友人関係は、家族以外の人と人のつながりや協調性や助け合いの心や、心の機微を学ぶところです。社会では、他の人の迷惑にならないように、公共心を向上させ、自らの生活を安定させることがその特徴といえましょう。
会社との関係は、雇用関係でその特性は、「役割分担」であり、「利害」が絡みます。社会との関係の特性は「生活の安定」でしょう。
ということは、会社では、仕事に励んで利益を出さなければいけませんし、家庭では、利害をもち出しません。人間としての基礎を愛情と共に学んでいくところです。
したがいまして、家族の関係を会社に持ち込んではいけませんし、会社との関係を友人の関係に持ち込んではいけません。
それぞれの社会に応じた言動が、社会の秩序を円滑にしますね。
本日の学び
今回の学びは、無機的な物質と比較して、生物の運動には弁証法的な特徴があざやかにあらわれています。いままでのべてきた弁証法にもとづいて生命の弁証法を探ってみましょう。
生命の特徴として、開放系であると同時に閉鎖系であるということです。それはどういうことかと申しますと、どの生命個体も、つねに外界から必要な物質を取り入れ、外界へ放出するという物質の流れのなかにあって、はじめてその生命をたもつことができます。 そして個体は開放系であるとともに生体膜を境界としてもつ外界から区切られた閉じた存在でもあります。もっとも、境界の生体膜はただの膜でなく、外界に対するセンサーの機能にくわえて、ある物質は通し、ある物質は通さないという選択性をもっています。このような能動的な境界をもつ閉鎖系というのが個体の特徴です。
ですから生体も開放系と閉鎖系の内部矛盾をその活動の基本にしているということです。
次に、生命運動をささえる異化と同化ということがあります。どういうことかと申しますと、生物は環境との間に、物質を交換、すなわち外界からの物質の吸収と外界への物質の排出をおこなうとともに、一方、生体内ではタンパク質をアミノ酸に分解し、またアミノ酸からタンパク質を合成するなど、物質のさまざまな変化が進行しています。この物質代謝は、二種の化学反応に分かれています。一つは、アミノ酸からタンパク質を合成するように、簡単な物質から複雑な物質をつくる化学反応です。これを同化といいます。もう一つは、同化と反対の化学反応であって、タンパク質をアミノ酸に分解するように、複雑な物質を簡単な物質に変えることで、これを異化といいます。
異化と同化は、ひとつの固体の中に並行して進行する対置した二つの化学反応であるといえます。それと、異化と同化は、互いに排斥しあっている関係ではないので、生物を特徴づける内部矛盾を構成しているとはいえません。
次に、形態と機能について考えて見ましょう。生命個体の運動の特徴は外界に対する反応にありました。この反応性が生きることを特徴づけています。個体の機能はその個体の形態をはなれて存在することはなく、一方、機能をともなわない形態も存在しません。こうして形態と機能は、固体をして固体たらしめる不可分な二つの面です。したがって形態と生理(機能)を生物個体の内部矛盾と考えられます。
さらに、形態と生理(機能)の関係は、形式と内容の関係に発展していきます。この関係で重要なことは、この両者が、死んだ静的な関係にあるのではなく、互いに生きいきとした相互関係をつくっていることです。内容は形式をこえて進展して形式を変えようとします。一方、形式は、第一には、内容の存在を可能にするのですが、内容が変化していく場合には、いままでの形式がそのままであるためその内容の進展のさまたげとなります。やがて形式は、しだいにときには急激に変更されて内容の一層の進展をうながします。こうして、両者は、互いに事物の運動をささえて統一しながら、否定しあうことによって、事物の運動をひきおこしていきます。
以上が、本日の学びでしたが、日本における政権交代が歴史的といわれる所以が理解できるような気がします。政治の指導者が変わるということは、政治の形式が変わることであり、その内容もおのずと変わり、内容が変わっていけば、形式も変わっていきます。
私たち自身も、国のあり方や生活のあり方について、形式と内容の原理を知り、自らが変化してよくしていかなければならないことを学びました。