心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

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子育て応援ブログ 『教育の基本理念と親の役目』ということは?

2012年03月31日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「教育は演出、学校は劇場である」から




★著書より★ 
1. ヒトにとっての教育は、一人ひとりの生存権としての学習権の充足という仕事であり、まずヒトの学習要求にそって働きかける、助成する地位にあるといえる。

2. 教育は所詮その子、その人の自ら変わる力への信頼に始まり、一人の子どもとのかかわりの中で、その展開する自己形成のドラマを助ける演出活動である。

3. それは一期一会いちごいちえの出会いの連続だから、演出の自由を本義とし、それを保障するための法律や制度、条件整備こそが必要であろう。

4. 教育の基本理念はあくまで一人ひとりの自己形成力に基づく持ち味を発掘し、その持ち味に応じた社会的部署を得て「ひとなる」ことを保障する道をさぐることである。

5. 次世代にどうしても教えたい文化をどうしたら次の世代が獲得し、再創造していくことができるかは、種の持続としての教育の中心課題であることは間違いあるまい。



■私の学び■
・あくまで教育というのは、介助または演出役で、主役はその子が自ずから持っている自分を創っていく力の手助けをするということであり、決して強制してはならないということです。

 かといって、一人の子が、社会の中で自立して生きていくことは、並大抵のことではありません。自分の能力を最大限に伸ばすこと、社会のルールを知ること、自分以外のことを知ることによって自分の立ち位置を知ることなどは、ものすごいエネルギーが必要かと思います。

 但し、人間は一度、自覚するとたいへんなことが、たいへんでなくなることも確かですね。そういう意味では、生きることは楽しいのかもしれません。
 それを上手く誘導するのが、親の役目であり、年長者としての役目だと思います。

 このことを自覚していなくて、自分が自分の人生をこの世で自由に楽しんだらいいとだけ考えるのは、片手落ちだと思います。次の代にきっちりと大事なことは伝えなければなりません。

・子どもに対して直接、「勉強しなさい」というのではなく、勉強に興味を持つように環境整備を行い、つまずいたら、きめ細かに相談にのることが必要です。世界を広げていくのも教育の役目の一つかもしれません。

・ 「ひとなる」という意味と新・旧教育基本法の「人格の完成」というのとどう違うのでしょうか?

・ 「ひとなる」というのは、「人間が人間になる」という意味だと思います。だとすれば、どのような状態が人間になるということでしょうか?また、どうすれば私たちは人間になることができるのでしょうか?

・ それは、肉体的には遺伝子情報の入ったDNAのとおりに人間は大きくなっていきます。



 その過程で、外部からの情報受信、外部への情報発信をしながら徐々に生きるということを学びとります。外部からの情報は、教育的なものと教育とは関係なく自ら意図的に或いは意図せずに受発信します。その量は莫大なものです。

 自然に外部の影響を受けながらも、自分は自分の感覚で情報整理をし、自分を自分流に社会やまわりに適応するように学び変化していきます。
 そして一瞬、一瞬自分であらゆることを理性的に、経験的に、感覚的に、時には気分しだいで理性の真逆のことを選択したりして、自分を創っていきます。
 そして、その内に自分の持ち味を見つけ出し、そのことによって、社会での役割を担うようになっていきます。

 

 そして大人になると次の世代が社会に適応し、さらに社会を持続できるように教育するこができるようになることが、人間となるということでしょうか?

・ ここでは、学びの質には触れていませんが、人間が人間になるのには、人や自然と接することも重要ですが、歴史や社会のしくみを学ぶこと、ものの見方・考え方を学んで、宇宙視野で自分の立ち位置を知るということが決定的に重要です。

・ でも誰もがこうできるとは限りませんし、一人の人間が生きていくのに真理や普遍性、本質など深めなくても生きていけるかも知れませんね。
 ただこうなると、ものごとの善悪がなおざりにされ、社会の質が劣化することは十分予測されます。

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子育て応援ブログ 『人間にとって文化とは』なんでしょうか?

2012年03月27日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「ヒトの文化の原初を考える」から



★著書より★ 
1. ヒトが人として育つことの基礎には、0.1ないし0.2ミリの受精卵からの発生の過程がある。
 そこから六〇兆ともいわれる大人になるまでの細胞の旺盛な複製と更新、各臓器への機能分化があり、そういう生理的プロセスが、遺伝子をのせたDNAの中に組み込まれたプログラムが、環境刺激との関係で展開するのであろう。

2. 生物の器官の進化と、人類の文化の進歩が、環境への適応という点で相似たところがあることを認めながらも、両者の違いを、人類の文化による環境適応の装備と、動物の長い時間をかけた自らの身体変化による装備とのあいだに一線を引くことを試みている。(V・ゴルドン・チャイルド『人間は人間をつくる』より)

3. チャイルドは、野生のヒツジがあつい毛皮とやわらかい毛におおわれて、山岳の寒い気候に適応しているのに対し、同じ気候のもとで、人間はヒツジの毛皮や、わた毛のコートで生存できる、などさまざまの動物とヒトの環境適応装備の比較によって、前者は遺伝に、後者は遺伝によらず、出生後の教育(学習)によると主張する。

4. この考えによれば、文化とはヒトが身体外に創り出す適応装置だということになる。

5. 漆の活用(縄文時代)にみられるように、「かぶれる」という感覚のうえでの抵抗(バリアー)を乗り越えて、つまり生活欲求の問いかけに対して、それを満たすための手だてが考え出されたという事実がある。

6. バリアーに対して、反射的に回避することなく、思考という迂路(遠回りのみち)を介して、生活欲求を実現するための一種の道具の発見である。

7. この迂路、思考は、文化が創造されていくプロセスである。

8. 他の生物の行動の中にも選択思考のきざしが見られるのだから、文化の起源も深く他の動物にも見られるが、ただ身体以外に道具を作り出すのには、より高度の工作知を必要とすることは確かだろう。


■私の学び■
 ここから学べることは、
 人間の歴史は何であったか?
 人間の本質的な営みは?
 人間の文化とは?
 その中での仕事の役割とは?


 人間の歴史の本質が、文化の創造(遺伝によらず身体の外に創りだす環境への適応装置)であるならば、私たちの仕事も、その進化・発展の過程の(歴史の)頂点に立ち、さらに使い勝手のよい商品やサービスを創りだすこと、そしてそれらを生み出す道具や、方法を考えること、すなわち仕事をすることが、人間にとっての本来性であると思います。




 ただ、物質的なものだけではなく、人類が仲良く共生していけるようなことをするのも、忘れてはならない仕事の一つだと思います。

 そういった意味では、仕事とは、人間が生きていくためには必要不可欠のものであり、決して受身のものではなく、積極的になすべきものであって、人間を災害や重労働から解放していくものであるとも考えられます。

 但し、文化の発展に役立とうと思えば、人間が本来持っている学ぶ力と、周りからの示唆や介添え、すなわち、教育が必要となってまいります。

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子育て応援ブログ 『現代文明の病理とは』ということは?

2012年03月26日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「学問→教学→教育への転化=明治政府の対応」から



★著書より★ 
1. 「教育」という言葉が、法律の名として登場するのは、一八七九年(明治一二年)の「教育令」が最初。

2. 元田永孚ながざねの起草といわれる「教学聖旨」(教学大旨)の公布。「学問」にかわって「教学」がとり上げられることになり、これが「教育勅語」に通底し、「教育」に対する人びとの一定通念として、一九四五年の敗戦に及ぶことになる。

3. これに先立つ文明開化時期には、一八七二年(明治五年)には「学制序文」(学事奨励に関する被仰出書おおせいだされしょ)が発布された。

4. この「学制序文」には「教育」という言葉はまったく用いられていない。「学問」ないし「学」が繰り返し用いられている。

5. その「学問は身を立てるの財本ざいほんとも言うべきものにして人たるものたれか学ばすして可ならんや」

6. 士人しじん(さむらい)の身分以上のものの中には、学問のことを「国家の為にすると唱え、身を立てるのもといたるを知らず」

7. 福沢諭吉もまた、自ら、『学問のすすめ』を世に問い、学問を通じての一身の独立を軸に、国家の独立を説いた。

8. その後、「学問」は「教学」を介して「教育」へと転用されることになる。

9. 教育と学問との関係を制度上明らかにしたのは、初代文部大臣森有礼ありのりである。


学問:勉学すること、学芸を修めること。
教学:教えることと学ぶこと、教育と学問。
教育:教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい社会の姿に変化させ、価値を実現する活動。


■私の学び■
 明治初期の「学問」は、自らが社会人として自立するために学ぶということと、国家の独立のために学ぶという、崇高な目的がありました。

 現代では、「学ぶ」ということはほとんど意識されず、「教育」という言葉が漠然と存在しているように見受けられます。といいますのは、教育基本法が、具現化されているとは考えにくいからです。


 旧教育基本法の一部を掲載します。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。



改正教育基本法の一部を掲載します。

 教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。


   第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。



とあります。いかがでしょうか?
 このようなことが、教育を通じて実現できているでしょうか?
 意味すら取れないところがあるのが、本音ではないでしょうか?

 一番重要なことは、社会をよくするために、自らが自主的に一生懸命学ぶことです。特に、仕事を通じて、知識だけではなく、他人と調和をして全体の質を上げていくことが、重要だと思います。

 子どもたちにも、教育基本法が何のためにあるのか、そしてそれはなにを目指しているのか、ぐらいは親や教師そして経営者として教える義務があるのではないでしょうか。



 教育基本法には、日本人が生きて暮らしをするなかで、人としてどうあるべきかが示されていると思います。せっかくよいものがあるのに、それが自由やお金やモノに価値を見出し、人間としての美しさが損なわれています。

 私たちは、今一度、精神の美しさを取り戻す必要があるのではないでしょうか?

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子育て応援ブログ 『現代文明の病理とは』ということは?

2012年03月24日 | 仕事
 朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
 本日のテーマ:「現代文明の病理を見すえる――『問』と『答』の間」から



★著書より★ 
1. 現代の病理は、ラブよりマネー、かかわり合いより自分本位の便宜と効率、アナログよりデジタル依存ということです。
2. ラブは、いうまでもなく人間の実存にとって最高にして最後のもの
3. 人間相互のラブってものが非常に衰退している
4. 生命というものはいろいろな他の生き物、宇宙を形成しているいろいろな事物とすべて関係して存在している



■私の学び■
 日本は、マネーよりラブの方に価値観が少し向いてきているように思います。その理由は、
二〇〇八年のリーマンショックでマネーの弊害を思い知らされました。

 それがきっかけで二〇〇九年に政権が自民党から民主党へ変わりました。
 すなわち、お金、お金の世界から生活者や消費者を主軸にする選択をしました。

 その後、二〇一一年三月の東北大震災(地震、津波、原発事故)により、人びとは、お金より人と人との絆の大切さを思い知らされました。

 みんなが望んでいるのは、お金の量や物の豊かさではなく、より人間的な人と人とのつながりです。贅沢はしなくてもいいから、普通の生活をしたい、という思いが強くなってきていると感じられます。




 実存とは何でしょうか?
 哲学史に実存主義というのがでてまいりますが、実存というのは、人間は建物のように設計図どおりにならない。生きている瞬間、瞬間にどう行動するか確率的に選択して生きている存在ということと私は、理解しています。
 そして、そうした存在の中でラブは最高にして最後のものということでしょう。

 ラブとは、いろいろな解釈ありますが、
(1) あてにしあてにされる
(2) 思いやり
(3) 存在するだけで生きる勇気がわいてくるもの(観念上も含む)


 ラブという概念を子どもに伝えられれば、よい社会になりますね。


 そして、私も、宇宙全体、世界全体がなんらかの関係でつながっていると思っています。そいう大きなものに対する畏敬というか、自分が世界の中心あるいは全てではなく、偉大なメカニズムの中のちっぽけな一つだという見方も大事であると思います。そうしますとラブのような他に対する思いやり気持ちもわいてくるのではないでしょうか。

 こう考えると、他によいことを働きかければ、自分によいことが返ってきますし、よくないことを働きかければ、よくないことが返ってきます。

 このような考え方が、子育てに役立てば明るい未来が見えてくるような気がします。


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子育て応援ブログ 『人間が人間になる』ということは?

2012年03月23日 | 仕事
 朝礼での学び 「生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
 本日のテーマ:「人間研究=教育を通しての探求」から



★著書より★ 
1. 『問』と『答』の間⇒人間は他の動物のように“本能的行動様式”によって事を処理していくのではなく、選びながらの生き方というものを特色とする。
2. 一人ひとりがユニークな問いとユニークな答えを出すその答えの出し方ないし選び方によって自分の現在及び将来が綴られていく⇒教育はアート
3. 多様な選択肢の中から、一期一会、その時その時の選択の蓄積が、その人その人格と生涯というものを形成していくと考えれば、子どもが育つということは壮大なアート。
4. 生活綴方:生活を方言で語る。体から出てくる言葉を大事にする。



■私の学び■
 『人間が人間になる』というのは、どういうことでしょうか?
 まとめてみたいと思います。

◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆

(1)  子どもが仲間と自然の中で遊ぶ(内発性、協調性、自然の偉大さ、仕事観などを学ぶ)
(2)  家族や自分の周りの人と積極的にかかわる
(3)  自分の中から湧き出してくるもの(内発性)を大切にする
(4)  将来の姿(なりたい自分)を描く
(5)  瞬間、瞬間の選択をする(理性や道理や経験に基づくとは限らない)
(6)  経験を蓄積していく
(7)  周りの世界を広く深く知り自分がどの位置にいるかを知る
(8)  そのために歴史や社会、ものの見方・考え方などを学び普遍性を追及する必要がある
(9)  そうした中で、問い続け、想像し、創造しつづけること
(10) その中で自分が、何が得意なのか、他と違うのはどこかを見つける
(11) その上で、その持ち味を活かして社会に貢献する
(12) その中で、社会の秩序維持や公共の福祉に積極的にかかわれるようにする
(13) そうした過程を経て、人に教えてもらいながら、自分で自分の生涯を形成していく 
(14) それを次の世代に伝えていき、子や孫の時代まで責任を持つ

◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆ー◆

ということでしょうか?


 このような原理を知り、自分自身で消化し、納得しながら子育てをしていくことが大切かと思われます。

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子育て応援ブログ 『現代文明の病理とは』なんでしょうか?

2012年03月05日 | 仕事
朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「市場経済の中で人間関係が引き裂かれる」から



★著書より★ 
1. わが国の教育は、教え諭して人をかえるという教化であり、教え諭すことが教育の通念になってきた。
2. 集団として人材を養成する、人材育成を目的として学力テストによって人間を評定・評価する、あたかも物を評価すると同じようにテストの点数や順番で人間を評価する。
3. 教化思想によって大人が子どもを教え諭すので大人と子どもの間で溝ができ、子どもは縦の関係で引き裂かれると同時に、競争により横の関係でも引き裂かれることになる。
4. 都市化が進み、自然がだんだん失われ、子どもたちが自然に触れて遊び育つという育ち方がほとんどなくなった。
5. その結果、実際のもの・ことをどのように扱うのかという力量がほとんど身につかないまま幼稚園、小学校、中学校、高等学校へ進んでいく。
6. 自然ほど偉大な教師はどこにもいません。自然に触れることによって驚き心を分かち合うという経験が仲間のなかでたくわえられていることがしっかりあって、そのうえに知識を獲得していく。




 わが国だけではなく、米や中国、韓国でも、学力により評価するという風潮は、強いと思います。グローバルの世の中で競争に勝とうと思えば、このような方法を取らざるを得ないような気がします。

 しかし、私たちが目指すのは、金持ちになることが一番ではなく、みんなが平和に普通に暮らせる社会です。今の経済の現状は、グローバル化が進み、競争主義や市場原理主義に歯止めがかからず、また、それに代わる主義や思想もでてきていませんので、人びとの生活に弊害が出てきていると言わざるを得ません。

 今後は、もっと人間味のある人材を育てなければいけないと思います。人を幸せにすることや、人を悲しませない、人の幸せを阻害しないような人間性をもった人たちの数を増やしていかなければならないと思います。今後の子育ての課題です。

 かといって、何もしなくてもいいということにはなりません。そのような社会にするために日夜努力を惜しまずに行動することが大切ですね。その中での、経済的、科学的発展は、人間の特性からして、もちろん必要だと考えます。ただ、目的を取り違えるといけませんね。



 より多くの人たちが幸せになることに目的を置かなければなりません。但し、功利主義のように「最大多数の最大幸福」という意味ではありません。そうしますと、力の強い金持ちのいうことが優先され、弱者が取り残される結果となりそうだからです。




 また、学校教育につきましては、教育と呼ばないで、技能塾、基礎知識塾と呼んで考え方や価値観を教えるのではなく、人が生きていく上での共通言語のようなものを身につけさせればいいという意見もあります。

 価値観(人間としてどうあるべきか、ものごとの善悪)は、自分で学ぶのが一番よいのですが、手助けは、親が主となり責任をもたなければならないと思います。学校や国家がやるとどうしても強制のようになってしますからです。
 そのためには、文化や伝統(国風、家風)なども重んじ、継承していくことが必要になってきます。親もしっかり学んで、子どもと一緒に共育ちする必要がでてきます。

 そういう意味では、家庭に親がいることが本来的で、現代のように子どもをほったらかしにして仕事に専念し、自分の楽しみのために生きるという生き方を今一度、見直す必要があると思います。



 なぜ、自然は偉大なのでしょうか?
 私は、自然の中に私たちが生きるためのすべての問いと本質的、普遍的な答えが含まれていると考えています。人間は人間をつくれないという事実をとっても、自然の偉大さがわかるというものです。

 自分の心臓は誰が動かしているのでしょうか?
 私は、何故生まれてきたのでしょうか?そのような問いに私たちは、答えられません。でも自然の中に現に存在しているのです。



 また、人間が自然のなかでよく育つと、この世界を意識的によくすることができます。これは、他の動物では決してできることではありません。
 人間は、他の生物や生物以外のものに対して影響を与えることができるということです。ということは、人間は自然界にとって重要な役割を担っていると自覚し、自然や社会に対して責任が存すると私は、考えます。


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子育て応援ブログ 『設計図と学習の関係』 『学習と教育の関係』 『学習と生存の関係』について

2012年03月02日 | 仕事
 朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
 本日のテーマ:「学習は、生きている生命の活動である」



★著書より★
1. その子どもが学習により新しいものを身につけていくと、その子の設計図が自己更新をとげる。⇒設計図と学習の関係。
2. その学習活動を援助し励ましていく介助役が、ヒトでは教育である。⇒学習と教育の関係。
3. 外から得た情報を蓄えたり消去したりして自分を変えていく――これを一種の「新陳代謝」だと考えると、学習は生存と一体の関係にあると考えることができる。⇒「学習と生存の関係」



新陳代謝:ふるいものが次第に去って、新しいものがこれに代わること。

ということは、「学ぶ」ということなしでは人間は生きていけないということがよくわかります。
 特に、現代のように変化の激しい時代においては、会社も個人も外界の変化を学んでいかないと生きていけないということになります。


 子どもにおいても、社会に出て、自分を活かし社会に役立つようになろうと思えば、いろいろなことを学ばなければいけません。

 その学びには大きく二つあると思いますが、その一つは、周りの人と協調していけるように人間性やコミュニケーション力を身につけることと仕事力すなわち知識や知恵や経験、そしてモラルやマナー、礼儀を身につけるといったようなことが必要になってくると思います。



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子育て応援ブログ  『生物の特徴』とは?

2012年03月01日 | 仕事
 朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
 本日のテーマ:「一粒の種の中に生長の設計図がある」から



 ★著書より★
 1. 私たちには、生長の設計図を持って生まれてくるということ。
 2. その設計図は生長とともに書き換えられ、状況に応じて変わっていく。
 3. 但し、生命個体としてのDNAの分子配列は基本的には持続している。
 4. 人は、瞬間、瞬間独自に判断し人と違う選択をしているので5年先、10年先を確定することはできない。
 5. 人は、変わるけれども変わらない⇒これが生き物の特徴である。



 この特徴は、生物全般に言えますが、特に人間には、「精神の能動性」と「意識の先行性」です。

「精神の能動性」とは、人の心の働きは受身ではなく、積極的に反応するようにできているということ。



「意識の先行性」とは、唯一人間だけが、1年後や10年後の姿をイメージできるということ。




 人は、このように本質的な特徴を持っています。よい状態を強くイメージすると、そういう社会が実現するということを私たちは、常に意識しておくべきですね。

 また、会社も個人も同じなので、イメージしたものが実現すると考えてよいでしょう。
 子どもの頃から設計図に良質なものを書き込んでいくことも大切なことだと思います。

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