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三河 安祥城と周辺史跡 -3-

2024-04-17 07:25:22 | 取材・旅行

2024年3月16日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「三河 安祥城と周辺史跡」へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介しています。今日はその3回目。

今日は安祥城Ⅱです。

略図です。

安城市歴史博物館

矢作川流域の原始古代から現代まで、様々な分野の歴史を楽しみながら学ぶことができる博物館です。
「企画展示室」では歴史、考古、民俗、産業、宗教といった幅広いジャンルの展覧会が開催され、現在は、「はたらく道具たち-職人の仕事道具-」展が開かれています。

「常設展示室」では人面文壺形土器(国指定重要文化財)や三河の浄土真宗の美術品、日本のデンマークといわれた時代の資料などが展示されています。

そのHPです。

https://ansyobunka.jp/

その展示の一部です。

今回のFWに関係する部分を引用します。

文字起こしは不要ですね。

おなじみの内容です。

安城松平家は、家康の直系の祖先です。

博物館のパンフの一部です。

博物館を紹介した動画です。3分過ぎぐらいからご覧ください。

縄張り図です。

安祥城の碑がありました。大乗寺です。

当時の本丸です。

北側に「本田忠高碑」の案内がありました。

本多忠高墓碑(昭和36年10月1日 市指定)

天文18年(1549) 3月、 松平広忠が暗殺されたのを機に、 松平軍は今川軍と共に安城城奪回の戦をしました。 先鋒をつとめた松平軍の主将本多忠高は、 時の安城城代織田信広を本丸近くまで追いつめますが、敵の矢に当たり討死にしたといわれています。 大亀が背負うこの墓は、寛政9年 (1797) に子孫である岡崎藩主本多忠顕により、 戦死したこの場所に建てられました。

大亀が支えています。

大亀が支え、碑の撰文を大学頭が担当したのは、江南市にある冨士塚の碑と同じです。

その説明です。

安城城の出入り口である虎口跡です。両側は曲輪だったのでしょう。

北の隅櫓の跡です。

再び古図を見てみましょう。上部の黒い四角が墨櫓です。

 

安祥城の動画です。

次回へ続きます。

安祥城周辺-1- -第2回- -第3回- -第4回- -第5回-

 


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