マサ大家のギター近況報告

ギタリストマサ大家のギター近況報告を掲載

クラシックギターのひじあてを

2012-04-08 11:24:39 | Weblog
作ってみました。
以前購入した、Bellucciさんのギターに付いていたひじあてに影響を受けたのです。
ひじが表面板にあたってクラシックギターの鳴りを妨げないような、あて木を
これまた、ローズウッドの端切れから切り出して作りました。

ボディの曲線とひじあてのアールを同じように削り、磨くのが
たいへんであり、楽しくもありました。
サンドペーパーフェチの僕はホームセンターへ出かけては材質、粗さを吟味
いろんな種類、番手を買ってきます。
今回はディスクグラインダ~80番~240番~400番~1000番~1500番で磨きあげました。
その割には鈍く光り、でこぼこがあります。
そこは素人のテイストということでGoo~す。気にしない。(実は気になるが磨き上げる根気がない)
最初は良いと思った取り付け位置でしたが、ひじがうまくあたりませんでした。

残念ながら、もう一度削り直して最初の写真のように完成しました。

4/2にディノ・ダイナーで西浜哲男さんと長原 元さんのLiveがありました。
二人だけが解り合えるリズム、音の空間が素晴らしかった。
そこに割って入った僕は冷や汗ものでした。
次回は岐阜県関市のロックンロール・カフェにてこのメンバーにて
5/6日曜日にLive予定です。
お近くの方はぜひいらして下さいね。

最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ライブを是非 (長田)
2012-04-08 22:31:07
関市は私のおばさんといとこが住んでいる街で思い出深い所です。子どもの頃よく泊まりに行きました。ライブが行ってみたいです。美濃市も最近はすっかり変わりました。子どもの頃は段町から国道に出るとモーテルが一か所あっただけです。美濃市の思い出は今度話します。マサ大家君の家で酒を飲みながらギターを弾いていたらうれしくなってしまい段まで介抱して送ってもらったのが昨日のことのようです。今日は酒バラをスカイプで梶君に教えてもらいました。
返信する
回想 新宿の思い出 (長田)
2012-04-09 19:41:19
仕事疲れの飲んだくれオサの思い出話(笑)
大学時代は4年生までは勉強と部活にいそがしく東京など行ったことがありませんでした。それが大学5年生の後半になり新宿に行くようになりました。下宿もやすど荘にかわり採用試験もまた受かってホッとしてバイトしたり下宿で後輩と遊んだりと初めてゆったりとした大学生活を謳歌していました。レコードは都留の下のレコード屋で買っていたのですが、卒業した友だちの希望が丘荘のドラマー橋本君は東京の輸入盤店で買っていました。一枚1600円くらいで格安でした。富士急で大月まで行き中央線で新宿まで行きました。暗い都留の街に比べて煌びやかなネオンの新宿の街に着くと別世界に来たようでした。喫茶店に入るとラリーカールトンのRoom335がかかっていました。新宿御苑のシスコやディスクロードで輸入盤を見ました。あの時のワクワク感は今もよく覚えています。店内では聴いたこともないようなブルージーなAORが流れ音楽好きの自分には夢のような場所でした。FENで聴いていた好きな曲のレコードが何でもあるのです。その時は知らなかったのですがアトランタリズムセクションのスプーキーが流れていて印象的でした。あとで笹田に教えてもらいこのレコードは買いましたが。タカQで紺のジャケットを買い露店で伊達メガネを買い、すっかり東京人になったように悦に入ってたものです。(笑)レコードをかかえ都留に帰るとまた暗い街です。そのギャップがなんとも言えなかったです。下宿で一人でよくレコードを聴きました。やすど荘の後輩の軽音の慎一君がやってきてレコードをよく二人で聴きました。他にも新宿の思い出はありますが、それはまた今度書きますね。(つづく)
返信する
都留は (マサ大家)
2012-04-11 01:13:04
レコード店やおしゃれのお店は皆無でしたね。
最近スプーキーをi tunesのSmooth jazzチャンネルで
聴きました。最近のギタリストのリーダーアルバムに
入っていると思われますが、曲自体かっこ良いですよね。
オリジナルの曲を書いたギタリストだれでしたっけ?
美濃市はインターの降り口あたりに大きなお店が3軒できました。以前からあるAEONあたりが、寂しくなってきました。
返信する
アトランタリズムセクション ()
2012-04-11 13:39:34
のスプーキー、久々に聴きましたが、懐かしいですね。何というかグッとくるというかツボを心得たプレイです。このバンド一応サザンロックに位置づけられていると思いますが、全然サザンロックと言う感じじゃないですよね。クールで洗練されてますし。確か原曲はサックス奏者のマイク・シャープだったかと?「クラシックス・フォー」のバージョンもなかなか味があって好きです。キャロルキングの「1t's too late」に雰囲気がよく似ていますので影響があったのかもしれませんね。話は違いますが最近ムッシュかまやつ氏の「あの時君は若かった」のオリジナルのコード進行Dm7 -G- C -AmをリハモしてDm7 - G7(13) - CM7 - Am7にするととても気持ちいいです。さらに最近かまやつさんはこれをDm7 - G#m6 - C69 -A7(♭13) という変態コードにリハモして弾いていて、これで弾いてみると確かにもっと気持ちいいんですよね。ギター持つともうこの変態コード進行ばかり弾いてますね(笑)。ちなみにYou Tubeでかまやつさんがチャーにこのコード進行を説明している動画があります。
G3m6 やA7(b13)はちょっとコード名に自信がありません。かまやつ氏やチャーも分かってない様です。まあコード押さえられればいいのでしょう(笑)http://www.youtube.com/watch?v=cPvuwpHaR9I&feature=related
返信する
梶様、 (マサ大家)
2012-04-12 17:36:00
かまやつさんて、とても引き出しが多そうなギタリストだよね。
ジャズからポップスからロックからカントリー、フォークと
何でも知ってる人のような気がします。
いつの日か僕も会って話をしてみたいです。
返信する
都留のグルービィ (長田)
2012-04-12 21:06:15
バイパスを下ると下に行く道のはずれにグルービィというジャズ喫茶がありました。藤荘から近いということもありよくジャズを聴きに名物のカレーを食べに行きました。私の知らない心地よいジャズがかなり大きなスピーカーから流れ、音を聴くのが楽しみでした。軽音に河西君というジャズドラマーがいてそこでプレイをしていたの覚えています。彼は現在、愛知県の岡崎城西高校に勤めていて先日の都留大愛知県支部会にも来たようです。やすど荘に桑島君という同窓生がいてある時、夜中に下宿で大音響でジャズが流れていました。私も呼ばれていくとグルービィのマスターがいてなぜか意気投合して明け方まで三人で酒を飲みながらジャズを聴いた思い出があります。よく誰も苦情をいってこなかったものです。大学5年生の桑島君と私は一番年上の先輩だったので後輩たちは言えなかったのでしょうね。今考えるとひんしゅくものです。就職後都留を訪ねた時もマサ大家君とそこでアートファーマーなど聴いていました。このレコードは買いましたが。後年グルービィのマスターも亡くなったことを知り寂しい気がしました。都留の名物の店はいくつかありますが、また書いていきますね。早く横浜と山中湖にいきたいオサの思い出話(つづく)
返信する
かまやつさん ()
2012-04-13 14:58:38
浪人中の1974年頃、沼津の富士急デパート最上階にアップルプラザというSBS静岡放送のラジオ・テレビのサテライトスタジオがあり、郷ひろみ、西城秀樹、研ナオコ、ピンキーとキラーズ、ブルージーンズなど結構有名なアーティストが来ていてよく見に行きました。ピンキーとキラーズはかなりの演奏力があり、セルジオ・メンデスのボサノバナンバーなども演奏してましたが、私がボサノバを知ったのはピンキーとキラーズを聴いたのがきっかけですね。

かまやつさんが来た時も見に行きまして、「どうにかなるさ」などをギター弾語りでやりましたが、この曲もまたリハモしてテンション・コードてんこ盛りで、普通E-A-E-B7-A-Eですが、
当時かまやつさんはEM7-E7(9,13)-A7(13)-D7(9,13)みたいな感じでやっていまして、テンションコードなど知らなかった私にはおしゃれな響きで新鮮でしたね。かまやつさんにコード聞きたかったのですが、さすがに聞けませんでしたね(笑)。

かまやつさんのお父さんは「ティーブ釜萢」というジャズシンガーであり、スパイダースも元々はサックスも入ってジャズバンドだったそうで、なるほどという感じですね。
返信する

コメントを投稿