
玉簾の花(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
予測には、二通りあります。
ひとつは「楽観」、そして、もうひとつは、「悲観」です。
ただし、「予測」というのは、たいてい悲観的に出たりするものです。
「弱気」とか「ネガティブ」と言い換えても、いいかもしれません。
なぜなら、楽観的になればなるほど、備えが甘くなるからです。
楽観的すぎる考えをすると、熊が出るような山道すら、
「きっと大丈夫だろう」と、丸腰で歩いてしまいかねません。
でも、そうすると、危ない状況になるのは、火を見るより明らかですよね。
だから、考え方を「楽観的」にシフトするというのは、
実は、簡単なようでいて、なかなか難しいことなのです。
世の中、楽観的に考えることが推奨されがちですが、そのためにはきちんとした根拠がいることは、なぜか忘れられがち。
だから、「なかなか楽観的になれないんです…」と、そんな自分を責めたりする必要はないわけです。
ただし。
せっかく毎日を生きるなら、夢や希望、楽しみが盛り沢山のほうが、いいに決まっていますよね。
いくら楽観的に考えることにリスクが要るとは言えど、全てに対して「どうせダメなんじゃないか」と斜に構えていては、
もしかしたらできるかもしれないこと、叶えられることまで、捨ててしまいかねません。
もちろん、願望もなにもなく淡々と生きていくのも、個人の自由ではあります。
しかし、それはそれで、体は生きていても心が死んでしまっている、いわば無味乾燥な状態にもなってしまいかねません。
物事を悲観すると、希望がなくなる半面、安全ではいられます。
ということは、悲観するのは、つまりは「そんなにも安全を手に入れたいから」という意味が強いということの裏返しにはならないでしょうか!?
誰にだって、大切なものはあります。
大切だからこそ、失いたくないとか、嫌な思いをしたくない、傷つけたくないと思うわけですよね。
そして、そんなにも大切だからこそ、「悲観的な考え方」をしてもしまうのですよね。
たとえば、躾(しつけ)に五月蝿い親が、子供を思っているように。
だからこそ。
悲観的になるというのは、それだけ愛おしむ気持ちがあるという意味で、
本来、尊ぶべき気持ちであり考え方だと思うのです。
「そうなってほしくない」と怖がるからこそ、いかに大切だったかもわかるもの。
だとしたら、そうやって大切に思う気持ちに、もう少し素直になっても、いいのではないでしょうか。
「怖がるだけ」だと、足もすくみます。
でも、「大切にしたい」だと、積極的な行動に出たり、いくつかの選択肢から、自分に合うものを選べたりもします。
「悲観してしまう気持ち」というのは、実は、いかに「自分の中で、大切なものだったか」を、教えてくれるのかもしれませんね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
予測には、二通りあります。
ひとつは「楽観」、そして、もうひとつは、「悲観」です。
ただし、「予測」というのは、たいてい悲観的に出たりするものです。
「弱気」とか「ネガティブ」と言い換えても、いいかもしれません。
なぜなら、楽観的になればなるほど、備えが甘くなるからです。
楽観的すぎる考えをすると、熊が出るような山道すら、
「きっと大丈夫だろう」と、丸腰で歩いてしまいかねません。
でも、そうすると、危ない状況になるのは、火を見るより明らかですよね。
だから、考え方を「楽観的」にシフトするというのは、
実は、簡単なようでいて、なかなか難しいことなのです。
世の中、楽観的に考えることが推奨されがちですが、そのためにはきちんとした根拠がいることは、なぜか忘れられがち。
だから、「なかなか楽観的になれないんです…」と、そんな自分を責めたりする必要はないわけです。
ただし。
せっかく毎日を生きるなら、夢や希望、楽しみが盛り沢山のほうが、いいに決まっていますよね。
いくら楽観的に考えることにリスクが要るとは言えど、全てに対して「どうせダメなんじゃないか」と斜に構えていては、
もしかしたらできるかもしれないこと、叶えられることまで、捨ててしまいかねません。
もちろん、願望もなにもなく淡々と生きていくのも、個人の自由ではあります。
しかし、それはそれで、体は生きていても心が死んでしまっている、いわば無味乾燥な状態にもなってしまいかねません。
物事を悲観すると、希望がなくなる半面、安全ではいられます。
ということは、悲観するのは、つまりは「そんなにも安全を手に入れたいから」という意味が強いということの裏返しにはならないでしょうか!?
誰にだって、大切なものはあります。
大切だからこそ、失いたくないとか、嫌な思いをしたくない、傷つけたくないと思うわけですよね。
そして、そんなにも大切だからこそ、「悲観的な考え方」をしてもしまうのですよね。
たとえば、躾(しつけ)に五月蝿い親が、子供を思っているように。
だからこそ。
悲観的になるというのは、それだけ愛おしむ気持ちがあるという意味で、
本来、尊ぶべき気持ちであり考え方だと思うのです。
「そうなってほしくない」と怖がるからこそ、いかに大切だったかもわかるもの。
だとしたら、そうやって大切に思う気持ちに、もう少し素直になっても、いいのではないでしょうか。
「怖がるだけ」だと、足もすくみます。
でも、「大切にしたい」だと、積極的な行動に出たり、いくつかの選択肢から、自分に合うものを選べたりもします。
「悲観してしまう気持ち」というのは、実は、いかに「自分の中で、大切なものだったか」を、教えてくれるのかもしれませんね。
私も悲観的な考え方はけして悪いとは思いませんね。
(度がすぎると問題かもしれませんが)
それは危機意識の現れでははないでしょうか?
人間、「もしも」を想定して保険をかけておく様な
もの。いずれにせよ自分と言う物の上に立つ事が重要かと思います。
コメントありがとうございます
楽観視を示して、煽るのは簡単なんですよね。
でも、当の本人には責任がつきまとうわけで。
だから、「自分というもの」、
つまり、本音と向き合うこと、人を尊重することが大切なのですよね!