青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

もの扱い。

2013年08月13日 21時27分17秒 | 青裸々日記。
目黒天空庭園から(東京都目黒区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人をモノ扱いする人を見ると、心が痛むものです。
 まして、自分がモノ扱いされては、耐えられない気持ちにもなるのが普通です。

 だから、「人をモノ扱いするのはよくありません」というのは、どこにも間違いはありません。


 しかし、「モノ扱いする人」が、どんどん人をモノ扱いしていくと、果てにはどうなるか。
 幸せになることは、まずないのです。



 モノ扱いというのは、つまりは「自分のために利用すること、言い換えれば利己的な考えの下に人と接することをいとわない」ということですよね。
 ということは、「自分の目的さえ達成されれば、後はどうなっても構わない」ということにも繋がります。

 そして、です。
 「後はどうなっても構わない」のであれば、大切にしようという気持ちも、必然的になくなります。



 この「大切にしようという気持ちがなくなる」ということ、どれほど重いことか、ちょっと考えてみましょう。

 人間相手に「大切にしない」という場合は、簡単ですよね。
 もし皆さんが邪険に扱われるようなことがあったら、そんな人とは関わりたくなくなるのが自然でしょう。

 これ、モノであればどうなるか。
 「心がないなら大切にしなくたっていいじゃない」と言いたい人は、それでも構いません。
 しかし、大切にしないと、その物本来の特長や性質を引き出すことは出来ません。
 たとえば、同じ100円のお皿でも、洗わないままであれば一回しか使えませんが、
 きちんと洗えば、何回も使えますよね。
 そしてこれ、すべての物に言えなくはないですか。
 そう、つまり、モノすら大切にできないなら、そのモノからの恩恵すらも受けられないのです。


 今時、機械化が進む中で、「モノには作った人の心が」などと話すのは、どこか時代錯誤だと受け取る向きもあるかもしれません。
 しかし、心がどうのと考えなくても、モノすら大切にできないということは、回り回って自分にも不利益が忍び寄るのです。


 まして、人をや、というわけです。



 だから、人をモノ扱いする人は、結局は幸せになれない可哀想な人なんだと理解してください。
 そして、幸せになるために必要なのは、利己的な発想で動くことではなく、普通に良心に従うこと
 これこそが、本当のところなのですね。



 ここに気付くまで、利己的な人は、自分も他人も消耗させていくのです。


 そして、綺麗事でもなんでもなく、良心に従う人が増えるほど、世の中は幸せになるのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿