道端鈴成

エッセイと書評など

なぜ爆発を防げなかったのか:想定外との責任逃れのごまかしを看過するな

2011年04月24日 | 時事
東京電力福島第一原発事故収束にむけての工程表が東電から発表された。水の垂れ流しの冷却から、どのような形であれ循環式の冷却の実現が安定化の鍵で、現場は自衛隊などのバックアップもうけて懸命の努力を続けているが、3月12日から3月15日にかけての三度の爆発による破壊と放射能汚染のため、作業はきわめて困難で危険なものになってしまった。今後、大きな放出がなかったとしても、原発周辺の地域の人々はすでに容易に消えず継続する大きな苦しみと困難を課せられてしまったし、日本全体も大きな痛手を負ってしまった。

現在は東電が非難の矢面にたっているが、東電のトップは想定外の地震と津波といった言い訳をして、安全対策を疎かにしてきたことを認め真剣に謝罪と反省することは出来ていないようだ。ただ東電は、矢面にたっているだけましで(事故の責任に関してで、発電と送電を一体化した独占を政治的に維持してきて、エネルギー産業の停滞を招いてきた罪はまだ十分に批判され、是正される方向での議論と検討がほとんどなされていない)、安全対策で監督責任のある保安院や原子力安全委員会などは、東電の後ろに隠れ、自らの誤りを認め謝罪することも責任をとることも出来ていない。事故直後、勉強目的の首相を案内しながら呑気な発言をしていた斑目原子力安全委員会委員長が、爆発後に初めて福島を訪れたのは、4月17日になってからという当事者意識のなさだ。前資源エネルギー庁長官で東電に天下りした石田徹・東京電力顧問は事故後、東電を辞任したが、それで原子力行政への責任を免れるつもりなのだろうか?

想定外などの誤魔化しの言い訳を公に許容したまま流通させて、誤りの原因を明確にできず、責任の追求が出来なければ、また同じ誤りをくりかえすことになるだろう。住民の不安をおさえ原発を推進してきた電力会社や御用学者は、住民への安全性の宣伝やメディア対策に熱心だったようだが、そうした無批判なリスク無視の宣伝に自らも思考停止してしまったかに見える。しかし、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故の調査にあたったファインマンが言ったように、メディアや国民をだませても自然はだませない。官僚や御用学者や政治家やメディアのごまかし、これらの結託を決して許容してはいけない。でないと、自らの内で誤りを淘汰できない集団は、何度も同じ誤りの犠牲になり、結果としてその集団自体が淘汰の対象となってしまう。

今後、事故の原因については、遠因もふくめて徹底的な究明と、責任追及が必要だ。

人間の手で修正しようがない地震や津波に原因をもとめてもしかたない。またリアス式海岸で日本海溝を近くにひかえた三陸地方ではこれまで何度も巨大津波は生じており(ここ100年でも明治29年、昭和8年、昭和35年)想定外などという言い訳が通用しないことは明白だ。

爆発にいたる直近の要因には、「福島第1原発事故は二重の人災だった」(JcastNews、4月23日)の記事で指摘されているように、全電源喪失事態へのあらかじめのそなえがなされていなかったことと事故後にベントや海水注入などの対応がすみやかにできなかったことの二点がある。

全電源喪失の危険は、すでに国会の質疑でも指摘されており、これに東電・原子力安全委員会・保安院・政府がまともに対応していれば今回のような事故は起きないですんだ。これについては今回の事故後、他の原発でもようやく対策が講じられるようになってきたようだが、こうした重要な安全上の問題点の指摘をなぜ、当該企業・原子力安全委員会・保安院・政府がまともにとりあげないですますことが可能だったのか、今後こうした重大な看過が起きるのを許さないためには、組織や運営方針などどう変更したら良いかなどは、徹底的な責任追及を経て、行われなければならない。

また、事故後の東電・原子力安全委員会・保安院・政府のすばやい意志決定を欠いたちぐはぐな対応は、爆発をふせぐために最もCriticalな時期を無策のまま失する結果をもたらしてしまった。「排気の遅れ、水素爆発招いた」(「朝日新聞」4月23日)の記事にあるように、意志決定の遅れが致命的になる場合に、官僚的な形式的管理体制にがんじがらめにされ、実効的ですばやい意志決定ができなかったという制度的な要因もあるようだ。実効的ですばやい意志決定のルートをいかに確保するかは、福島第一原発事故がよりゆっくりとしたフェーズに入ってきてはいるものの、今後の安定化作業においても重要で、早急の対応が必要だ。

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