「奥の細道」の旅で芭蕉は、5月16日に江戸を出発して、東北から日本海をまわり、10月4日に大垣に着いている。一日平均20キロ弱歩いて、約140日間の行程である。この旅で芭蕉が残したのは、400字原稿用紙にして50ページにみたない紀行文にすぎない。しかし、そこには数々の名句が彫琢に彫琢を重ねた文とともに綴られている。キーン氏は、「百代の過客」という、日本人の日記に関する興味深い本で、「奥の細道を」次のように評している。
「『奥の細道』は、日本の紀行文学に具わる諸資質の偉大な集約であり、同時にその分野における新しい可能性を、大胆に探究した作品である。芭蕉はこの作に、紀行文につき物のさまざまな要素を取り込んでいる。例えば名所や歌枕に関する記述、詩と散文の組み合わせ、道中での見聞、孤独の際における私的省察の叙述などである。すべてこれら周知の要素も、ここでは新たな意味を獲得している。それは芭蕉が、日記を読むという昔ながらの喜びを無限に高めてくれる、あの形式の感覚を付与して、以前にはややもすればただの気紛れな印象記に終わりがちだったものを、一つの渾然たる全体としてまとめ上げているからにほかならない。」
キーン氏は「奥の細道」を日本の紀行文学の頂点というだけではなく、まばゆいばかりの名文や句と、やや平板な文の対比を、モーツァルトのオペラにおけるアリアとレシタティーボの対比になぞらえるなど、世界の芸術における傑作として扱っている。
「奥の細道」における形式の感覚とは、具体的にはどんなものだろうか?
「奥の細道」は、深川を出るときの旅の初めの句と、大垣に着いたときの旅の終わりの次の句の二つの句を枠としている。
5月16日 深川発
行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪
10月4日 大垣着
蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ
初めの句は、友人による見送りの際に詠まれている。キーン氏はこの句を「それ自体傑作であるばかりか、あとに続く作品全体の主調を見事に決めている。詩と散文との、これほど完璧な結合は、世界の文学の中でもまれなのである。」と評している。この句は、作品全体の主調、つまり、旅、季節の移ろい、無常と生き物・人の悲しみ、詩聖へのオマージュ(陶淵明の「羈鳥(カゴの鳥)は旧林を恋い、池魚は故淵を思う」をふまえているとされる。)、それにおそらく水、を設定している。そして、冒頭の「行く春や」は、最後の、蛤の句における「行く秋ぞ」とが対応して、作品の枠を作っている。
各句にも、対比や比喩が多重にもり込まれている。最初の句における、鳥と魚の対比、口と目の対比。そして鳥や魚と人の間の比喩は、単純な擬人化ではなく、悲しむ動物の鳴き声や涙に伴奏されながら、人もいくぶんか動物になぞらえられている。最後の句では、「蛤」の引きはがされる二枚の貝に、分かれていく人がたとえられている。「ふたみ」は、「蛤」の二枚の貝であると同時に、二人の身でもある。また二見ヶ浦という芭蕉の次の目的地の地名も暗示されている。
8月20日(旧暦の7月7日)
荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)
春に出発した「奥の細道」の旅も、盛夏をようやく過ぎようとしている頃の句である。言語学者の平賀氏が、最近の著書で興味深い分析をしているので、簡単に紹介する。
「荒海や」の句には、複数のレベルで、多重の意味が集約されている。
まず、「荒海」と「天河」の対比がある。空にかかる大河である天河と、地上の荒海は風景として対比されるだけではなく、詩の形の上でも対になっている。水平線上の「佐渡」は、風景においても、詩の形においても「荒海」と「天河」の間に来る。これらは詩の形と指示対象とIconicity(類像性)である。
音のレベルでは、母音ではa音が8個、o音が5個で多い。a音は開放の印象を、o音はやや奥まった印象をあたえる。子音は、m,n,r,yなどの共鳴音(sonorant)が多くs,tなどの阻害音(obstruent)は五七五の真ん中でしか生じていない。共鳴音は荒海や天河といった水の印象と対応している。阻害音は、「佐渡」の島、しかも流刑地で金山があるという、ごつごつざらついた印象と対応している。a音の開放の印象とo音のやや奥まった印象は、夜の海と空の風景にふさわしい。これらは、音の印象と描写対象の印象との類像性である。
「荒海や」の句の季語は、「天河」で夏である。旧暦の七月七日に詠まれており、当然に、天の川を渡って牽牛・織女の二星が七月七日の宵に逢会するという伝説をふまえている。この伝説は、日本でも古くから知られており、万葉集にも詠まれている。牽牛・織女を隔てる「天河」と、こちらと佐渡を隔てる「荒海」がある種意味的にも対応している。さらに「佐渡」は「渡」を「佐」(たすける)との意味も込められている。これらは複数の意味における類像性である。
言葉は、音から意味まで複数のレベルで連なり、無数のテキストや知識と複雑な参照関係をもっている。詩人は、こうした複雑な関係の結節点である言葉を、繊細な手つきで紡ぐ。紡がれた言葉は、読み手の心で解凍されると、多重の波紋を生み出す。言葉を紡ぐ詩人がすべての効果を意識しているわけではなく、多くは無意識で、偶然の結果もあるかもしれない。芭蕉の形式感覚とは、こうした多重の関係を圧縮してテキストを紡ぐ能力である。
富士一つ埋み残して若葉かな
この与謝蕪村の名句は、感覚的に明快である。芭蕉の俳句におけるように、対や比喩的な意味の連鎖などによる濃密な意味の圧縮が行われている作品とは、やや異なるように思える。もちろん本物の詩人の作品だから、響きは意味と見事に対応している。「富士」という柔らかい言葉を、「一つ」のやや堅い小さな感じの音で受け、この響きは、遠景の富士の印象と対応している。そして「埋め残して」というややもたもたした感じの響きが続き、以上を「若葉かな」のa音の五連音の開放的で明るい響きが包むという構造になっている。そして、句が指し示すイメージの鮮明さは圧倒的だ。芭蕉の句より魅力が分かりやすい。
俳句を全体として見れば、イメージの鮮明さや、視点の面白さ、言葉のリズムなど、特定の側面の魅力で読み手をとらえる作品の方が多く、芭蕉のような徹底的に彫琢され凝縮された句は、やや例外的のような気がする。俳聖芭蕉の圧縮された多重のテキストを紡ぐ形式感覚は、むしろラテン文学で鍛えられたヨーロッパの詩人の形式感覚に近いのかもしれない。おそらく芭蕉はこうした形式感覚の基本を、傾倒する中国の詩で学び、連歌の指導者としての経験のなかで独自に発展させていったのではないかと思う。
「『奥の細道』は、日本の紀行文学に具わる諸資質の偉大な集約であり、同時にその分野における新しい可能性を、大胆に探究した作品である。芭蕉はこの作に、紀行文につき物のさまざまな要素を取り込んでいる。例えば名所や歌枕に関する記述、詩と散文の組み合わせ、道中での見聞、孤独の際における私的省察の叙述などである。すべてこれら周知の要素も、ここでは新たな意味を獲得している。それは芭蕉が、日記を読むという昔ながらの喜びを無限に高めてくれる、あの形式の感覚を付与して、以前にはややもすればただの気紛れな印象記に終わりがちだったものを、一つの渾然たる全体としてまとめ上げているからにほかならない。」
キーン氏は「奥の細道」を日本の紀行文学の頂点というだけではなく、まばゆいばかりの名文や句と、やや平板な文の対比を、モーツァルトのオペラにおけるアリアとレシタティーボの対比になぞらえるなど、世界の芸術における傑作として扱っている。
「奥の細道」における形式の感覚とは、具体的にはどんなものだろうか?
「奥の細道」は、深川を出るときの旅の初めの句と、大垣に着いたときの旅の終わりの次の句の二つの句を枠としている。
5月16日 深川発
行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪
10月4日 大垣着
蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ
初めの句は、友人による見送りの際に詠まれている。キーン氏はこの句を「それ自体傑作であるばかりか、あとに続く作品全体の主調を見事に決めている。詩と散文との、これほど完璧な結合は、世界の文学の中でもまれなのである。」と評している。この句は、作品全体の主調、つまり、旅、季節の移ろい、無常と生き物・人の悲しみ、詩聖へのオマージュ(陶淵明の「羈鳥(カゴの鳥)は旧林を恋い、池魚は故淵を思う」をふまえているとされる。)、それにおそらく水、を設定している。そして、冒頭の「行く春や」は、最後の、蛤の句における「行く秋ぞ」とが対応して、作品の枠を作っている。
各句にも、対比や比喩が多重にもり込まれている。最初の句における、鳥と魚の対比、口と目の対比。そして鳥や魚と人の間の比喩は、単純な擬人化ではなく、悲しむ動物の鳴き声や涙に伴奏されながら、人もいくぶんか動物になぞらえられている。最後の句では、「蛤」の引きはがされる二枚の貝に、分かれていく人がたとえられている。「ふたみ」は、「蛤」の二枚の貝であると同時に、二人の身でもある。また二見ヶ浦という芭蕉の次の目的地の地名も暗示されている。
8月20日(旧暦の7月7日)
荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)
春に出発した「奥の細道」の旅も、盛夏をようやく過ぎようとしている頃の句である。言語学者の平賀氏が、最近の著書で興味深い分析をしているので、簡単に紹介する。
「荒海や」の句には、複数のレベルで、多重の意味が集約されている。
まず、「荒海」と「天河」の対比がある。空にかかる大河である天河と、地上の荒海は風景として対比されるだけではなく、詩の形の上でも対になっている。水平線上の「佐渡」は、風景においても、詩の形においても「荒海」と「天河」の間に来る。これらは詩の形と指示対象とIconicity(類像性)である。
音のレベルでは、母音ではa音が8個、o音が5個で多い。a音は開放の印象を、o音はやや奥まった印象をあたえる。子音は、m,n,r,yなどの共鳴音(sonorant)が多くs,tなどの阻害音(obstruent)は五七五の真ん中でしか生じていない。共鳴音は荒海や天河といった水の印象と対応している。阻害音は、「佐渡」の島、しかも流刑地で金山があるという、ごつごつざらついた印象と対応している。a音の開放の印象とo音のやや奥まった印象は、夜の海と空の風景にふさわしい。これらは、音の印象と描写対象の印象との類像性である。
「荒海や」の句の季語は、「天河」で夏である。旧暦の七月七日に詠まれており、当然に、天の川を渡って牽牛・織女の二星が七月七日の宵に逢会するという伝説をふまえている。この伝説は、日本でも古くから知られており、万葉集にも詠まれている。牽牛・織女を隔てる「天河」と、こちらと佐渡を隔てる「荒海」がある種意味的にも対応している。さらに「佐渡」は「渡」を「佐」(たすける)との意味も込められている。これらは複数の意味における類像性である。
言葉は、音から意味まで複数のレベルで連なり、無数のテキストや知識と複雑な参照関係をもっている。詩人は、こうした複雑な関係の結節点である言葉を、繊細な手つきで紡ぐ。紡がれた言葉は、読み手の心で解凍されると、多重の波紋を生み出す。言葉を紡ぐ詩人がすべての効果を意識しているわけではなく、多くは無意識で、偶然の結果もあるかもしれない。芭蕉の形式感覚とは、こうした多重の関係を圧縮してテキストを紡ぐ能力である。
富士一つ埋み残して若葉かな
この与謝蕪村の名句は、感覚的に明快である。芭蕉の俳句におけるように、対や比喩的な意味の連鎖などによる濃密な意味の圧縮が行われている作品とは、やや異なるように思える。もちろん本物の詩人の作品だから、響きは意味と見事に対応している。「富士」という柔らかい言葉を、「一つ」のやや堅い小さな感じの音で受け、この響きは、遠景の富士の印象と対応している。そして「埋め残して」というややもたもたした感じの響きが続き、以上を「若葉かな」のa音の五連音の開放的で明るい響きが包むという構造になっている。そして、句が指し示すイメージの鮮明さは圧倒的だ。芭蕉の句より魅力が分かりやすい。
俳句を全体として見れば、イメージの鮮明さや、視点の面白さ、言葉のリズムなど、特定の側面の魅力で読み手をとらえる作品の方が多く、芭蕉のような徹底的に彫琢され凝縮された句は、やや例外的のような気がする。俳聖芭蕉の圧縮された多重のテキストを紡ぐ形式感覚は、むしろラテン文学で鍛えられたヨーロッパの詩人の形式感覚に近いのかもしれない。おそらく芭蕉はこうした形式感覚の基本を、傾倒する中国の詩で学び、連歌の指導者としての経験のなかで独自に発展させていったのではないかと思う。