道端鈴成

エッセイと書評など

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言葉の虫かご:住む機械・産む機械・Loveマシーン

2007年01月31日 | 思想・社会
道端「先輩、こんにちは。それ、新聞すか。」
河端「やあ。君は新聞をとっていないのか。」
道端「はい。ネットで読めば十分ですから。」
河端「そうか。ここの記事だがな、女性を産む機械とは、不謹慎だな。前回、君が言っていたが、まさに口から出るものが人を汚すの例だな。」
道端「たしかに大臣の言葉としては、いささか問題ですね。フォローしながらの発言だったようですが、もごもご謝りながらといった感じで、言葉の能力が重要な政治家としては、うんこな発言といってよいかと思います。ただ、それにさっそくたかってブンブンうるさく飛び回っているのも、」
河端「そのくらいで、やめるように。」
道端「はい。すみません。つい下品な比喩になってしまいました。ところで、機械の比喩はそんなに珍しくはありません。比喩は、たとえられる側に、たとえる側の含意を、投射します。機械にはある目的をもって合理的に設計された、無駄がない、規則的、休むことを知らない、心がない、などの含意があります。例えば、家は住む機械であるというコルビジェの標語では、機械のもつ目的をもって合理的に設計された、無駄がないという機械がもつ含意が家に投射されています。ですから、女性を産む機械だという比喩に対しては、女性に機械のどんな含意を投射させようとしたのかを問わなければなりません。比喩はたとえられる方が抽象的なのに比し、たとえる方がより具象的、即物的なのが一般的です。ですから、機械という具象的即物的な対象でたとえるのが、けしからんということでしたら、女性は宝石であるとか、女性は花であるとか、鉱物や植物にたとえるわけですから、同じくけしからんということになるでしょう。ドーキンスの唱える、利己的遺伝子という説では、生物の個体を遺伝子の乗り物に喩えています。」
河端「産む機械という比喩では、結局、何を言いたかったのだろう。」
道端「子供を生むことの可能な女性の数は限られていて、増やせないので、一人の女性により多くの子供を生んでもらわないと、少子化問題は解決できないというような、ごくあたりまえのことを言いたかったようです。新聞の記事を引用します。『なかなか女性は一生の間にたくさん子どもを生んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体わかる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが 、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が一人頭でがんばってもらうしかない。(女性)一人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければならない。』(スポーツ報知1月30日の記事)機械とか装置という比喩で、より計量的な意味合いを発言にもたせたかったのかも知れません。ただ、人口問題については、人口学という計量的な学問もあり、実際、人口統計学に言及していますので、機械のどんな特性を投射したかったのか、比喩のねらいがいまいちわかりません。機械にたとえた女性の生産効率を増すにはどうするかなど、機械の比喩に基づいて政策論を展開したなら別ですが、報道されている限りではそうではないようです。そうすると、機械の比喩は、全くの蛇足です。そんな蛇足に対して鬼の首をとったかのように騒ぎ立てるのも、筋違いのような気がします。産む機械がそんなに問題なら、亭主族を生ごみだの、粗大ごみだのとか言う比喩も問題でしょう。結局、歴史的被害者とされる集団(の代表を自任している方々)の気分をそこねるような比喩、言語表現はまかりならんということでしょう。そうした異端審問官達に、事を政局化したい気まんまんの野党がのってという印象がいなめません。すでに謝罪していますし、執拗な辞任要求騒動はどうかと思います。政治家として、批判をするなら、問題のとらえかたの基本的比喩の違いが政策にどう影響するのか、より具体的な政策論争をするべきです。大臣の不適切で断片的な比喩、それに対する政争がらみの言葉狩り的攻撃、全く不毛です。」
河端「ああ。たしかに、適切さを欠き、ほめられらた発言ではないが、謝罪で十分だな。、政治家には、具体的な政策論をたたかわせて、より適切な政策の立案を図ってもらいたいものだ。」
道端「機械の比喩にもどりますと、組織の歯車として働く、彼女は職場集団の潤滑油だ、もう自分は中古品だ、ポンコツだ、ロボットのように働く、時計のように正確だ、などなど、日常的表現の一部です。もう数年前のヒット曲ですが、モーニング娘の歌のタイトルに「Loveマシーン」などという比喩もあります。ここで投射されているのは、休むことを知らないエネルギッシュな機械の特性です。心と無縁に作動する身体という含意も投射されているかも知れません。さびの、「恋はいつもインフレーション」云々も、俗な経済の世界で恋を喩える下世話さが、日本のビジネス文明に咲いたあだ花歌謡であることを自ら示しているようで、そのへんがなんとも、」
河端「いったい、何が言いたいんだい。Love Machineは前からある曲だろう。どうのこうの言っても、つんくの歌詞は、まさに、言葉のスパゲッティーだ。モーニング娘というグループ名自体が、どうにも、やすっぽく、」
道端「先輩、そのくらいで、」
河端「あ。すまん。鈴子君も、なかなか帰ってこれないようで、現代用語の周辺知識も中断といったところだ。こんな感じで、ぼちぼち、言葉の虫かごに、気になる言葉の採集でもしてみようか。」
道端「はい。そうですね。今日の採集は、住む機械・産む機械・Loveマシーンということで。」
コメント

食品と報道の品質管理

2007年01月20日 | 時事
河端「不二家のお菓子に、賞味期限切れ食材が使われていたとは、ショックだな。」
道端「はあ。」
河端「はあ、って。」
道端「実は、今朝、賞味期限を3日過ぎた白身魚のフライを食べました。」
河端「それで、なんともないのか。」
道端「はい。問題ないです。食べて、味が変なら、やめますし。味で食べられるか判断する経験も必要でしょう。」
河端「未開社会じゃあないんだし、子供やもっとデリケートというか普通の消化系の人もいる。それに食品会社なんだから、安全な食品を提供するのは義務だろう。」
道端「たしかにそうです。ただ、例によって、不二家の不祥事に群がって得意げに責めているマスコミ人士を見ていると、軽い吐き気を感じます。」
河端「賞味期限切れの方は食べても平気なのにな。」
道端「たしかに賞味期限切れ食材は企業倫理にもとる行為でしょう。しかし、実際どんな重大な被害があったのでしょうか。そんな会社はつぶれてしまえみたいな報道を見ていると、正義の代理人きどりで追求しているマスコミの方々は、マスコミにおける捏造報道、虚偽報道についてどう考えているのか、問いただしたくなります。せいぜい紙面に小さくお詫びを出す程度です。マスコミの、製造業の謝罪の記者会見を何回も見世物みたいにする報道と、同業者の捏造報道、虚偽報道にかんする申し訳程度の報道の対比には、疑問を感じます。」
河端「たしかに追求するのが自分たち同業者なのを良いことに、仲間の不正、誤りについては、甘く無責任ではあるな。」
道端「はい、そのとおりです。キリストは「口にはいるものは人を汚すことはない。口から出るものが人を汚す。」といってます。もっと、我々は、口から出て耳に入るもの、眼で見るものの品質に注意すべきです。賞味期限切れの食品は腹痛を起こす程度でしょう。しかし、捏造報道、虚偽報道の害はその比ではありません。北朝鮮に渡って地獄の辛酸をなめた人々は、北朝鮮を地上の楽園というような誤った報道がなければ、違った行動を選択したかもしれません。情報や知識は人間の行動を導きます。誤った情報や知識のもたらす恐ろしさにもっと注意しなくてはなりません。」
河端「正しい情報、知識以外は流通させるなということか。」
道端「いえ、それは不可能です。人間は過ちを犯す存在です。無謬の存在はありえません。正しさは、絶えざる誤りの除去を通じてのみ、近づけます。そのためには、自由な批判が不可欠です。誤りは批判を通じて是正されるべきで、禁止されたり、罰せられたりすべきではありません。ただ、放送や新聞など公共の媒体を通じて、捏造や、意図的な虚偽などがなされた場合には、製造物責任と同様に、報道の品質管理における違反として扱うことが必要だと思います。製造業であれば、許されないような、捏造、虚偽報道を何回もくりかえしてきた大新聞社もあります。不祥事を起こした製造業をえらそうに断罪する資格はないと思います。」
河端「そうだな、捏造、虚偽報道は事実に基づいて立証できるだろう。しかし、興味本位のオカルト番組などはどうなんだ。行動への影響は大きいかもしれないが、基本的には、捏造、虚偽というより、奇妙な信念ということではないのか。」
道端「はい。まず自由な批判が抑制されないようにすべきしょう。そして事実にもとづく批判的思考を教育やメディアでももっと重視すべきでしょう。その上で社会がオカルトとともに沈没していくなら、その程度の人々の社会ということです。しかたないでしょう。」
河端「賞味期限3日過の食品を平気で食っている人に、そういわれてもなあ。」
道端「すみません。この辺の話になると、どうもこだわってしまって。どうです先輩、今晩、食事でもしていきませんか。」
河端「ありがとう。ちよっと興味はあるが、今日はお腹一杯だ。遠慮しておくよ。」
コメント

新春歌謡放談

2007年01月03日 | 言葉・芸術・デザイン
道端「おめでとうございます。」
河端「やあ、おめでとう。ちょうど良いところに来てくれた。」
道端「どうしたんです。」
河端「家人が。話相手にならないというか、まるで小言爺あつかいだ。」
道端「まんまというか、あ、いえ、私は先輩のお話を楽しみにきましたんです、はい。」
河端「そうか、まあ一杯やってくれ。なんだ、あの紅白。家人につきあって、つい見てしまったが、安物のポテトチップスと古くなったお造りを同じ皿に載せてかき回した感じで胸が悪くなった。DJオズマだかなんだか、裸もどきで挑戦のつもりか。実にくだらん。」
道端「DJオズマの裸もどきはインターネットで見ました。茸で恥部隠しは下品です。すっきり裸の方がよっぽどましです。それに、恥部隠しをするならやっぱり葉っぱでしょう。紅白でも葉っぱ隊かアルゴリズム行進をやって欲しかったです。小林幸子だって、1トンですか、巨大化するだけではなく、ピタゴラス装置とフュージョンするとか、」
河端「道端君の趣味でいくと、視聴率は一桁だろうな。」
道端「いえ。視聴率もちゃんと考えています。安物のポテトチップスと古くなったお造りを同じ皿という比喩は、言い得て妙です。せっかくNHKは沢山チャンネルを押さえているのですから、前半は、なつかしの紅白歌合戦と、紅白ミュージックバトル、あかしろうたがっちぇんの3チャンネル構成にし、最後は、全部あわせて紅白歌のハルマゲドンとして、」
河端「なんだ、その、あかしろうたがっちぇんというのは。」
道端「コスプレ、声優総出演で、アニメソングを中心にやります。たまらんひとにはたまらんとおもいます。」
河端「どうも道端流は視聴率一桁から離れられんようだな。」
道端「大丈夫です。視聴率は三チャンネル合計でいきますから。」
河端「道端君は視聴率の心配などしなほうがいいよ。」
道端「そうですね。視聴率を気にしてないマイナーな番組だと思いますが、今日、NHKのラジオでニューイヤーオペラの前半を聴きました。ひさしぶりのフィガロの結婚でした。プッチーニなどの、すこし芝居の書き割りめいたところのある名曲と並べると、あらためてモーツァルトは金無垢だなと感じました。歌手はすべて日本人ですが、実に堂に入ってました。とくにバリトンなど見事でした。その後のデビュー50年のイタリア人メゾ・ソプラノ歌手の声が良く出るのにも感心しました。歌手は咽が命だなと、あらためて思いました。」
河端「そうだな。紅白でも、夏川りみの声は、聴いていて持ちが良かった。細川や布施も相変わらず響く声ではあった。しかし、全体とすると、肝心の咽という楽器がお粗末で、周りだけデコレートした感じが強かった。まあ、道端君のオペラ評にしろ、素人の感想なんだが。」
道端「そうですね。実は、暮れにつきあわされて、美空ひばりの特番を2時間近く見てしまいました。」
河端「パジャマ党の道端君が珍しいな。」
道端「最初はいやいやでしたが、聴いているうちに、微妙なところまで音程が正確で、やや低い地の声と裏声の高い声の使い分け、全身全霊での曲への感情移入、感銘をうけました。「車屋さん」など明るい発声のややコミカルな歌から、「柔」などの低い地の声を強調した歌、低い地の声と裏声の高い声が絶妙に組合わさった「悲しい酒」などの歌、等々、表現の範囲も広いです。特定のタイプの歌が得意な歌手はほかにもいますが、これだけ広い範囲で、見事な表現のできた歌手はあまりいないです。たしかに不世出の大歌手だったと思います。早い晩年での、病気を押してのステージでは、低い張りのある声が消えて、高い透き通った感じの歌で、聴いていてつらい感じがしました。」
河端「そうか、やっと、道端君にも美空ひばりの良さが分かるようになったのか。よし、よし。実は、私も「塩屋岬」を持ち歌にしようと、ひそかに練習をしていたのだ。ひとつ聴いてくれないか。何なら道端君も一曲どうだ。」
道端「いえ。今日は、新春放談ということで、この辺で。」
河端「そうか、せっかくの機会で残念だが、またにしよう。」
道端「はい。また、いずれ、あらためて、そのうち、もしかしたら、ということで。」
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