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道端鈴成

エッセイと書評など

スピリチュアルカウンセラー江原啓之氏のホットリーディング発覚

2007年02月05日 | 心理学
河端「スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏って知っている?」
道端「はい。よくテレビに出てますね。あなたの過去は、何とかでとか、ペラペラ喋っていて、それをタレントなどが傾聴しているのを見ました。見事な話術だなあと感心しました。本屋には江原啓之氏の著書群が一角を占有して平積みされていました。水からの伝言(物理学者による批判については学習院大学田崎氏の記事を参照)なども平積みでした。たしかに、読者の聞きたい事、信念にうまく訴えていて、巧みなのでしょう。その方向での才能はあって、営業努力もしているんでしょう。結局、科学の方法が根付いていないんだなとあらためて思いました。一方でオカルトやスピリチュアルの流行、もう一方でポストモダンとポリティカルコレクトですから、科学の方法や自由な批判的議論を主張するのは、時代遅れと見なされているのでしょう。科学の方法と自由な批判的議論の意義は、否定の否定による正しさへの接近を公共的に行える点にあります。人間の自然な肯定の心性にはしっくりいかないものです。おうおうにして、硬い心の科学主義だとか、時代遅れの客観主義だとか、政治的に正しくないなどと、嫌悪と忌避の対象になってしまいます。しかし、人間は誤りを犯す存在です。正しさに確かに近づくには、公共的な事実による検証と批判を通じた誤りの除去という、科学の方法と自由な批判的言論によるしかありません。科学の方法と自由な批判的言論を軽視して、信念の方法と言論統制に頼ることは、個人としてはともかく、集団としては、致命的に危険です。和辻哲郎が、「鎖国」の冒頭で苦い悔恨をこめて書いているように、科学の方法の軽視は、言論統制と並んで、太平洋戦争で日本が最も反省すべき点だったと思います。歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてという言葉があります。ヘーゲル流の歴史主義に棹さすつもりはないですが、戦前とは違う方向での科学の軽視と言論統制による、集団的誤りの危険もあるような気がします。精神論的・言霊的軍国主義と精神論的・言霊的平和主義、特高警察による言論統制と人権警察による言論統制、方向に違いがあるかもしれませんが、科学軽視、言論統制というメンタリティーは同じです。」
河端「なるほど、科学の方法と自由な批判的言論か。道端君の持論だな。ややこしい議論になりそうだな。この辺の話はまたの機会にしよう。」
道端「はい、わかりました。人間の誤りやすさの認識と科学の方法の説明ですが、参考になりそうなサイトがあったので、とりあえず紹介しておきます。心理学の講義資料のようですが、ここの「トピック:人間の誤りやすさ」「科学の方法」に、人間がいかに誤りやすく騙されやすいのか、信念の方法と科学の方法の対比、科学の方法がどんなものなのか、等、オカルトや誤った説明になぜ納得してしまうかも含めて、基本的な点が解説されています。可謬主義の認識論、自由な批判的言論の意義や議論法、虚偽論と言霊信仰、クリティカルシンキング、社会的構成主義の批判的検討、サイエンスワーズなど、また機会を見て書いてみたいと思います。」
河端「ああ、そうしてくれ。楽しみにしているよ。気がむいたら読むから。それで、江原啓之氏なんだが、ライブドアニュース2月1日の記事にこんなのが出ていた。」

カリスマ霊能師 江原啓之にも『あるある』疑惑
  Aさんは当時番組内で霊能師の江原啓之氏(42)が担当していた「スピリチュアル開運術!」のコーナーに夫婦で出演。夫の失業、子どもの病気やケガ、Aさん自身の精神的疲労など、度重なる不幸から脱出する処方箋を求めて番組に出演を決めたという。「『こたえて――』の別のコーナーに手紙を出したら“江原さんのコーナーに出演しませんか?”というオファーが日本テレワークからありました。江原さんの著作も持っていて大ファンだったので出演しました」 ところが、Aさんはいざ番組に出演して愕然とする。江原氏が即興で霊視してくれるとばかり思っていたら、「事前に詳しいプロフィルの提出も求められ、自宅には日本テレワークの方から30分以上も電話リサーチがありました」。 その上、「控室にスタッフから“ご主人か奥さまかどちらかで結構なんですが、昔、頭を打ったことありませんか?”なんて電話も。夫が“5歳くらいの時に階段から転げた”というエピソードを披露したら、江原さんは本番で、さも今、霊視で見えたかのように“ご主人、頭を打ったことありませんか?”って真顔で言うんです。呆れました」。 Aさん夫妻は生放送中では時間が足りずおはらいができなかったため、後日、東京・原宿にある江原氏の診療所を訪れることになる。この模様は2カ月半後にオンエアされた。「江原さんは主人に“亡くなった兄弟がいるはず。その方はまだ生きたいという願望が強くてあなたに憑依(ひょうい)している。母親も心配で憑(つ)いている”と言うのです。でも、兄弟を亡くした話は事前に話していたこと。一気にシラケてしまいました。今は江原さんに夢中になっていた時間を返してほしいです。」

道端「典型的なホットリーディングですね。」
河端「なんだい。そのホットリーディングというのは。」
道端「マジェイアのカフェというマジックに関する面白い紹介のあるサイトに分かりやすい紹介があります。」

コールド・リーディングとホット・リーディング
  よく当たると評判のよい占い師は、例外なく、「黙って座ればぴたりと当たる」と客に感じさせるのがうまい。「コールド・リーディング(cold reading)」がうまい。「コールド・リーディング」というのは、相手に具体的な質問することなく、雑談や、その人の顔や服装といった外観を見るだけで、その人の個人的な情報を引き出すテクニックである。それを拡張して、その人の恋愛や仕事上の悩みなども当ててしまう。実際は「超能力」でも何でもない。タネを明かされたら、あっけないほど簡単なことなのだが、原理を知らないと驚く。
  コールドリーティングに関しては、海外では体系化されたテクニックがあり、専門書も色々と出ている。しかし、いくら体系化されたテクニックとはいえ、さりげない会話の中から微妙な情報を引き出すのは、ある種の才能は必要である。評判のよい占い師は、例外なく、このコールド・リーディングの達人である。ただし、日本ではこの言葉自体ほとんど知られていないし、日本で営業している占い師も、これを体系的に勉強した人はほとんどいないだろう。勉強したことはなくても、経験でほぼ同じようなことをマスターしている。インドの「アガステアの葉」なども、実際に行ってみると数百におよぶ質問をされるそうだ。これだけ質問すれば、個人のどんな情報でも引き出せる。「黙って座ればぴたりと当たる」と思わせるテクニック、実際にはいくつか質問しているのだが、それを感じさせない人がうまい占い師なのだ。「○○の母」と呼ばれている女性占い師がいる。東京の某所で店を出しており、何度も雑誌やテレビなどで取り上げられているようで、そのスジではよく知られている人のようだ。この人が、実際に仕事をしている場面をテレビで見たことがある。客として来ていた女性の手相を見ながら、さりげなく雑談をしている。顔の角度は手のひらのほうを向いているのだが、視線は上目づかいで、何度も客の顔に行っている。ちょっとした質問をしながら、客の顔がどう変化するか、微妙な変化を見逃さない。表情のちょっとした変化から情報を引っぱり出してくる。2,3分も喋れば、相当なことがわかる。
  コールドリーディングに対して、「ホット・リーディング」というのもある。これは占い師より、海外の職業霊媒師などが行っている。コールド・リーディングが何の準備もないのに対して、こちらは周到に準備をする。たとえば、あなたがある霊媒師のところへ行ったとしよう。その霊媒師とはまったくの初対面である。霊媒師にとっては、前日にでも予約があれば都合よいのだが、予約なしで、いきなり行ったとしよう。そこで、あなたのおじいさんの名前を言ったら、その霊媒師はおじいさんの霊を呼び出す儀式を行い、おじいさんの亡くなった正確な日付をあなたに告げたらどうだろう。「おじいさんは、1985年11月27日に亡くなったのですね」と言われ、それがズバリ当たっていたら、イヤでもその霊媒師の力を信じてしまうだろう。このようなものをホットリーディングという。 必ずしも、客の全部に対してこのようなことをするわけではない。実際には数人に一人の割でも、この種の話は口コミですぐに広がる。あの霊媒師はスゴイということになる。タネを明かせば、これも簡単なことなのだ。この霊媒師は、普段から自分の住んでいる町や、近隣の町の墓をまわり、墓石に刻まれている氏名と亡くなった日をメモしたデーターベースを作っている。訪問客が来たとき、雑談の中で、その人が昔からこの町に住んでいることがわかったら、その人の家族で、すでに亡くなっている人の墓がある可能性が高い。隣の部屋にあるデーターベースから、それを探し、見つかればこっそりメモをしてきて、それを告げる。

河端「江原啓之氏について報告されているのは、まさにホット・リーディングだな。」
道端「はい。テレビ局もホット・リーディングのしこみに一役かっています。記事のAさんのように信じ込んでいる人も多いでしょうから悪質です。オウム真理教の麻原教祖も弟子の電話の盗聴などしてネタを仕込んでおいて、弟子との面談で、お前は最近こんなことをなどと言ったそうです。言われた側の驚愕はたいていではなかったそうです。もともと尊師には、超能力があるなどと吹き込んでいたわけですから。そこで尊師の超越的な力を信じ込んで言われるままになってしまったらしいです。」
河端「なるほどな。」
道端「実は、私にもそんな経験があります。」
河端「もしかしてオウムだったのか。」
道端「いえ違います。」
河端「どんな経験なんだ。」
道端「長くなってしまいましたから、またその話はあらためてということにしましょう。」
河端「ああ、そうだな。楽しみにしているよ。」

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2 コメント

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オーラの泉 (gomeisa)
2007-02-07 09:12:11
鈴成先生、スピリチュアル何とやらをばっさりとやっていただいてありがとうございます。氏の用いる手法はホット・リーディングというのですか。初めて聞きました。江原氏は昔昔暴力ざたを起こしているとも何かで読みました。何にしてもブラウン管汚染ですので、一刻も早い退場を願っています。
「水からの伝言」を感心して勧めるコンサルタントがいて、その時点でこの人は大丈夫だろうかと思ったものです。科学的思考も確かに欠如してますが、偽物を見極める何かしらカンの働きが悪いのでしょうか。
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スピリチュアル詐欺師と仮想人格経験 (鈴成)
2007-02-07 09:14:41
gomeisa様。コメントありがとうございます。先生は面映いです。たしかに江原氏、あやしさのオーラ出しまくりというか、言葉巧みにの、詐欺師タイプです。ご指摘のように、あれに気がつかないのは、直感の問題もありそうな気がします。同じ自称霊能者でも亡くなっ宜保愛子さんなどとは違うタイプだと思います。カーメン・ブラッカーの「あずさ弓」は、日本のシャーマンを扱った好著ですが、御嶽山の修験者、沖縄のユタなどと比べると、恐山のいたこには演技が多い、実際に見れば分かると指摘しています。それでも、ブラッカーさんが指摘している演技は、江原氏などのシャーシャーとした虚言、詐欺とは別物だと思います。スピリチュアル詐欺師の連中は、お金儲けには実に目ざといです。アメリカでもテレビ宣教師が、身振り手振り表情ゆたかに、さんざんジーザス、ジーザスといったあと、寄付はこちらへとかやっていたのを見たことを思い出します。スピリチュアル詐欺師の問題はおきます。幼い子供には想像の友達という現象が知られています。たしかに、人間には物理的には実在しない仮想の人格を経験する能力があるようです。ある場合には、仮想の人格からの声をきいたり姿を見たり、ある場合にはシャーマンのように仮想の人格が乗り移ったりします。この種の仮想の人格は物理的には存在しませんが、心理的、社会的にはリアルです。死んだ人は物理的には存在していませんが、その人の話題をする人々の間では、心理的、社会的にはリアルな存在です。共同体は仮想の人格としての死者なしには成り立ちません。スピリチュアル詐欺師と仮想人格経験については、また機会をあらためて書きたいと思います。
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