道端鈴成

エッセイと書評など

二人旅

2006年06月03日 | 雑談
  姪はまだ小学生だが、iPodminiを持っていて、いっぱしのMac Userである。私の60GのiPodに興味を持って、CDの入力をやってくれた。これまで入れていたのが、ちゃんと登録してなかったので、一挙に4G程度が消えてしまった。再度、入れ直すことになった。CDの山がなかなか片づかない。落語をほぼ全部と本の朗読を一部入れて、6G程度になったが、音楽や本の朗読の大部分などは、まだCDの山が手つかずで、積み重ねてある。
  そんなことで最近は主に落語を聴いている。名人と言われる落語家でも、それぞれ特に得手の領域があり、そこで最高の名演を残していることがよく分かって面白い。志ん生は、前に紹介した鮑熨斗や火焔太鼓、お直しなど、しっかりものの女房とすこしぬけた亭主のやりとりが堂に入って実にうまい。5代目小さんは、笠碁や気の長短、二人旅など、友人同士などの二人のかけあいが実に見事だ。志ん生の息子の志ん朝は、江戸の雰囲気、人情の名演出家といったところがあり、文七元結や唐茄子屋政談など、三人以上の登場人物がからみあう場面の描写のうまさでは群を抜いている。
  五代目小さんの二人旅は、友人同士の遊山の旅の道中の会話と田舎の飯屋での情景を描いただけだが、のどかな風景のなかで、相方の中食にしようよという繰り返しでのんびりした時を刻みながら、謎掛けや、都々逸をちりばめた会話の面白さで、見事な小品にしあがっている。飯屋の看板の濁りを読むか読まないかで、「い」はかしらだから濁らない。「ろ」はかしらの名代になることもある。「に」は濁点がつくと重いだろう。「ゆ」は朝にごらない内にはいるものだ。など、馬鹿馬鹿しい言葉遊びの連続だが、なかなかしゃれていてきかせる。二人旅は、上方落語の東旅をもとに、四代目小さんが基本を作ったもので、謎掛けや、都々逸には、「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんの会話からとったものもあるとのことだ。帯を解いて解かせるとか、ふんどしを衣桁へ架けるとか、いざりのおならなどの、上品とはいえないネタも、小さんがやるとなんだかとぼけた味わいになる。
  のどかな風景のなかでの俳諧趣味みたいなところもある会話から田舎の飯屋での描写にうつるさまなど、二人旅には、どこか夏目漱石の草枕を思わせるところもある。夏目漱石は大の落語ずきで、3代目小さんを「天才」と評した。「東海道中膝栗毛」などにもなじんでいたと思われる。ジャンルは異なるが、草枕と二人旅には、江戸の道中ものという共通の背景があるのかもしれない。
  カナダのピアニストのグレン・グールドは、夏目漱石の草枕に傾倒し、友人などにも朗読して聴かせていた事が知られている。生涯ホテル住まいで、深夜、車を走らせ、友人に長電話をしたグールドも、自らの日々を旅の草枕として意識し、人情の葛藤の世界にたいして、旅人の眼から距離をおいて眺めようとした漱石の草枕に共鳴するものを見いだしていたのかもしれない。
  音楽CDの山の2、3割はグレン・グールド演奏の曲である。ぼちぼち音楽もiPodのなかに戻すことにしょう。