「来年選挙かも」と鳩山前首相が早期の衆院解散に言及
菅直人首相との27日の会談で「政権交代した意義を失わせて、自民党中心の政治に時計の針を逆戻りさせたら大変なことになる。それだけはさせてはいけないという気持ちは、私や小沢一郎元代表も同じだ」と伝えたことを紹介。 (産経ニュース 11月28日)
政権交代の第一の意義は政権が致命的な失政を犯した場合に、民意によって政権を退場させられることである。第二の意義は、政権交代を経験、予期するなかで初めて、責任与党と責任野党が可能になることである。
自民党の長期政権が続いていたときには、与党としての責任を担うという予期のもとでの責任野党は存在しなかった。民主党のマニフェストは無責任野党としては問題なかったかもしれないが、与党になって、それを実施に移さなければならず、現実性がないことが明白になってしまった。マニフェスト選挙で政権をとった手前、軌道修正もできず、政治主導といいながら国家運営の経験もなかった。謙虚に学ぼうとする姿勢にも乏しい。結果生じたのが自民党批判を存在理由として、言い訳と誤魔化しに特化し、最近では居直りつつある無責任与党としての民主党の醜態であり、鳩山氏のルーピーぶり、菅氏の左翼空き缶ぶりもあって、国家と国民に取り返しのつかない損害をあたえつつある。長期政権後の初めての政権交代としては、試行錯誤として、若干やむをえなかった面もないではないが、試行の段階を越えて、錯誤の繰り返し過ぎである。思いこみだけの現実性のない考えで誤りを犯し、かつ、誤りから学べないような面々を選択した事自体が誤りだったということだ。
支持率1パーセントでも首相の座にしがみつきたい菅氏や、無責任与党を続けさせて下さいという鳩山氏は、いまだに政権交代とは反自民のことだと思っているらしい。政権交代のルールは一般的なもので、自分たちが政権について致命的な失政をしたら退場させられ、それをよしとしなくてはいけないとは思っていないようなところが、原則を把握していないのか、自己評価に欠けるところがあるのか、いずれにしても、愚かしいというか、恐ろしい。
民主党政権は普天間から尖閣、二酸化炭素排出大幅削減公約と環境税、派遣禁止、等々、外交、経済にわたって致命的な誤りを何回も犯している。その中には二酸化炭素排出大幅削減公約と環境税や派遣禁止のようにまだ法案が通っていないため誤りの被害が現実化していないものもある。これ以上、国家と国民の被害を大きくしないためには、外交、経済にわたって致命的な誤りを繰り返し、民意を失った民主党政権を退場させるしかない。それがもともと政権交代の第一の意義だった。
政権交代の第二の意義を活かすには、今後、どのような政党の離合集散と再編が行われるにしても、思いこみの現実性のない考えをふりまわす無責任野党が単に無益というにとどまらず、いかに有害な存在であるかを、政治家、国民、メディアの共通認識としなくてはならない。こころある民主党の議員は、無責任与党とはいえまがりなりにも与党を経験したわけだから、今度はその経験をふまえてルーピー、空き缶の失敗から学び、まずは責任野党としての研鑽を積んでから責任与党に参画することを目指すべきだろうし、自民党の議員も責任野党として責任与党を目指すべく、より合理的な経済政策や外交戦略とそのてだてをしっかりねらなければならない。マスメディアや国民も、今後は、昨年の民主党のような無責任野党を与党にしてしまうことの愚を繰り返さない程度には、政策へのリテラシーと見識を身につけることが求められるだろう。
誤りから学べない個人は淘汰され、それができないとその個人が属する集団が淘汰され、さらにそうした集団の淘汰もできないと、その集団が属する上位の集団そのものが淘汰されるというのが、複雑で不確実な世界のなかで生きざるをえない存在に課せられた一般原則だ。仙石氏のような弁護士的対応が習い性となっている人が失敗を言いつくろって誤魔化しても、当座の保身にはなるだろうが、誤りから学ぶことを阻害し、失敗を繰り返し、失敗の帰結を上位のレベルに送ることになるだけで、かえって誤りの害を悪化、非局所化させるだけだ。
菅氏や仙石氏など、最近は、度重なる政権の失策の言い訳に事欠いてか、情報開示と具体的な説明を回避し、歴史が評価してくれるなどの空虚な独善(鳩山氏の時計の針発言と同様、逆風の心細さにかつての左翼仲間の間では霊験あらたかだった歴史主義的な言い回しを、「進歩勢力の自分たちが保守反動勢力に道を譲る訳にはいかない、歴史の歯車の逆戻りは許されない」などと呪文のように口で唱えたくなったのかもしれない)に逃げ込んでいる。しかしこれは、引退した政治家にふさわしい種類の言いぐさだろう。菅氏や鳩山氏、それに、仙石氏、輿石氏などの社民党あがり、および同類の民主党議員など、無責任野党根性が染みついた政治家には、もはや退場を願うしかない。
菅直人首相との27日の会談で「政権交代した意義を失わせて、自民党中心の政治に時計の針を逆戻りさせたら大変なことになる。それだけはさせてはいけないという気持ちは、私や小沢一郎元代表も同じだ」と伝えたことを紹介。 (産経ニュース 11月28日)
政権交代の第一の意義は政権が致命的な失政を犯した場合に、民意によって政権を退場させられることである。第二の意義は、政権交代を経験、予期するなかで初めて、責任与党と責任野党が可能になることである。
自民党の長期政権が続いていたときには、与党としての責任を担うという予期のもとでの責任野党は存在しなかった。民主党のマニフェストは無責任野党としては問題なかったかもしれないが、与党になって、それを実施に移さなければならず、現実性がないことが明白になってしまった。マニフェスト選挙で政権をとった手前、軌道修正もできず、政治主導といいながら国家運営の経験もなかった。謙虚に学ぼうとする姿勢にも乏しい。結果生じたのが自民党批判を存在理由として、言い訳と誤魔化しに特化し、最近では居直りつつある無責任与党としての民主党の醜態であり、鳩山氏のルーピーぶり、菅氏の左翼空き缶ぶりもあって、国家と国民に取り返しのつかない損害をあたえつつある。長期政権後の初めての政権交代としては、試行錯誤として、若干やむをえなかった面もないではないが、試行の段階を越えて、錯誤の繰り返し過ぎである。思いこみだけの現実性のない考えで誤りを犯し、かつ、誤りから学べないような面々を選択した事自体が誤りだったということだ。
支持率1パーセントでも首相の座にしがみつきたい菅氏や、無責任与党を続けさせて下さいという鳩山氏は、いまだに政権交代とは反自民のことだと思っているらしい。政権交代のルールは一般的なもので、自分たちが政権について致命的な失政をしたら退場させられ、それをよしとしなくてはいけないとは思っていないようなところが、原則を把握していないのか、自己評価に欠けるところがあるのか、いずれにしても、愚かしいというか、恐ろしい。
民主党政権は普天間から尖閣、二酸化炭素排出大幅削減公約と環境税、派遣禁止、等々、外交、経済にわたって致命的な誤りを何回も犯している。その中には二酸化炭素排出大幅削減公約と環境税や派遣禁止のようにまだ法案が通っていないため誤りの被害が現実化していないものもある。これ以上、国家と国民の被害を大きくしないためには、外交、経済にわたって致命的な誤りを繰り返し、民意を失った民主党政権を退場させるしかない。それがもともと政権交代の第一の意義だった。
政権交代の第二の意義を活かすには、今後、どのような政党の離合集散と再編が行われるにしても、思いこみの現実性のない考えをふりまわす無責任野党が単に無益というにとどまらず、いかに有害な存在であるかを、政治家、国民、メディアの共通認識としなくてはならない。こころある民主党の議員は、無責任与党とはいえまがりなりにも与党を経験したわけだから、今度はその経験をふまえてルーピー、空き缶の失敗から学び、まずは責任野党としての研鑽を積んでから責任与党に参画することを目指すべきだろうし、自民党の議員も責任野党として責任与党を目指すべく、より合理的な経済政策や外交戦略とそのてだてをしっかりねらなければならない。マスメディアや国民も、今後は、昨年の民主党のような無責任野党を与党にしてしまうことの愚を繰り返さない程度には、政策へのリテラシーと見識を身につけることが求められるだろう。
誤りから学べない個人は淘汰され、それができないとその個人が属する集団が淘汰され、さらにそうした集団の淘汰もできないと、その集団が属する上位の集団そのものが淘汰されるというのが、複雑で不確実な世界のなかで生きざるをえない存在に課せられた一般原則だ。仙石氏のような弁護士的対応が習い性となっている人が失敗を言いつくろって誤魔化しても、当座の保身にはなるだろうが、誤りから学ぶことを阻害し、失敗を繰り返し、失敗の帰結を上位のレベルに送ることになるだけで、かえって誤りの害を悪化、非局所化させるだけだ。
菅氏や仙石氏など、最近は、度重なる政権の失策の言い訳に事欠いてか、情報開示と具体的な説明を回避し、歴史が評価してくれるなどの空虚な独善(鳩山氏の時計の針発言と同様、逆風の心細さにかつての左翼仲間の間では霊験あらたかだった歴史主義的な言い回しを、「進歩勢力の自分たちが保守反動勢力に道を譲る訳にはいかない、歴史の歯車の逆戻りは許されない」などと呪文のように口で唱えたくなったのかもしれない)に逃げ込んでいる。しかしこれは、引退した政治家にふさわしい種類の言いぐさだろう。菅氏や鳩山氏、それに、仙石氏、輿石氏などの社民党あがり、および同類の民主党議員など、無責任野党根性が染みついた政治家には、もはや退場を願うしかない。