今日であの大災害から1年が経ちました。
私の住む笠間でも、未だ手つかずのままの建物など多々あります。
沿岸部の津波の被害を受けられた方々を
想うと『これぐらい。。。』と思う反面、
たった数日ではありましたが、ライフラインと視覚的情報源を失った恐怖が
今も鮮明に思い出されます。
震災当日は、すぐに停電になってしまった為
外の情報が全くわかりませんでした。
沿岸部であんなことになっていたなんて知るよしも無かったのです。
私の両親や兄弟とも連絡が取れませんでした。
(後で知りましたが弟は、職場の秋葉原から幕張まで辿り着くまでに徒歩で8時間かかったそうです。)
とりあえず、メールと災害伝言ダイヤルにメッセージを残しました。
(こんなときに限って、携帯の充電も残り少なかった為、電源を切りました。)
同じ市内でも被害が様々で、
私の住んでいる地域は地盤が固いのか建物自体には
さほど被害はありませんでした。
ただ、お店の棚からお皿や、冷蔵庫の中身が散乱してしまったり。。。
自宅でも割れたお皿やらで、これは明るいうちに片付けなくてはと焦りました。
(お店はお父さんに任せて、とりあえず私は家の足場の確保をしなくてはと。。。)
ここでひとつ反省点をあげるとすれば、散乱した様子を記録していなかったこと。。。。
(写真なり、ビデオなり。。。)後でとても後悔することになりました。
地震直後はまだ、水が出ていたので洗濯物のカゴに2重にしたゴミ袋を重ね水を溜めました。
それでもトイレに使う水の量には、改めて驚きました。。。
お風呂の水を使っていたのですが、あっという間になくなってしまうのです。。。
なので、外に穴を掘って『簡易トイレ』を作りました。
夜は余震が続いていた為、家族みんなでコタツで体を寄せ合って眠りました。
もちろん停電中なのでとても寒かったです。冷え性のうえ、不安感からか震えが止まらなかったです。
洋服も着たままです。ただ、あまりよく眠れなかったです。
(普段からアロマキャンドルなどを集めていたので役に立ちました。。。)
暗くなる前にしたいことをしなさいという意味がわかっていなかったように思います。
私達の体験はまだまだ甘いものです。。。
現実はもっと厳しい状況にあります。
ですから、今も苦しんでいる方たちが大勢いるという事を
私たちは決して、忘れてはならないのだと思います。