最近ずっと《一メートルの光》を見直しているので、当時のことが気になり、記事を検索するとインタビュー記事が出てきた。
まだ二十代のPeterがどんなことを言っているんだろうと思い、ちょっとヘボ翻訳してみた。
しかし、標題の“変態”を渇望…って日本語にするとかなりヤバイ人になるぞ。(笑)
新浪網 專訪陽光男孩何潤東:非常渇望“變態”(図)
何潤東にインタビューしたいと長い間思っていた。
彼は、独特な気質を持つナンバー1若手男優だとずっと思っていたのだ。
うわべは日光のよう、だが、身体からは、一種の、芸能界とは相容れない空気を発散している。
何潤東に会ったことが二度あるが、一度は、去年、上海ライカ風尚領奨式典でだった。
彼は、上半身に透けた上着だけをはおり、ファンたちの黄色い声を巻き起こしていた;
もう一度は、広州《一米陽光》のクランクイン時だ。
インタビューを受けるとき、彼は付き合いがよくてすごく明るく……
《玉観音》の放映では、彼扮する毛傑は、すばらしさと邪悪を一身にまとっていた。
出演シーンでは、爆発力が強く、視聴者の心を深く深く動かした。
あのとき何潤東を捜したが、彼が日本にいるとわかった。
先週末になり、《一米陽光》製作会社がくれた返事:ついに、何潤東と会える約束をした!
そこで、以前から聞きたかったたくさんの質問を古ぼけた頭から取り出し、初めてインタビューを行った。
最初のお芝居で危うく換えられそうになる
記者:五年前デビューしたとき、あなたは自分自身がこんなに人気者になると思っていましたか?
何潤東:思っていませんでした。自分がお芝居をできると思ったことはなく、歌手としてデビューしました。三年前、《小李飛刀》の終わりの曲を歌いましたが、当時は演技をするなんてありえませんでした。《真心話》という、初めて出演した映画を覚えていますが、演技を始めるとうまくいかず、監督はすぐにわたしをおろそうと思いました。でも、わたしは努力し、その後、彼はわたしをやはり必要としたのです。わたしは自分をすごく幸運だと思います。
記者:あなたは以前は卑屈な少年だったそうですね?
何潤東:閉じこもりがちでした。そのときカナダにいましたが、ことばには問題はなく、ただ文化に適応するすべを持っていませんでした。その頃は十数歳、友だちが大切なときでした。それから、台湾へ戻り、21歳でデビュー、内気で恥ずかしがりやでしたが、二年前に達観しました。ずっとドラマ撮影をしているので、いろんな地方へ行き、いろんな人たちに会います。自分が芝居するチャンスがあるのはすごく幸せだと思います。わたしの心理状態は以前とは大きく異なります。今は、芸能界が最終的な目的だとは思っていません。芝居をするのが今の段階ですることだというだけです。
記者:あなたが有利だと思うことは身長の高さですか?
何潤東:身長が高いことが、かえって良くないことであったりします。撮影時には疲れますよ、上半身だけを撮り、こっそり下では足を開いて立っています。有利な点と言えば、言語がわたしのいちばんの売りです。わたしにたくさんのチャンスを与えてくれると思います。英語、広東語、北京語ができます。
記者:前回ライカ風尚であなたにお目にかかりました。身につけたのは露出が多いものでしたが、ふだんの生活の中でも同じように前衛的ですか?
何潤東:いいえ。動き回るのが好きだから、カジュアルな服を着ていますよ。きれいな格好をするのはかえって着心地がよくありません。わたしは洋風の教育を受けて成長しましたから、みんなはわたしを開放的だと思うようですが、実際は伝統的なものを好むのです。父がしつけにすごく厳しかったので、小さい頃から箸をきちんと持つ訓練をさせていました。絶対に中国人の標準に従って箸を持たなくてはならず、彼は桶の中に豆を入れておき、わたしに箸でつまんで運ばせました。もししっかり挟めなければ、父は象牙の箸でわたしをたたき、箸を折ってしまうのです。試験は80分続きます。わたしは我が家の唯一の息子です。わたしに責任を持たせなくてはいけないと父は考え、15歳から生活費をくれなくなりました。わたしは勉強しながらアルバイトをし、授業が終われば、放課後すぐにアルバイトへ行っていました。我が家はけっこう豊かなほうですが、みんながスポーツカーを運転しても、わたしが初めて買った車は二十年ものの中古車でした。でも、今思い起こせば、わたしは幸せです。なぜなら、ああいう家の子どもはお金も価値を知らないままだからです。仕事をし始め、自分の稼いだお金をあまり使ってないと思います。
5~10年後には監督をする
記者:監督をする?そうですか?役者さんはみな年取るまでずっと演技をするといいますよ。
何潤東:はい。演技以外にもいろんなもの、例えば、家庭や友だちがあり、暮らしがあります。有名で有利だというのは、特に重要なことではありません。楽しくないのは、自分がなぜ生きているかと考えることです。わたしはある急進的な考えを持っています。科学は進歩し、失業する人はだんだん多くなっています。写真を撮ることを生業とする人は、以前は自らの手で写真を現像し、尊重されていました。今では、デジタルカメラがあって、彼らもみな失業しています。ある日、役者に取って代わる仮の人物が出てくる日が来て、わたしたちは失業するかもしれないと思います。もちろんこれはずっと先の話ですが、今、わたしが考えているのは、5年から10年後には監督となれるのではないかということです。演技にベストを尽くしますが、それが全てではありません。
記者:あなたは今の俳優生活に満足していますか?
何潤東:悪くはないですね。いろんなところに旅行でき、雲のように漂い、安定せず、人生の一つの経歴となります。わたしは数日後チベットへ行きます。チベットで写真を撮りますが、人物や文物を撮り、何かを暴露するものではありません。チベットを選んだのはある考えからです:わたしは洋式の教育を受けてきました。ラサには、東方、仏教の地方がぶつかり合うコントラストを形成しています。表情や道具を通じて、衝撃を与えるパワーがあり、生死輪廻を内包しています。
記者:あなたは、今、香港、台湾、内地で人気があります。それに、日本市場にも進出していますね。その勢いはすごいですが、どこに重点を置いているのですか?
何潤東:やはり内地あるいは台湾です。機会や時間があれば日本へ行きますが、芝居するのではなく、いかに運営するかを学習します。
恋人と交際するのは正常だ
記者:最近うわさのガールフレンド路易ですが、あなたは彼女のどういうところを評価していますか?
何潤東:彼女はすごく明朗で明るくて聡明で向上心にあふれた女性です。彼女は外国へ行ったことがありませんが、独学で学んだ英語はすごく流暢です。でも、わたしは、今、ドラマ撮影にあちこち飛び回っています。女性との交際は難しく、現在二人とも何も決めていませんし、彼女も認めていません。メディアがあれこれ記事にするのを見て、彼女もとてもわずらわしく感じています。
記者:若いアイドルに恋人がいると、芸能界の仕事では不利になりませんか?
何潤東:ありえませんね、わたしはあと二年で三十歳です、女性と付き合って当たり前です。台湾のファンたちは好意的です、みな20歳を過ぎていて、女性と付き合うことも了解してくれます。
記者:前回《玉観音》で孫儷にインタビューしたとき、あなたのことをジェントルマンだと言っていましたよ。今度《一米陽光》でまた共演しますが、何か感じが違っていることはありますか?
何潤東:孫儷は、今回、一人で二役します。一人は姉、一人は妹です。二人は年が大きく離れていて、わたしは愛に執着する人物を演じます。一生姉のほうを愛すると誓いをたてているのです。麗江まで逃げてくるのですが、姉は自殺し、このとき、姉と様子が同じに成長した妹が現れます。姉が死んでいるのか生きているのかわからないため、わたしは良心と責任の間でウロウロとします。《玉観音》と比べると、《一米陽光》は恋愛により比重が置かれています。
ニコラス・ツェーは毛傑にピッタリだ
記者:謝霊鋒が、今、映画版《玉観音》を撮影中です。同じく毛傑を演じ、あなたは、あなたたちのだれが素晴らしいと思いますか?
何潤東:わたしたち二人はそれぞれ個性が違います。芸能界入りは長いですが、彼のデビューは私よりも早いです。テレビドラマ版は二十数話あります。映画のほうは1時間半のものです。違っていて当たり前です。;それに、映画は毛傑が主となるようです。当時、彼らも、わたしに、楊瑞と毛傑のどちらかを選ばせてくれましたが、わたしはやはり毛傑を選択しました。彼の性格はすごく爆発性があると思います。わたしは、あまりたくさん演技したことはありませんが、役柄がいいかどうか考えます。謝霆鋒には毛傑が似合うのではないでしょうか。彼はすごくクールです。わたしは、人から見れば、明るい感じです。だから、この役を演じると人はすごく驚きます。
記者:あなたは《玉観音》の小説を読んだことがありますか?
何潤東:読みました。わたしは中国語を学んだことがありません。《玉観音》はわたしが初めて最後まで読んだ中国語の小説です。六百数ページを全部読み終わったけれど、甘んじることはできません(儘管很不情願?)。当時監督に聞いたら、まだシナリオがないと言いました。
記者:一人のアイドルとして、悪役を演じたらイメージが壊れると怖れますか?
何潤東:わたしは現在日本で撮っている日本の映画はどちらも悪役です。これまで自分をアイドルだと決めていたわけではありません。わたしは変わった人物を演じたいと渇望しています。日本の映画ではアメリカ系の中国人を演じます。彼は腹黒いのではなく、人生の目標や立場が主役の男性と違っているから対立しているだけです。悪役を演じることも気になりません。いちばん大切なことは、わたし自身がどのように自分を評価するかということです。
新浪網 組図:《一米陽光》転戦上海 何潤東興奮不已
写真:《一米陽光》は上海へ転戦 何潤東は興奮がやまない
“麗江の古都は行けども行けどもたくさんのものにあふれていて、毎日いろんなことがある。あるものは続いていき、あるものは麗江の水にしたがって消えていく。しかし、玉龍雪山の山頂の一米陽光が証言する、一組の男女が生命をかけてそこに愛を刻み込んだ……”
海岩の《玉観音》、《拿什麼拯救你,我的愛人》の二作品は視聴率も抜けているテレビドラマだ。
何潤東、於娜、孫儷、印小天、遲帥、冼色麗、劉莉莉が主演し、全く新しい現代の恋愛ストーリーを演じる《一米陽光》は、近日、麗江から上海へと移動して引き続き撮影する。
蘇州川べりの、今とても流行っている古い倉庫を改造した複式の家屋に、何潤東は撮影の忙しい合間を縫って、カメラマンの臨時弟子となり、このドラマのスチール写真を撮っている。
歌手であり、また俳優である何潤東は、カメラが趣味で非常に真面目にやっていて、撮った写真もプロ並みだ。
しかし、何潤東は、ただ劇場の中でただ細々とやるだけでは満足していないようだ。:“ぼくは熱帯雨林で休日を過ごしたい。そこでは、たくさんの写真を撮ることができ、街では得られない風情を体得できるんだ。それに、個人として修整でき、ふだん考えていることが問題とならない。”
《一米陽光》では何潤東はバーテンダーを演じる。
麗江でこのドラマの一部分を撮り終わり、上海へ戻ってきた何潤東は興奮してやまない。:“これは、ぼくが始めて上海市で撮るドラマだ。以前、松江や無錫でドラマを撮ったときは、町でこっそり食べ歩きをし、すぐに戻ってきた。今は、機会があればぶらぶらできる”
ようやく上海ヘ来て長くない何潤東は、上海の女性を印象深く感じた。:“ここの女性はみな背が高く、モデルみたいだ。”
しかし、自身がどんな女性が好きかという話になると、結婚年齢適齢期の何潤東は真面目な顔つきになって言った。:“以前は女性をすごく理想化していた。今は、とにかく気持ちが優しく、親孝行でさえあればいいと思っている。絶対にゴシップは駄目だ。他の人が背後にいてごたごたを巻き起こす女性は最も困る。”
近ごろ、芸能界の焦点となっているレスリー・チャンの飛び降り自殺も潤東の関心をひいている。:“すごく残念だ。彼は、歌唱や演技が伝説となっている人物だ。ぼくも彼が好きだ。彼はずっと多くの人たちの模範だったが、今度の飛び降り自殺は模範とはならない。彼が死んだ後、どれくらいの人が悲しんだろうか。この事件が、自殺したがっている人たちに、生命に対して慎重に向き合わせてくれるだろう。”
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この冷たい風の中でソフトクリームをなめるっていう記事の上にあるのをクリックすると、Peterも出演する海南島の歌友会の案内記事になっているのがミソ。
海口かあ…三年前、生日会を開いたところだ。
あのころ、すごく生日会に参加したくて、参加したくてたまらなかった。
まさか三年後、生日会が日本で開かれるようになるとはね…。
いつも 有難うございます。
6年前のピーターですね~
その頃は 残念ながら私は全くピーターを
知りませんでした。
そしてその頃 ピーターのこの言葉を今のように感動をしていなかったかもしれません。
なぜか このsupiaさんのブログで
6年後の今、私にはすっごい心に残りました~
数年後もまたピーターの生き様が人に
感動を与えられれば 幸せですね。
す、す、すみませ~~んm(__)m
こんな間違いだらけのヘボ翻訳を御覧くださったうえ、しかも感謝のお言葉まで…ホントに申し訳ない、穴があったら入りたい…。
…ゴソゴソ…ただいま穴掘り突貫工事中デス…。
ときどき、若きPeterがどんなことを考え話していたのか知りたくなって、昔の記事を探しては読んでいます。そうやって読んでいると思うのですが、彼は、考えにブレがないですね。今も若き日も、彼が語っていることの芯の部分はいつだって同じであるような気がします。
時間があれば、もっともっと若き頃、駆け出し明星Peterの記事を読みたいのですが、明日までに仕上げないと、切腹申し付けられそうな仕事がたまっておりまするぅ~~~(哭)
無念ぜよ…。(某ドラマにハマり中でござる)