若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

50歳から貝原益軒になる

2006年11月24日 | 載ってる十四代目
今日は、作家の山崎光夫先生福岡ライブリー学院の調先生とご一緒させて頂きました。

山崎先生は先日、「心と体のことわざ養生術 50歳から貝原益軒になる」という本を上梓されたばかり。その中に「博多練酒」のことをご紹介頂いたことからご縁をいただきました(貝原益軒はその著書「筑前国続風土記」で練酒のことを博多の名産品として紹介しているのです)。

「十四代目といえば、、柿右衛門も十四代だね」そんな会話から、源右衛門窯、小石原焼、古伊万里、江戸期の輸出品、日本茶、貝原益軒、果ては邪馬台国のことまでと話は広がります。連想ゲームではありませんが、それぞれに見識の深い方々とお話が繋がっていく様はとても面白く、楽しいお酒を飲みました。

貝原益軒は「養生訓」を著した事で知られる江戸期の人物ですが、福岡藩士であることを知る福岡県人は意外と少ないようです。益軒は「自ら楽しみ、人を楽しませて、人の道を行う事こそ、人として生まれた甲斐」であるという精神を説いたといいます。封建時代に自由でゆとりある心を持てたことは奇跡的だと山崎先生は言われました。その精神は経営者としても大いに求められるところと思います。

平均寿命が40歳代の江戸期に、生まれつき身体が丈夫ではなかった益軒は、それでも84歳まで長生きをします。生涯で九十八部二百四十七巻に及ぶ著述をし、しかもそれらは50歳を過ぎてからの刊行がほとんど。80歳を超えても10冊以上の本を出版しているそうです。山崎先生のお話を伺いながら、僕はサミュエルウルマンの「青春」という詩と、平櫛田中と祖母のことを思い出していました。

株式会社紅乙女は、私の祖母が63歳で起業し94歳の今尚現役の経営者です。何かを始めるに遅すぎるという事はない。心が老いた時に終わりがやって来るのか。山崎先生の話を聴き、祖母を思い、そんなことを考えた一日でした。

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