小学校の理科の授業で、二度ほど先生に対して不信感を抱いたことがあるでつ。
一度目は、2年生の時。
日時計というのを授業でやって(あれって影時計じゃないいの?ってそりゃどうでもいいや)、まあ、実際に外にでてお日様の影の動きを追って線を引いたりしたわけだけど、それはもちろん問題ない。
テストで日時計のことが出てきて(そりゃあでますがな)、最後の問題だったと思うけど、時間が経つにつれて影が動くことについて、実はなにが動いているのですか、というすごい問題があったのだ。
私は「地球」と書いた。
確実に正解のはずである。
ところが、答案用紙が帰ってきたとき背筋に戦慄が走った。正解の「○(まる)」がついていなかったからだ。微妙に「△」になっている。
そして、その下に「まだ習っていません」とかなんとか理由が書いてあった。
これが当時の義務教育の実態です。
習っていないのは正解じゃないのかよ。いったいどんな宗教やねん。
まるっきり教育という名のドグマなのである。
弱冠8歳にしてガリレオの気分を味わったことはいうまでもない。
二度目は、6年生の時。
2学期から転校したのであった。
転校早々、ちょうど夏休み前に(前の学校で)習っていたところのテストをやることになった。
これも最後の問題。
夕方になると涼しくなるのはなぜですか?という問題だった。
赤外線の放射について習っているはずもなく、まあ、面積あたりの日光のあたる量が日中より少なくなるとか、そんな話なのだが、そんな感じで書いたら、「○」をもらった。
ところが、転校早々に満点をとったのが気に入らなかったのか、隣の女子(笑)が、その私の答案を見はじめた。
そして、最後のところの答が違うと指摘。
先生に確かめると、やっぱり違うのだそうだ。
なんと正解は「影が出来るから」
小学生をなめるにも程がある。
面倒だから授業でそう教えたんだろう。
要するにそういう問題がテストに出るのはわかっていて、だから授業で取り上げなければならないが、説明が面倒だから、「影ができる」などという何の根拠もない話をでっち上げて、それを書けばみんな正解、という図式にしてしまったのだろうね。
私の書いた答のほうがもちろん正解なのだが、他の生徒が事実を知ってしまうと不信感をもたれるので、指摘がでてみなが知ってしまったあとは私のを不正解にしたのだろう。
つうか、ちゃんと授業やれよな。
それにしても「影ができる」なんていう理由で誰も疑問を持たないのがおかしいのだが。
どうして納得できるのだ?
2年生の時の場合は、まだ同情の余地はないこともない。
単に判断ミスというだけかも知れない。
ただ「○」をつけた場合にほかの生徒との答の違いから、だれかがそれに気がついてわけがわからなくなるのを避けたかったのかもしれない。
ちょっと気の弱そうな女の先生だったし。
まあ、「○」をつけた上で「まだ習ってはいませんが」と書けば済んだ事なのだ。
しかし6年生の時のは、どうしようもない。
小学校では珍しく理科の先生だったのだ。つまり理科だけをその先生は教えていたのだ。
と、小学校における理科の授業のいい加減さをぐだぐだ書いてみたのは理由がありまして、次回、ようやく本題に入るのであります。
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