いや別にタイトルに意味はないんですが。
ドッチモドチャーの行動原理を考えてみますた。
かれらはクラスでいじめがあったらどうするか。
まず見て見ぬふりをするわけですね。
次にいじめをとめる者があらわれる。うんうん。正しい行為です。
ここでどっちもどっちゃーの登場だ。
「いじめはよくないがそのとめ方も良くない。もっと考えるべきだ」と言うのです。
おそらく一般論として「いじめはよくない」とどこかで習ったのでしょう。
でも、自分のリアルとは別物なのでしょうね。
いじめているやつと対峙して「やめろ」ということはない。
見て見ぬふりをする。
しかし、そこにいじめを止めるやつがあらわれえると、自分が見て見ぬふりをしてきたことを何となく悪いことだと認識することになっていく。
そいつのほうが正しいからね。
でも、正しくない自分を認めることは耐えられない。
自分より正しい奴がいなければいいのだ。
いじめを止めようとしている奴を責める。
まあ、要するに言い訳なんですよね。
ドッチモドッチャーがことあるごとに意味不明なコメントをする(しかもずれたタイミングで。)のは、言い訳。
後ろめたいところはあるのでしょうね。
それが彼らのあのどっちもどっち発言の動機だと思います。
まあ、普通に考えて、いじめている奴といじめられている人の間でどっちもどっちってやばいですよ。
だから、巧妙なドッチモドッチャーはいじめを止めている奴にケチを付ける。
基本的にはヘタレなんでしょうね。
レイシストとヘイトの被害を浴びている人の間に立ってどっちもどっちをやるほどには狂っていないので、カウンターにケチをつける。
「デモに意味がない」と言いながら必死にdisる。
やはり、意味はあると思っているけれども参加する勇気はない。
誰かさんは「このデモに参加しない奴は言論人を名乗るな」という言葉に強く反応していましたね。
気になるのでしょう。
しかし世界的にデモに意味がある事例が次々に見えてくると「日本独自の民主主義があるはずだ」ですからね。
とにかくすべてが言い訳。
まずどっちもどっちをやる前に、いじめる側といじめられる側、差別する側と差別される側、歴史修正主義者とそうじゃない人とについて考えてみたらいいんだよね。
2+2=5と言ってるやつと2+2=4と言ってる正常な人を対等に扱って、両者の言い分をきけるか?
そういうレベルの話ですからね。
ところで、汚リンピンクが話題ですが、2020年東京オリンピック・パラリンピック成功に向けた努力を政府に求める決議に衆参両院で山本太郎だけが反対した件はみんな忘れた?
先月のロシアのユーチューバーの人。
ブラックドッグがハマりすぎていて、びっくりだったんだけど、かなりいろいろ。
Nobody's Fault But Mine (Alyona cover)
Welcome To The Jungle - Guns 'N Roses (Alyona cover)
たぶん好きなのはロックで、
得意なのはこういうのなのではないかと。
The Winner Takes It All - ABBA(Alyona cover)
My Heart Will Go On - Celine Dion (Alyona cover)
Greatest Love Of All - Whitney Houston (Alyona cover)
ホイットニー・ヒューストンの曲は多いけど、全部よいですね。


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