昭和26年5月1日付けで電力業界の再編体制が成立した。戦前の五大電力の一翼を担っていた日本電力の子会社である高岡電灯の監査役をしていた竹端仁作が、私に財産を放棄しろと迫ったのは、この電力再編成にかんする父の資産にかんすることことであった。この資産は康楽寺の本殿建築の資源として寄付されていたが、電力再編のみならず、私鉄関係の再編にも関連していた。従って堤康次郎も電力再編には多大な利害があったわけである。電力再編は国家の大事業であり、戦後の復興が掛かっていた。ここで松永左衛門と吉田茂との暗闘が始まるのである。要は人事件の争いであり、日本財界のヘゲモニの争いである。この闘争のため、昭和25年5月に成立する法案がが流れたのである。この1年延びたことで康楽寺の着工が一年伸びることとなった。父が翌年2月に亡くなるとそれを待っていたとばかりに竹端仁作一派が暗躍しだすのである。 それと麻布の5千坪の土地を私する好機とばかり、父の個人の寺を宗教法人とする好機とし、父個人の資産を宗教法人に取り込みを狙ったわけである。
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