白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

利根川進博士の理論

2007年12月12日 11時24分02秒 | 鼻の手術

1987年ノーベル医学・生理学を受賞した同氏の理論によると外部から進入する各種の病原体から身を守るため免疫と言う複雑な防御システムを分子生物学の立場で解明したのである。どのような外敵に対してもピッタリとした抗体が作られ、その為には何百万種類もの抗体作る事が出来ることを発見したのである。そこで思い出すのは私が鼻の手術で脳天を強打されたがその目的はモヤモヤ病だけでなく、利根川博士の免疫理論が働かなくする為であることが分かった。人間には免疫防御システムがあるでで、毒部がが入って神経が障害されても、自然に回復するのが普通である。が、その働きを妨害するために、鼻の手術の際メスで脳天を叩いたのを思われる。私は脳天を強打される前に、薬物で脳神経のニュウロンの髄鞘の脱髄をきたしていたのである。ニューロンに流れる電気信号が漏電し正常に流れなくなり、その為痴呆症を呈する事になるのである。本来なら髄鞘は自分で修復し再生が出来、神経機能が正常に戻るのである。これは利根川博士の理論が証明している。 しかしこの理論である免疫が機能しなくすると、髄鞘のしたにある神経線維が破壊され神経が基の状態に戻る事ができなくなる。
それだけではなく、逆に自己免疫疾患をおこし、反って病気が悪くなるのである。このことは桜井能忠の妻と私の戸籍上の母た、手術後は病気が悪化すると話をしていたのを、私がたまたま聞いたのである。当時はまさか私のことを話しているとは夢にも思わなかった。二人は私に話を聞かれた吃驚した様子であった

 私は晩食の味噌汁の中に薬物を入れられ、高校1年の春頃より夜7時になると眠くてたまらず就寝したが、夜は強烈な性的興奮を覚えたが決して眼が覚めることはなかった。 その秋ごろより症状が出始め、頭から顔にかけて焼け付くような痛みを時々感じるようになり、思考力を失い非常に疲れやすくなったのである。勉強する気力を喪失していた。これが脱髄が起こったことを意味し、つまりニュウロンから流れる電流が髄鞘で電流がもれ短絡していたのである。このままであると利根川博士の理論で、病原に対する抗体が出来、完全治癒が突然おこるのである。 そこで私の学校のある人間が執拗に鼻の手術をせまるのである。それについては以前のブログで詳しく記述した。同級生の浜谷徹夫なる男が執拗に私に鼻の手術を迫るのは、この事件の2ヶ月から3ヶ月後の事であり、今回の話は私が白痴状況になった当初でであり、つまり薬の効果が現れ始めた頃である。私はいわばカラクリ人形のようなもので、云われたままに行動するようになってからのことで、その年の初秋のころ家の玄関に立って外を見ていろと言われ、其の通りにしたのだが、其の時二人の医者が私の顔を見ながら歩いていった。 ただ無言で私の顔を見ながら歩いていっただけである。二人は同時ではなく一人一人歩いていったのであるが、この意味は何か分からないが、私の症状を顔で確認するためだったのであろう。一人の医師は金沢大学の医学部を出、慶応大学の細菌研究所に研究し、海外の衛生研究所に勤務の後,帰省して開業した医師で、もう一人は眼科医師であった。この二人が私が飲んだ毒物を調剤したのであろう。二人が歩いていった方向は竹端家の方向であった。勿論皆縁戚同士である。 下記関連記事so-net2007年12月11日の記事は、 父の鎌倉の土地に関した記事であるが、其の主役井上きく(本名 幸)は戸籍上の母の妹であるが、父を生涯恨み続け、私と実の母との関係に金を配り邪魔だてをおこなったのである。また上記の慶応大学細菌学部を卒業した医者とは義兄弟の親戚関係であり、これまで述べた地元の有力者益谷秀次とも縁戚関係においても深い関係があった。http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r  鎌倉の土地と六本木ヒルズの関係


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