白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

鶴見総持寺と康楽寺(大東亜寺)

2005年05月24日 06時49分45秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

鶴見総持寺の貫主または前貫主が代々康楽寺の住職になる事と大東亜寺創立当時から決まっていた。ところが昭和56年日本観光の社長桜井能唯が当時の岩本貫主と連名で、父の戸籍上の妻子を相手取り不動産名義書換事件を起して、勝訴を得て名義変更が終わってから地元金沢の前田某が康楽寺の住職となり、従来の慣例は無視された。 ここで総本山との縁が切れ、単なる一寺院に下がったのである。鶴見総持寺の岩本貫主は、昭和41年頃佐藤内閣時代文化庁が出来、日本観光が父の遺言である康楽寺本殿の建築計画が無かったこととして、江戸村を建設するのであるが、その認可を鶴見総持寺の岩本貫主と一緒になって文化庁の今長官から得たものと思われる。 これにより康楽寺本殿計画の資金が湯水の如く流失、日本観光の倒産、日本タイプライターのキャノンえの身売りに繋がって行くのである。  鶴見総持寺の貫主に数年前会いに行った事があるが、大東亜寺やビルマの仏舎利の事なぞ全然分からず,話がチンプンカンプンに終わった事があった。しかも帰り際に、貫主が何かを小僧に言い含めていたが、門を出る際その小僧が私に向かって罵詈雑言を浴びせたものである。 余程貫主が私に云われた事を根に持っていたのであろう。父がビルマから日本国民あての仏舎利の譲渡先がこの体たらくであるからして、日本の仏教界堕落の有様が分かろうと云うものである。 このプログの写真は報知読売新聞に昭和19年5月に発表せられたものである敷地50万坪の大東亜寺の図面の公告によるものである。北陽産業株式会社の公告は同紙によるものと定款に定められていたからである。北陽産業とは父の持ち株会社であり、日本観光の前身である。


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