白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

私の流転したサラリーマン時代(5)

2006年03月16日 09時17分52秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

私の日本タイプ時代は昭和33年から35年頃までであった。この頃ようやく父の事や祖母桜井トキのことを思い出したたのである。
残念ながら脳味噌が破壊されていたため、私の母三条西治子のことを思い出すこと
が不可能であった。
私のその頃の精神構造はどのようなものであったか、今考えると不思議である。
私の高校2年の時金沢国立第一病院で鼻の手術を受けた時、私の高校の国語の
中村というう先生が私の鼻の手術をしたことは既にはなしたが、当時はそんなことは
あり得ないと否定する気持ちが強かった。
よく似ている人であると思っていたのである。
しかしその偽医者は国立病院から消えていた。
私が同級生の浜谷徹雄から必要に鼻の手術を迫られ、とうとう受ける羽目になった
経緯についえも記述した。
私を保護をすべき人間が、私の脳の破壊を狙った工作ししていたことは私の思考
を超えるものであった。
しかも国立病院の院長の下で行なわれた手術である
当時の私の思考力に欠陥があったのであろう。
そこを弁谷家一族はねらったのである。
第一に私の友人を私か遠離け、浜谷徹雄のみ私の友人として、私に近付けたこと
である。
もっと広く友人を交際できればこんな事態に至らなかった。
弁谷ハシが私に毒薬を飲ませ、神経を予め、鼻の手術を受ける前にある程度
破壊状態にしておいたのである

弁谷ハシが私の味噌汁の中に薬を入れる現場を見た事については既に記述して
ある。
世界的鼻の手術の名医、国立病院これに、私は惑わせられたのである。
 弁谷貞造が白雲楼を百数十億の抵当権をつけて、最後は5千万円で落札
金沢市に寄付させたこととその手法が似ている

父桜井兵五郎が国から財団として認められた康楽寺を、法人として父の資産を
横流しし、日本観光を破産に落とし入れた手口と似ている。
その裏では地元の有力政治家を使い、また投資事業組合をとうして流失資金
をプール、全国にホテル展開をさせるなど、今のライブドアー以上である。
 日本タイプはいまをときめくキャノンに資本、業務提携と偽り、会社を売り渡し
日本文化を担っていた伝統ある日本タイプを地上から消滅させた。
日本タイプは日本の文化である日本語の機械化、合理化、標準化ひては東洋
文化であるアジアにいたる文化の絆を深める目的の会社である。
単に利益至上主義とは一線か画していた。

そうゆう日本タイプと日本の文化、美を世界の広める役割を担っていた日本観光
を、同時に地上から消し去ろうとしている

これは日本国を地上から消し去ろうとしている、似非経済人と同じである。

これらは一に私を鼻の手術追い込んだ時から始まるのである。
そして私を日本タイプに入社させ、退社させる流転する私のサラリーマン時代
の始まりとなる。

http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r/2006-05-02



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