財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
白雲楼の抵当権無効のプログで記したこと同じことを熱海起雲閣に於いても行っている。 即ち弁谷貞造が起雲閣の常駐支配人となり、ハザマ組と組んで増改築を昭和50年ころより行い、それに三和銀行が抵当権を設定、その後ノンバンクが60億の抵当権をつけたのである。その前に石川銀行が12億の抵当権を付けていたが、石川銀行は倒産その親会社である三和銀行が肩代わりをした。本来なら第一抵当権者の石川銀行が破産の申し立てをすべきそころ、その正当な抵当書類が無かったのであろう。
そこで辨谷貞造と三和銀行が組んだのである。
三和銀行と延命順作ですでに下地が出来ている。
そこで正当な抵当書類を作ることである。
それを上記の如く辨谷貞造はハザマと組んで偽造文書を作り、三和が起雲閣の倒産を
申し立て日本観光の倒産に繋がっていくのである。
三和銀行が弁谷貞造と組んだ理由は、この写真の日本橋通りの角地の土地にある。ここには日本タイプの事務所等があり、戦後は更地となっており、延命順作が日本タイプの不祥事後もここの支配人となっていた。父の土地の管理会社山陽土地産業株式会社の管理権を持ていた弁谷貞造が、三和銀行と組んで、この三者が組んでこの土地を背景に起雲閣、日本観光の倒産を目論んだのである。
北陽土地産業株式会社はこの付近一帯の地権者であったからである。
結局のところ三和銀行が父の資産を管理していたので、三和銀行が日本観光の倒産に
手を貸さない事には、目論みは成立しないのである。
このプログの写真は日本タイプの本社ショウルームや日本観光の前身北陽産業株式会社の本社があったところで、ここで日本タイプのビルが建つ予定であった。
今はUFG銀行の支店が一階に入っている。
この土地は昭和35年頃まで延命順作が支配人となって登記されていたところで、
延命順作は自分の大好きなパチンコ小屋を建てて、楽しんでいたところである。
延命は闇の世界との繋がりが強く、野心に燃えていた。
また旧民政党の残党の資金源になっていたのだ。
このため彼は終身を掛けて奥能登にいながら、日本観光、日本タイプを倒産、売却に追い込んで行くのである。