
お早うございます、信です。
また週末がやってきました。
昨日の午後、こんな空が見えました。

a
予報では明日の日曜日、秋晴れが広がるようです。
さて美ヶ原高原です。
山本小屋の駐車場が見えてきました。満車のようです

1
山本小屋です

2
ここから草原の真ん中を歩きます

3
左手に蓼科山と八ヶ岳
ここからは富士山は見えません

4
良いお天気に恵まれました

5
美しの搭が見えてきました

6
気分爽快で歩けます

7
それでも飽きたころ 美しの搭に到着です

8
美ヶ原高原のシンボル「美しの塔」。
美ヶ原は濃霧になることが多く、遭難が多発しました。その対策の一つとして霧鐘を備えた避難塔が「美しの塔」です。
1954年(昭和29年)の秋に高原の中央部に設置され、1983年(昭和58年)に改築されました。
高さは約6m、日本で一番大きな文学碑でもあります。塔の南面には美ヶ原を愛した自然詩人・尾崎喜八氏の「美ガ原溶岩台地」が、北側には山本俊一翁の顔のレリーフが埋め込まれており、松本の彫塑家、上條俊介氏の作です。
「美ヶ原の名を広め、国定公園にまでなった功績は大きく、美ヶ原を語るには俊一翁抜きには語れない」とまで言われた俊一翁とは、山本小屋を開き、美ヶ原の登山道を整備した功労者です。(美ヶ原の歴史のページも参考にして下さい)
塔の造形は杉井春雄氏(当時県観光課主事)によるもので、塔そのもののアイデアは下平宏恵氏(当時県観光課長)が中心となって、美ヶ原高原の拠り所とシンボル的な意味を含めて話が進んだと言われています。
建設には大変な苦労が伴っています。資材は全て三城側から背負いあげ、コンクリートを固める水は山本小屋から天秤棒で担いだと記録されています。塔の台座には山本俊一翁の金の入れ歯が埋められた記録があり、昭和29年10月30日に完成式を執り行いました。
昭和30年から美しの塔の前で山の安全を祈る行事が山本小屋が中心となって始まり、後に王ヶ頭高原荘(王ヶ頭ホテル)ができてからは交代で施主を務めるようになりました。

7
花が無いのは残念でした

8
振り向けば浅間山

9
塩くれ場で休むハイカー

10
眼の高さと同じ位置のぽっかり雲
その向こうは北アルプス

11

12
この日は牛さんを見ることはありませんでした

13

14
角を曲がると王ヶ鼻が見えてきます

15
松本平と乗鞍岳

16

17
ほんの少し

18
諏訪湖が見えました

19
明日は王ヶ頭に上がります
撮影日: 10月21日
撮影場所:松本市美ヶ原高原 王ヶ頭
それでは皆様、ご機嫌よう。
お早うございます。
この日は風もなく、終始穏やかで小春日和でした。
ダウンジャケットでは歩いていて暑かったのでは?と思います。
私も汗ばんでしまって、ソフトシェルは脱いで歩いてました。
山本小屋から王ヶ頭まで3kmくらいです。
大体30分くらい。アップダウンは50mくらいでしょうか
気持ちよく、楽に歩ける草原だと思います。
今日は曇り勝ちな一日でしたが、明日はまた小春日和になりそうです。
また紅葉狩りでごった返しそうですね。
コメント有難うございます。
お早うございます。
仰る通り16番の谷から出た梓川が、やがて松本平で犀川となって、善光寺平で千曲川に合流します。
上高地にいらしたはりさんは、余計にその思いが強いでしょうね。
コメント有難うございます。
雲一つ無い秋晴れの高原、写真を見ているだけで気分爽快になれます。
ダウンを着ている人がいるので、お天気はよくてもやはり気温は低そうですね。
13番のどこまでも続く草原の道、のんびり歩いてみたいですが、
距離もありそうですね。
明日は関西も良い天気のようですが、何処へ行っても人が多そうです。
美ヶ原といえば「美しの塔」です。
そういうイメージが作られていますね(笑)
こんなに広い草原だと遭難が多発するのも納得です。
毎回、美ヶ原からの展望を楽しませてもらっています。
今日は16番の松本平の景色を見て
あの谷から梓川が流れ出しているのかと
感慨深く眺めさせてもらいました。