人間が人間に良く似たものを作る。その作られたものが人間に危害を加える。これは確かに恐怖でしょう。そうした「もの」は何も近代科学の粋であるロボットでなくても、ゴーレムとか昔話に出てくるような存在でもいい訳です。
こうして考えてみるとロボットはバラ色の科学の象徴というよりは、人間と技術の矛盾や疎外の象徴のようにも見えてくるのです。1960年代前半に制作された「鉄腕アトム」がロボットと人間の葛藤や悲しみを内包していたことも良く理解できます。当時は、それから数年の後には公害問題や交通戦争、大都市化等の矛盾が顕在化ししていく、そういう時期でした。作者の手塚治虫氏はそのような科学文明の負の側面の顕在化する未来を見通していたのでしょう。
こうして考えてみるとロボットはバラ色の科学の象徴というよりは、人間と技術の矛盾や疎外の象徴のようにも見えてくるのです。1960年代前半に制作された「鉄腕アトム」がロボットと人間の葛藤や悲しみを内包していたことも良く理解できます。当時は、それから数年の後には公害問題や交通戦争、大都市化等の矛盾が顕在化ししていく、そういう時期でした。作者の手塚治虫氏はそのような科学文明の負の側面の顕在化する未来を見通していたのでしょう。
私、鉄腕アトムは生まれる前の放映なので、勝手に勧善懲悪ヒーローモノかと思っていました。80年代のリバイバル版で妹の名前が「ウランちゃん」だったので、よっぽど科学を称える内容かと思っていました。
そういえば「ドラえもん」も、ドラえもんがノビタの窮状を助けるべく、22世紀の道具を渡すも、ノビタが調子に乗って悪用してバチが当たる、というのがお約束でしたね。