博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

セルフコントロールとは 2

2006年11月25日 | 思い出
 23年前の6月、学部生だった私は、教育実習を母校の中学校で行っていました。私は1年生の社会の担当でした。毎日、関東平野における縄文時代の貝塚の分布図をガリ版で作ったりしていました。ちょうど10年前、自分が実際に過ごした木造校舎の教室で教壇に立つのは妙な気持ちでした。
 実習開始から2週目に、校庭で飯盒炊爨の実習がありました。生徒達は皆体操着で火を起こしています。間もなく梅雨入りという頃でしたがその日は晴れていました。汗ばむ陽気でした。ふと空を見上げると太陽の周りを囲むぼんやりとした光の輪ができています。「ああ、あれは・・・」私は直ぐにその現象に思い当たりました。一緒に空を見上げた生徒に「あれは暈(ハロー)といって、あれが見えると明日は雨になるんだよ」などと説明していました(実際翌日は雨になりました)。あの光は実は巻層雲という高空の雲で・・・云々という説明をしました。
 
 間もなく各グループで火の手が上がり始めたので、私はグループ間の見回りをしていました。すると一つのグループで騒ぎが起こりました。一人の男子生徒が焚き火で火傷してしまったのです。私は急いでその生徒を校庭の水道に連れていって流水に火傷の部分を付けさせました。私は生徒に腕時計を渡して20分以上流水にさらしておくよう言い付けて、保健の先生に事態を報告しに行きました。保健の先生は直ぐに母校の隣のT医院に連れて行くよう指示されました。そこで急いで生徒をT
医院に連れて行きました。ちなみにこの医院は私の小学校以来の同級生の実家でもあります(今は別の場所に移転しています)。
 この後、職員室で保健の先生は私の取った措置がたいへん的確であったと褒めて下さいました。火傷は先ず流水などで冷やすことが大事です。最初にそうしておけば痕も残りにくいのです。その日は余程暑かったのか帰宅後水風呂に入ったことも覚えています。

 さて、23年前の22歳の私は以上のような適切な措置を生徒のために取れたにも関わらず、今の自分は自分に対して傍観者のように感じられて呆然としていたのはなぜなのでしょう。私には良く分からないのです。

写真は富山市内で撮影された暈(ハロー)です。富山市天文台ホームページから引用させていただきました。

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