博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

ロシアにおける同性愛迫害の歴史

2023年02月06日 | 歴史
(昨日の続きです)
 ロシアでは帝政ロシアの時代からLGBTへの迫害が行われていましたが、1917年11月7日に勃発した十月革命(旧露暦ではグレゴリオ暦の11月は10月になります)において「性の革命」が謳われLGBTの解放が行われました。しかし、それも束の間のことでスターリンが独裁的権力を掌握すると再びLGBTへの迫害が再開します。
 スターリンの権力掌握後の1934年、秘密警察NKVD(内務人民委員部)長官のゲンリフ・ヤゴーダ(上の写真です 注)は、スターリンに対し「同性愛の男性らが秘密結社を作り、ソ連の敵国のドイツなどにソ連の秘密情報を提供するスパイ行為を働いている」という荒唐無稽な報告を行います。スターリンは直ちに同性愛者を弾圧するための「刑法121条」を制定し、同性愛者を逮捕し問答無用で懲役5年の刑罰を科すようになったそうです。NKVDは、同性愛者を効果的に逮捕・迫害するために「レモントニキ」(「修理屋」という意味だそうです)という反同性愛活動家を活用しました。レモントニキは同性愛者のふりをして同性愛者をおびき出して集団で暴行を加えたのちにNKVDに引き渡していたそうです。スターリン時代の刑務所、強制収容所の環境は劣悪で多くの同性愛者が命を落とすことになったことでしょう。スターリン時代のソ連は、まさに同性愛者の地獄でした。
 1956年ソ連共産党第20回大会でフルシチョフ第一書記により「スターリン批判」が行われましたが、同性愛者への迫害は中止されませんでした。刑法第121条が廃止されたのは何とソ連崩壊後の1993年のエリツィン時代になってからだったというのです。1934年から1993年までに刑法第121条で有罪とされた同性愛者は25,000人以上に及ぶと推測されているそうです。21世紀になってからプーチン大統領は、この忌まわしい刑法第121条に匹敵するLBGT抑圧法を復活させたということになります。とても正気の沙汰とは思えないのですが、荒井秘書官の言動を見ると、いつでも狂気は復活しうるのだと思いました。
 ところで旧ソ連でLGBTを迫害するきっかけを作ったヤゴーダのその後の運命ですが、国民への取り締まりが手緩いとスターリンからダメ出しされ、1938年にあっさりと粛清されてしまいました。この時ヤゴーダは革命前の1907年のボリシェビキ(後のソ連共産党)入党時から「ドイツのスパイ」として活動を行っていたという荒唐無稽な嫌疑を受け拷問の末に「自白」させられ銃殺されたのでした。粛清は徹底しておりヤゴーダの家族も全員が逮捕処刑され、NKVDの部下たちも粛清の対象となり、約3000人がこの時期に死亡したと言われているのだそうです。4年前に同性愛者たちを「ドイツのスパイ」呼ばわりして迫害した報いでしょうか。ちなみに1956年のフルシチョフのスターリン批判時と1980年代後半のゴルバチョフのペレストロイカ時に多くのスターリンの犠牲者が名誉回復されましたが、ヤゴーダの名誉回復はなされなかったそうです。
(参考資料)オレグ・エゴロフ「ソ連でゲイとして生きるとはどのようなことだったか」2018年12月24日
 https://jp.rbth.com/history/81388-soren-de-gei-to-shite-ikiru
(注)https://russian7.ru/post/grigoriy-yagoda-o-chem-napisal-stalinu-o/

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。